3月11日午後2時46分、東北地方中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災の発生から10年を迎える。仙台市で被災し、避難所生活も送ったフィギュアスケート男子の羽生結弦(26=ANA)。当時高校1年生は、この10年で冬季五輪2連覇を遂げた。今、自身が支えられた言葉を返す。被災地に届くと信じて1182字のコメントを寄せた。

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何を言えばいいのか、伝えればいいのか、分かりません。


あの日のことはすぐに思い出せます。


この前の地震でも、思い出しました。10年も経ってしまったのかという思いと、確かに経ったなという実感があります。オリンピックというものを通して、フィギュアスケートというものを通して、被災地の皆さんとの交流を持てたことも、繋がりが持てたことも、笑顔や、葛藤や、苦しみを感じられたことも、心の中の宝物です。


オータム・クラシック SPの演技を前に手を合わせる羽生結弦(2017年9月22日)
オータム・クラシック SPの演技を前に手を合わせる羽生結弦(2017年9月22日)

何ができるんだろう、何をしたらいいんだろう、何が自分の役割なんだろう

そんなことを考えると胸が痛くなります。

皆さんの力にもなりたいですけれど、あの日から始まった悲しみの日々は、一生消えることはなく、どんな言葉を出していいのかわからなくなります。


全日本選手権 男子SPで演技する羽生結弦(2020年12月25日)
全日本選手権 男子SPで演技する羽生結弦(2020年12月25日)

でも、たくさん考えて気がついたことがあります。

この痛みも、たくさんの方々の中にある傷も、今も消えることない悲しみや苦しみも…

それがあるなら、なくなったものはないんだなと思いました。痛みは、傷を教えてくれるもので、傷があるのは、あの日が在った証明なのだなと思います。あの日以前の全てが、在ったことの証だと思います。


全日本選手権 男子フリーの演技を終え座り込む羽生結弦(2019年12月22日)
全日本選手権 男子フリーの演技を終え座り込む羽生結弦(2019年12月22日)

忘れないでほしいという声も、忘れたいと思う人も、いろんな人がいると思います。

僕は、忘れたくないですけれど、前を向いて歩いて、走ってきたと思っています。

それと同時に、僕にはなくなったものはないですが、後ろをたくさん振り返って、立ち止まってきたなとも思います。立ち止まって、また痛みを感じて、苦しくなって、それでも日々を過ごしてきました。


NHK杯フィギュア エキシビションで大声でファンにあいさつをする羽生結弦(2016年11月27日)
NHK杯フィギュア エキシビションで大声でファンにあいさつをする羽生結弦(2016年11月27日)

最近は、あの日がなかったらとは思わないようになりました。それだけ、今までいろんなことを経験して、積み上げてこれたと思っています。そう考えると、あの日から、たくさんの時間が経ったのだなと、実感します。こんな僕でもこうやって感じられるので、きっと皆さんは、想像を遥かに超えるほど、頑張ってきたのだと、頑張ったのだと思います。すごいなぁと、感動します。数えきれない悲しみと苦しみを、乗り越えてこられたのだと思います。


幼稚な言葉でしか表現できないので、恥ずかしいのですが、本当にすごいなと思います。


本当に、10年間、お疲れ様でした。


4大陸選手権 SEIMEIを演じる羽生結弦(2020年2月9日)
4大陸選手権 SEIMEIを演じる羽生結弦(2020年2月9日)

10年という節目を迎えて、何かが急に変わるわけではないと思います。


まだ、癒えない傷があると思います。

街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います。

まだ、頑張らなくちゃいけないこともあると思います。


簡単には言えない言葉だとわかっています。

言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。


でも、やっぱり言わせてください。

僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、

その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。



頑張ってください



あの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。

本当に、ありがとうございます。



僕も、頑張ります



2021年3月

羽生結弦


4大陸選手権 渾身の演技を見せる羽生結弦(2020年2月9日)
4大陸選手権 渾身の演技を見せる羽生結弦(2020年2月9日)