<名古屋国際女子マラソン>◇8日◇名古屋・瑞穂陸上競技場発着

 初マラソンの藤永佳子(27=資生堂)が2時間28分13秒で優勝して、今年8月の世界選手権(ベルリン)の代表に内定した。レース中盤で先頭集団から離されたものの粘りを発揮し、37キロ手前でトップに立つと、そのまま逃げ切った。代表内定は尾崎好美(第一生命)渋井陽子(三井住友海上)に続く3人目。高3で99年の世界選手権(セビリア)5000メートルに出場しながら、度重なる故障に泣かされてきたかつての「天才少女」が、10年ぶりの大舞台に挑む。

 苦しみ抜いた末に、最高の喜びが待っていた。藤永はゴールを駆け抜けると、泣き顔で弘山監督の胸に飛び込んだ。「素直にうれしいのひと言です。支えてくれた皆さんのおかげで走りきれました」。10キロすぎで先頭集団から遅れ、追いついて、また24・5キロ付近で遅れた。それでもあきらめない。37キロ手前で新谷を抜き去り、トップに立った。競技生活を象徴するような七転び八起きのレースで栄冠を勝ちとった。

 99年の世界選手権5000メートルに出場し「天才少女」と呼ばれた。資生堂入り後も、弘山監督から「モノが違う」と期待されたが、挫折ばかりだった。「疲労骨折とか脱臼とか…(ケガは)あらゆるのをやりました」。故障で練習できず、焦る日々。周囲から「お前ならできる」と声をかけられるたび「そんなの分かってるよ…」。応えられない自分がイヤになり、何度も走るのをやめようと思った。

 初マラソンになるはずだった昨年1月の大阪国際も、故障でレース1週間前に辞退した。今回の名古屋国際に向けた1月の合宿中でさえ自信が持てず、弘山監督に「やめたい」と打ち明けた。2時間もかけて「マラソンを走るまで絶対にやめるな。1度走れば、見えてくるものがある」と説得された。「1キロ、1キロ、重みを感じながら走りました」と涙を浮かべた。

 感謝の思いしかない。この日の朝、関係者を通じて弘山監督夫人の晴美から手紙が届いた。「故障なく練習できたのはよかった。スタートラインに立てるのだから、思いのまま走りなさい」-。2月に一線から退くことを表明した大先輩からの言葉が胸にしみた。「一番欲しかった晴美さんの言葉だから」。資生堂のエースとして、今度は自分が引っ張っていく番だ。10年ぶりにつかんだ世界選手権切符。辛酸をなめた「元天才少女」が再び表舞台に躍り出る。【北村泰彦】