本場カナダ生まれの逆輸入カーラーが日本の勢力図を塗り替える。カーリング男子ジュニア日本代表の札幌国際大スキップ佐藤剣仁(1年)が、両親の故郷日本で夢の五輪金メダルを追いかける。昨年4月に入学し、2連覇した日本ジュニアでは新スキップを務めた。昨年末には国内トップが集う長野での強化試合で日本選手権2連覇のコンサドーレを破って優勝。若手注目株は、イタリア開催の26年五輪を視野に入れる。

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太平洋を渡り、日本に来たときから胸に誓った。佐藤は両親の故郷から五輪を目指す。

佐藤 小さいころから国の代表になるのが夢。出るなら目指すは金メダル。

06年トリノから五輪3大会連続金のカーリングの本場で育った20歳は、挑戦の地に北海道を選んだ。

1年目からリンクを沸かせた。日本選手権2連覇のコンサドーレなど4チームで争った昨年末の強化試合(長野)。2勝1敗で決勝に進むと、予選で1-11と敗れた日本王者に7-6で逆転勝利。「(年齢区分がない)一般でもやりあえる自信がついた」。日本ジュニア出場を優先したため、日本選手権出場はかなわず今季の公式戦出場はない。それでも強化試合でしっかりと自信を胸に刻んだ。

両親が仕事の関係でカナダに移住。佐藤はバングーバー郊外のニューウエストミンスターで生まれ、3歳上の兄の影響で10歳で競技を始めた。当時はバンクーバー五輪でカナダ代表が金メダルを獲得し「今でも印象に残っている」。ジュニアの世界王者もいる同地区で腕を磨き、カーラーとして成長してきた。

転機は19年9月。カナダ遠征していた札幌国際大の現地コーディネートをしたのが母加津子さんだった。同大はソチ五輪日本代表コーチも務めたフジ・ミキ氏(79)とも交流があり、佐藤は同氏の息子が指導するチームに所属。大会での対戦や試合後の食事会を通して「もともと日本は好きだったし、試合の時も良い感じのチームだった」と来日する決意を固めた。

コロナ禍で入試があった3月から日本での生活が始まった。札幌国際大のチーム名で日本ジュニアを2連覇する前からすでに同大会を3度制している青木豪、鎌田渓(ともに3年)ら若手有望株が集まるチームでスキップを担う。「(カナダでは)コミュニケーションは英語だったので、熱い場面だと英語が漏れる」と笑うが、同大コーチで札幌協会指導部長を務める土居誉享氏(42)は「20歳とは考えられないほど客観的にものが見える。ゲームメークも全て逆算して考えられる。(将来は)日本代表には届く」と期待をかける。

祖父母が暮らす日本には幼少期から毎年夏に訪れ、カナダでも日本のアニメや日本食に親しみ、日本語も両親と話していたため不自由ない。22歳まで日本、カナダ両方の国籍を持てるが、将来は心に決めている。

佐藤 今のところカナダに帰る予定はない。日本代表になって五輪に出場したい。(招致を目指す30年札幌五輪は)できればホームタウンとして出てみたい。【浅水友輝】

◆佐藤剣仁(さとう・はやと)2000年(平12)8月29日、カナダ・ニューウエストミンスター生まれ。10歳で競技を開始。19歳の昨春に札幌国際大に入学し、スポーツ人間学部スポーツ指導学科に在籍。日本語は話せるが「読み書きは苦手」。普段は「はやと」と呼ばれるが、同大に佐々木彩斗(あやと)がいるため「けんじ」とも呼ばれる。趣味は来日後の1人暮らしで覚えた料理。好きな食べ物はカレーライス。172センチ、75キロ。

◆カーリング男子の国内事情 五輪には正式種目として採用された98年長野で初出場(5位)。18年平昌でSC軽井沢クラブ(8位)が日本男子20年ぶり2度目の出場を果たした。以後、選手の入れ替わりや新チームが発足。18年8月にコンサドーレが発足し、松村雄太をスキップに19、20年日本選手権優勝。19年5月には平昌でSC軽井沢クのスキップを務めた両角友佑、弟の公佑がTM軽井沢を結成し、翌年の日本選手権で準優勝。現在のSC軽井沢クは南富良野町出身の山口剛史がスキップを務め、20年日本選手権は3位。