テニスの1955年全米ダブルス選手権男子(現在の全米オープン男子ダブルス)で戦後の日本男子唯一の四大大会制覇を果たした宮城淳(みやぎ・あつし)さんが24日、ぼうこうがんのため東京都世田谷区の介護施設で死去した。89歳。東京都出身。葬儀・告別式は近く家族葬で行う。新型コロナウイルス感染症が収束すれば、しのぶ会を開く予定。

戦後の日本テニス界で姉黎子さんと一時代を築いた。競技を始めた早稲田大卒業後の55年、日本初開催の男子国別対抗戦、デビス杯(デ杯)東洋ゾーンで優勝に貢献した。同年、当時シングルスと別々だった全米ダブルスで加茂公成と組み、日本勢初制覇を達成した。日本男子の四大大会タイトルは34年ウィンブルドン選手権混合ダブルスの三木龍喜以来だった。

全日本選手権はシングルス、ダブルスでともに4度、混合ダブルスで1度優勝。デ杯の日本代表は10度で、2度が監督兼任だった。早稲田大の監督、教授や日本テニス協会専務理事、日本オリンピック委員会(JOC)理事などを務めた。(共同)