1976年モントリオール・オリンピック(五輪)と84年ロサンゼルス五輪で柔道日本代表の監督を務めた醍醐敏郎(だいご・としろう)さんが10日午後4時58分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため東京都内の病院で死去した。95歳。千葉県出身。葬儀・告別式は家族葬で執り行い、後日に総本山の講道館がお別れの会を開く予定。

千葉・安房中(現安房高)から東京高等師範学校(現筑波大)に進み、教諭を経て講道館の研修員となった。高い技術を誇り、体重無差別で争う全日本選手権で51、54年の2度優勝。柔道が初採用された64年東京五輪は日本代表コーチを務め、79年から89年まで全日本柔道連盟の強化委員長も担った。

講道館で最高位の10段を認められ、関係者によると、新型コロナウイルスの感染拡大前まで道着姿で古式の形など柔道の伝承に力を注いでいたという。存命の10段は2人となった。(共同)