B1新潟アルビレックスBBの青木勇人アソシエイトコーチ(AC、47)が20-21年シーズンを振り返った。福田将吾監督(37)の離脱を受け、監督代行として1月31日からシーズン終了まで23試合指揮した。最終成績は東地区9位(16勝38敗)だったが、戦い方を徹底させるなど方向性を明確にした。6月30日で契約満了となるが、監督代行としチームをまとめた手腕への評価も高く、来季の監督就任を望む声も大きい。

-シーズンを終えて

青木AC 石井が開幕前にケガをしましたが、それ以外は大きなケガ人もなく、新型コロナ感染者は出なかった。乗り切れてホッとしています。

-6月末で契約満了となるがファン、スポンサーから続投支持の声が多い

青木AC ゼロで考えようと思っています。新潟での4年間は全うしたので。新潟とは交渉しています。ほかのチームの話もあれば聞いてみたい。必要とされるところで自分のできることをやろうと。

-1月30日名古屋D戦後に福田監督が体調不良で離脱し、翌日の同戦から監督代行を務めた

青木AC ある程度のことはやったかなと。ただ、もう少し熟成度が上がっていれば、勝てた試合もあった。細かいところでワンプレーを遂行し切れなかったり、共通理解がない様子がところどころに見られました。そういう意味では不完全燃焼でした。

-監督代行の要請時の心境は

青木AC 僕がやるしかない状況だった。ACなので自分だったらどうするかということは常に頭にありました。余計なことは考えず、勝つためにやるべきことをやろうと。

-着手した部分は

青木AC 守備ではペイントエリアに簡単に入られないようにし、1つのボールに対し5人でプレーする、攻撃はどこで主導権を取るかをはっきりさせ、強みを強調する。戦い方を明確にしました。攻守とも決まりごとをシンプルに、強度を高めようと話しました。

-手応えは

青木AC 負けましたが2月10日、3月6日の川崎戦(74●80、77●81)。やるべきことの遂行度が上がれば、どこが相手でも接戦を演じられた。勝った秋田戦(3月3日、73○53)はほとんどタイムアウトを取らなかった。いろいろな方法で点を取れた。

-新潟への思いは

青木AC 愛着があります。日本初のプロチームの新潟が生まれなかったら、日本のプロバスケもなかったと思う。ここで選手、コーチをしてきたので今もプロでいられると思っています。もっと選手、フロントと全体が同じ方向で一体感を持たないと。チームとして応援されるよう、もう1回成長することが必要だと思います。【構成・斎藤慎一郎】

◆青木勇人(あおき・たけと)1974年(昭49)1月29日生まれ、神奈川県出身。鎌倉学園-専大を経て、96年に大和証券(旧JBL)に入社。チーム譲渡に伴い00年新潟に。旧bjリーグの東京、大分、琉球、横浜でプレーし、13年現役引退。横浜でアシスタントコーチ、監督を務めた。17年に新潟のアソシエイトコーチに就任。