アルペンスキーの未来のため、AKIRAが帰ってきた-。8季ぶりに競技スキーに復帰した佐々木明(41=フリー)が、今の思いを語った。10季ぶりの国内公式戦参戦、5回目の出場を目指す2026年ミラノ・ダンペッツオオリンピック(五輪)。そして空白の8年間の競技の進化、後進への思い…。阿寒湖畔スキー場で開催されたチームレスキューカップ・第一建設カップの競技後に聞いた。【取材・構成=中島洋尚】

佐々木が5度目の五輪出場を目指し、自然の雪壁を攻めるエクストリームスキーから、競技スキーに戻ってきた。今もなお、ワールドカップ(W杯)表彰台3度は、日本人最多記録。第1シードで戦った男はなぜ、この舞台に舞い戻り、2回りも若い選手と一緒に、国内公式戦を戦うのだろうか。

佐々木 今は自分が結果を出すだけでなく、若手に刺激を与えることも仕事。(引退後)8年間、ほとんどアルペンを取り上げてくれたメディアはなかったし、日本代表のコーチとして入っている時も、もどかしかった。自分が動けば、こうしてメディアが戻ってくるし、若手も注目される。この挑戦は日本スキー界の未来にも関わってくる。

AKIRAがレースに帰ってくる-。昨年3月の一報で、世界のアルペン関係者、ファンが色めき立った。欧州では、多くのメディアが復帰を報道。7月、クラウドファンディングで26年ミラノ・コルティナダンペッツオ五輪までの活動費支援を呼びかけると、1日で目標の1000万円を突破。約2カ月で3400万円ものお金が集まった。

佐々木 前には壁しかないが、五輪出場の目標は変わらない。今の若手に「これが世界のスタンダードで最低限。最低限で最高峰だ」というものを見せたい思いもある。骨折もしたし、「甘くない」のは想定内。体力も感覚も、8年やっていなかったものが数カ月では戻らない。今年はまず、レースに多く出て勘を取り戻す。朝起きてスタート台に立つまでのルーティンも作る。最初の2年で肉体をMAXに持っていき、残りの2年で繊細に調整する。

厳しい状況でも、結果は残してきた。南米のアルゼンチン選手権で復帰戦勝利を飾ると、チリの南米杯も連勝。国内初戦直前のスロベニアでのFISレースでは、ラップも取り、2位のポイントを加算した。全日本スキー連盟のW杯派遣基準である世界ランキング150位まで、半年で100人を切った。

佐々木 今はスイッチを“バン”と入れるところがわからない。はまった時にはラップが取れたりしているので、次の段階では(スイッチを)コントロールできるようにしたい。

コースを離れていたこの8年で、コースセッティングも用具も様変わりした。特にコースセットはポールの間隔が1・5~1・8メートル狭まり、振り幅も大きくなったという。

佐々木 別の種目を始めた感覚。コースはトリッキーだし、対応するためのスキー板は、反応が速く、進化している。その速い板をさらに走らせるパワーも必要。ただ40歳の自分でも、試合を数多くこなせば、いつか、“ポン”と(レースの上位に)出てこれる感覚はある。勇気は必要だけど、人生は1回。あと3年は、絶対にやめないよ。

◆佐々木明(ささき・あきら)1981年(昭56)9月26日、大野町(現北斗市)生まれ。大野中-北照高-日体大(中退)。全国高校スキーは高2で大回転、高3で回転優勝。W杯では03年ウェンゲン、06年シュラドミング、志賀高原の3大会で日本男子史上最高の2位。14年2月のソチ五輪後に競技スキーを引退し、エクストリームスキーに転向。昨年3月に競技スキー復帰を表明。182センチ、83キロ。