ラグビー新リーグのリーグワン1部(来年1月7日開幕)に参戦する静岡ブルーレヴズの山谷拓志(やまや・たかし)社長(51)がこのほど、日刊スポーツのインタビューに応じた。新チーム立ち上げや経営再建の請負人として知られ、堀川隆延監督(48)らからの期待を一身に背負う。会社を軌道にのせる手腕の原点や、ヤマハ発動機から生まれ変わった新チームの将来などについて語った。【取材・構成=倉橋徹也】

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-今回の社長就任要請を受けられた決め手は

山谷氏 私は当初、プロ化はうまくいかないと言い続けていて、何度かお断りしました。積極的にお誘いいただくうち、ヤマハ発動機が業界初の独立分社化を本気でやることに興味を持ちました。困難なことだからこそやりたい、やるべきだと考えました。私の強みはチームや会社の立ち上げ、再建、軌道に乗せること。何もないところから形づくることが得意で、勝負しているので、挑戦を決めました。

-定評ある経営手腕の原点を教えてください

山谷氏 学生時代から、物をどう売るかなどを考えるのが好きでしたね。リクルート時代は営業や企画、コンサルタントなどに従事しました。「あなたは何がしたいのか」という社風で自由度が高く、いつも自問自答してました。

-ラグビーとの接点はありますか

山谷氏 高校受験の頃にラグビー日本選手権決勝で慶大がトヨタ自動車を破ったのを見て、慶応高でプレーするつもりでした。でも進学すると経験者が多く、隣の部室のアメリカンフットボール部から「すぐ日本一になれる」と誘われて入部し、大学でも続けました。

-社会人でも競技をされたのですね

山谷氏 リクルートシーガルズ(現・オービックシーガルズ)が日本一を目指していて、現役を続けました。1996年と98年には日本選手権で優勝しました。ただ、96年に右足アキレス腱(けん)を、97年には右足の前十字靱帯(じんたい)をけがしました。離脱中は上半身を鍛えたり戦術を覚えたりと、プラス思考で過ごしましたね。そんな選手時代に、スポーツビジネスに興味を持ちました。

-静岡で勤め始めて、手応えはありますか

山谷氏 県をはじめラグビーに対する熱心さ、意気込みが伝わり、来てとても良かったです。営業に出向くと「応援するよ」と言ってくださる企業が予想以上に多く、驚いています。新リーグではチームが興行(試合)を主催しますので、みなさんに興味や関心を高めてもらうため、やるべきことがたくさんあります。

-今後の目標を教えてください

山谷氏 地元での開幕戦を入場数上限の満員にし、その先ではチームが早くタイトルを取ることです。そして10年後の売上高世界一を目指します。そのために収益を上げ、価値あるものには投資します。チームの価値を高め、みなさんに期待と高評価をいただけるよう、注力していきます。

 

◆山谷拓志(やまや・たかし)1970年(昭45)6月24日、東京都昭島市生まれ。慶応高-慶大。93年リクルート入社。07年宇都宮ブレックス運営会社社長に就任。09年度JBL優勝。3期連続の黒字を達成。14年に経営難の茨城ロボッツ運営会社社長に。16年B2リーグ参入。昨季、リーグ準優勝とB1昇格を決めた。今年7月から現職。家族は妻と長女。血液型A。座右の銘は『「できるか、できないか」ではなく「やるか、やらないか」』。