20年全米、21年全豪の連続優勝で見せた大坂なおみ(23=日清食品)の揺るがないメンタルに、誰もが驚いた。試合中に泣きだし、会見を涙で途中退席をした大坂はもういない。急激な成長の陰には、20年2月のスペインで行われた女子国別対抗戦フェド杯(現ビリー・ジーン・キング杯)での知られざる秘密があった。

20年2月4日。スペイン南東部のアリカンテ空港で、大坂は、スペイン協会が手配してくれたカルタヘナ行きの車を待っていた。約1時間ほどのドライブは、地中海につながるバレアス海の絶景が広がっていた。しかし、大坂は、失意のどん底にいた。

19年末に就任したフィセッテ・コーチは、当初、大坂に「全く胸の内を明かしてもらえなかった」。20年1月の全豪3回戦前に、大坂は「何も問題はない」。しかし、同コーチには「そうとは思えないほど緊張していた」と振り返る。そして大坂は敗れた。

敗戦の2日後の1月26日。大坂が心の師と仰いだNBAの伝説、ブライアント墜落死の一報が届いた。「永遠の兄」と慕っていただけに、敗退に傷ついた心は、すでに張り裂けそうだった。傷心のまま、日本代表に合流した。

18年2月に就任し、今のチームでは最も長くそばにいる茂木奈津子トレーナーでさえ、心がすべて通じているとは感じていなかった。「なおみの話を聞くだけで、自分について話したことはなかった」。

スペイン滞在の5日間、大坂と女子マネジャー、茂木さんで“女子会”のようだった。テニス以外のたわいないこと、そして私生活のことなどを話し、少しずつ大坂の心は癒えた。茂木さんは「初めて自分の歩んできた人生の話をした」。真剣に聞く大坂に、より一層、関係が深まったと感じていた。

大坂は、対戦初日の7日、コート上で泣きだし敗れた。「人生は終わったように感じた」。フィセッテ・コーチは「1日1日、少しずつ関係は深まった」と、毎日のように大坂を解きほぐしていた。大坂は、敗れた後の言葉を忘れない。「負けても人生は変わらない。自分でどうしようもない人生もある。でも、ベストを尽くせば、必ず結果はついてくる」。

その日から、大坂は「私は少し成長したような気がした」。周りに、こんなに支えてくれる人がいる。強くなる。そう思ったのだ。最終日の8日、代表とチーム大坂は、会場のあるリゾート地のイタリア料理屋で、夕食会を開いた。そこには、笑顔いっぱいで談笑する大坂の姿があった。【吉松忠弘】

◆全豪オープンテニスは、2月8~21日、WOWOWライブで連日生中継。WOWOWオンデマンドでも同時配信予定。