B1仙台89ERSの「ショータ」ってどんな人? 「ショータ」こと渡辺翔太(24)は、明大3年の20年2月、特別指定選手として仙台に加入。アイドルグループ「乃木坂46」のファンであり、背番号やバッシュ(バスケットボールシューズ)など、随所に「乃木オタ」としてのこだわりを持つ。今回は「乃木オタハンドラー」の異名が光るショータの“乃木坂46愛”に迫ってみた。【取材・構成=濱本神威】

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乃木坂46との出会いは高校3年生の夏。テレビ朝日系の音楽番組「ミュージックステーション」を見ていた時だった。「ちょうど乃木坂46さんが出ていて。(僕は)絶対、アイドルにハマらないと思っていたけど『みんな、めっちゃかわいいな』と思って。そこからどんどん深掘りして、グループの面白さにも気づいていきました」。その時、乃木坂46が歌っていた曲は「きっかけ」。渡辺の乃木オタの道は「絶対にアイドルなんかハマらない」という理屈ではなく、この胸の衝動から始まった。

中でも推しは齋藤飛鳥(24)だ。16年11月23日、初めて行った握手会で齋藤を見た時の衝撃は鮮明に覚えている。「この世の人とは思えないくらいのオーラを放っていた」。翌24日が自身の誕生日で、直接祝ってもらいたかったが「何を言っていいのかわからなくなって…『応援しています』しか言えなかった」。17年1月には京都の握手会へ。同日には同年2月卒業の橋本奈々未さん(29)の握手会もあり、ファンはその列に殺到。だが、渡辺は齋藤の列へ一直線。「5周しました。最高でしたね」。存分に思いの丈を伝えた。「(僕は)ハマッてもすぐに飽きちゃうタイプ。でも乃木坂にはずっと熱中しています。特に大学時代は握手会やライブ、エキストラにも行ったり…。めちゃくちゃ楽しかった」。6年以上たった今も熱狂している。

渡辺の背番号「15」も齋藤飛鳥が由来だ。「(齋藤さんは)13枚目のシングルから選抜に選ばれて、15枚目シングルでセンターに。そこから人気が爆発した。その活躍にあやかろうと…」。乃木坂46の「46」番にも引かれたが、初センター記念の「15」番を選択した。今や乃木坂46のエースとなった齋藤に「どんどん中心的な存在になっていく推しの姿を見て、応援してきて良かったなと思います」としみじみ語った。

「乃木オタハンドラー」は卒業しない。11月4日、齋藤飛鳥がグループからの卒業を発表。ブースターから「齋藤さんが卒業したら乃木オタハンドラーはどうなるの」と聞かれたが「卒業といっても、モデルやテレビで見ることができるチャンスが増えるかもしれない。乃木坂は箱推しとして応援しますし、齋藤さんももちろん応援する」と、卒業しても思いは何ひとつ変わらない。

「乃木坂46」を推しているからこそ意識していることがある。それは試合後のコート1周だ。「(乃木坂46の)ライブでタオルを掲げると反応してくれるんです。見つけてもらえるうれしさを知っているので、僕も自分のタオルを掲げてくれている方を指さしたり『ありがとうございます』と声をかけたりしています」。12月はホーム戦が6試合もあり、推しを近くで見る大チャンス。「僕が乃木坂46からもらっているように、僕たちのプレーを通して、見に来てくださる方々に生きる原動力や日々の大変なことに立ち向かうエネルギーを与えたい。勝利をお届けできるように練習から集中して、どんどん良いチームになっていきます」と“神対応”に意欲十分だ。

渡辺は最後に、卒業する齋藤へメッセージを送った。「齋藤飛鳥さんへ。11年間、乃木坂46としてのグループの活動、お疲れさまでした。応援してきたこの約7年間、本当に人生を楽しむことができました。自分も齋藤さんからいろんなパワーをもらったように、バスケットボールを通して恩返しをできるような選手になりたい。これからも応援しますので、体に気を付けて頑張ってください。最後に、乃木坂46として僕の中で輝いてくれて、僕の人生を変えてくださってありがとうございました。大好きです」。もらったものを今度は届ける側として、「89」のエースとなる。

◆乃木オタハンドラー 乃木オタのドリブラーのこと。大学2年時に、大学スポーツ専門メディア「CSPark」に取り上げられ、SNSでハッシュタグに「#乃木オタハンドラー」とつけてもらったことがきっかけ。響きが気に入り、自身でも言い続けている。

◆渡辺翔太(わたなべ・しょうた)1998年(平10)11月24日生まれ。栃木県出身。宇都宮工-明大。大学3年時に特別指定選手として仙台に加入し4季目。今季はオフコートキャプテンも務める。168センチ、70キロ。