バレーボールの元女子日本代表監督で、かつての名門の日立などを率いた米田一典(よねだ・かずのり)氏が26日午後1時42分、肺がんのため仙台市の病院で死去した。61歳。広島市出身。自宅は非公表。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。

 広島・崇徳高から法大を経て日立のコーチとなった。女子日本代表でコーチを務め、故山田重雄監督の下で1976年モントリオール五輪は金メダル、84年ロサンゼルス五輪は銅メダルを獲得した。

 代表監督では大林素子選手らを率いた92年バルセロナ五輪で5位だった。2001年5月に経営合理化のため廃部した日立で最後の監督となった。

 05年に高松市で地域密着型の女子のクラブチーム「四国エイティエイツクイーン」を設立。企業スポーツから脱却した新たな運営を模索したが資金難となり、11年に本拠地を仙台市に移転した。最近は療養生活が続いていた。