17日に開幕するバレーボールのVリーグでは、選手たちのユニホームにも注目だ。女子1部の姫路がVリーグ初の「スコート」を取り入れるなど、新しい試みも出てきた。
正式種目に採用された64年東京オリンピック(五輪)から現在に至るまで、ユニホームはどんな変遷をたどってきたのか-。
長年開発に携わってきたミズノの協力を得て、これまでの足跡を振り返る。
【取材・構成=平山連】
「東洋の魔女」今なお語り継がれる東京五輪金メダル
1964年(昭39)の東京五輪で初採用されたバレーボールで、金メダルを獲得した女子代表は、無類の強さを誇り「東洋の魔女」と呼ばれていた。
宿敵ソ連との決勝はスポーツ中継番組では歴代1位の視聴率(66・8%)。今なお語り継がれる名場面だ。
変化の30年 素材・機能・デザインで大きな変化
ミズノは、1989年(平元)4月からバレーボール女子日本代表のオフィシャルサプライヤーになった。
約30年間の間に、<1>素材(綿→ポリエステル)<2>機能(長袖→半袖→ノースリーブ)<3>デザインの3点で大きな変化が出ているという。
開発当初から97年ごろまでは、肌触りのいい綿素材の長袖ユニホームが主流だった。
担当者は「スライディングをした時に、摩擦熱でウエアが溶けないよう天然素材の綿が使われていました」と説明する。
その後、腕に付ける各種サポーターの普及もあり、長袖着用の意義が薄れた。動きやすい半袖型に潮流が変わっていく。
06年ごろからノースリーブ型に一新される。
当時半袖姿で腕まくりをしてプレーする選手が目についたのが、開発のきっかけになった。
担当者は「後々選手に聞いてみたら『気合を入れるため』だったと聞いたんですが、その割には袖ばかり気にしているので、袖をなくそうと思いました」。
露出度を抑えるため、脇を隠せるような作りにした。
また、デザインでは、生地自体に鮮やかに彩色を施す昇華プリントを採用するなど進化を遂げている。
シンボルの「MCライン」が入ったユニホームはこれからも、コートに立つ選手を支えていく。
NEC、医療従事者への感謝の思いを込めた新デザイン
1部のNECは今季、ホーム試合で着ることの多い白地のユニホームのデザインを変更した。
パンツやチーム名が印字された部分にブルーを加え、新型コロナウイルス感染拡大を食い止めようと最前線で奮闘する医療従事者への感謝の思いを込めた。
主将の山内美咲(25)は「新しいユニホームを着て、どんな時でも挑み続ける姿をコートで表現したい」と意気込んでいる。
「美しく、強く感じた」スコート着用選手
「スコート」は、テニスやゴルフで着用する選手が多い女性用ウエア。
元女子日本代表監督の、姫路・真鍋政義球団オーナーが、スコートを着てプレーするイタリアやブラジルの選手を見て「美しく、強く感じた」と採用に向けて動いた。
ミズノの開発担当者によると、ラケットスポーツで取り入れられているスコート素材をそのままユニホームにした。
黒とネービーの2種類を用意したといい「これまでの常識にとらわれず、いろんなことに挑戦する姫路ならではの特色が出せるのでは」と期待する。