オートバイの伝統ある大会として知られる「ボルドール24時間耐久ロードレース」は3週間後の9月17~18日、フランスのポール・リカール・サーキットで行われる。100周年の記念すべき大会に初出場するのが、日本のプライベートチーム「TONE RT SYNCEDGE4413 BMW(トネ・アールティー・シンクエッジ4413・ビー・エム・ダブリュー)」だ。

メーカー直系の「ワークスチーム」ではなく、本業と並行してボランティアで集う男たちは、なぜ、壮大な夢を追うのか-。2日間にわたって特集する。

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かつて城下町として栄えた神奈川・小田原市から北に電車で約10分。人口2万人に満たない開成町の一角で、大粒の汗を流しながらバイクに向き合う男がいた。

高村嘉寿、46歳-。

作業に取りかかったかと思えば、事務所で鳴る電話の音を聞き、駆け足でその場を離れる。本業は4輪のメンテナンスやセッティング。経営者として、1人の従業員とともに業務に向き合う。ふらりと立ち寄った地元住民の接客を終えると、再びセミの声が響く屋外の作業所に戻っていった。

そんな本業と同時に情熱を注ぐのが「TONE RT SYNCEDGE4413 BMW」の代表としての仕事だ。全日本ロードレース選手権にフル参戦してきた実力あるチーム。高村はその運営やチーフメカニックはもちろん、スポンサー活動や資金管理に至るまでを担ってきた。

まだ見ぬボルドールの舞台まで、残りは3週間-。

少年時代は野球で万年補欠、高校からオートバイにまたがった46歳が笑った。

「オリンピックを目指すアスリートと同じですよね。僕らにとってのオリンピック。欧州で24時間という最も過酷なレースに出る。いくら日本の8時間(耐久)で結果を残しても、きっと『24時間は違うんだよ。初めて24時間やるの? ふ~ん』と思われているはずです。走ったことがないと反論もできない。本物の文化を築き上げたフランスに行って『あいつら、すげぇ』と言わせたい。日の丸を掲げたい。だから『100周年のボルドールに出る』と決めました」

元日から8月まで休みはわずか1日。それでも高村の目は輝きを放っていた。

チームは全員が日本人。周囲と比べ、メンバー構成も異彩を放つ。バイクの整備などを行うメカニックは高村を含めて5人。本職の傍ら、全員がボランティアとして作業に向き合う。中には北海道の印刷屋で勤務をしながら、チームを支えてきたメンバーもいる。

8月上旬、三重で行われた鈴鹿8時間耐久ロードレース。9月のボルドール参戦に向けた作業も重なり、その準備は困難を極めた。

メカニックのメンバーは地方に散らばるため、高村1人での作業が続いた。近くの面々も多忙を極め、本業を終えて集まるのは週に1回程度、それも午後10時だった。翌日の午前3時まで準備を行い、短時間の睡眠で仕事へ向かう。作業場で知らぬ間にひっくり返り、眠ってしまう者もいた。

「他のチームには常駐のメカニックが2人程度いるかもしれない。うちのサラリーマンはボルドールの時に本業を休まないといけない人もいます。だから鈴鹿のレースの週に現地入りしても、直前まで全員がそろいません。限られた人数でやるしかない。うちはボランティアで、自分の意志で集ってきているので、それは仕方がない。チームコンセプトは『その向こうへ~』です。どうせやるなら、みんなが日常の生活では知ることができない『その向こう』を目指しています」

チームが生まれたのは2013年だった。

「最初は『ちんちくりんなチームが出てきたな』と言われていたと思います」

情熱に満ちた集団の挑戦は、そこから始まった。(敬称略、つづく)【松本航】