水泳界にも長友がいた!

 オープンウオーター・スイミングで日本人初の五輪出場を決めた男子の平井康翔(22=明大)と女子の貴田裕美(きだ・ゆみ、26=ALSOK群馬)が12日、世界最終予選の行われたポルトガルから成田空港へ帰国した。平井は、同じ明大出身のサッカー日本代表DF長友に似たガッツあふれる風貌。イタリアで武者修行するなど本家さながらの行動力にハングリー精神も旺盛だ。世界で戦う先輩に負けじと、五輪の舞台で「歴史に名を刻む」と鼻息が荒い。

 短髪で動物的な雰囲気を醸し出す平井の風貌は、まるで長友のようだった。五輪切符をつかんでの凱旋(がいせん)帰国。五輪への抱負を問われると、力強く「歴史に名前を刻みたい」。世界有数のビッグクラブ、インテルミラノに所属し、「世界一のサイドバックになる」と公言する長友の姿がまた重なった。

 持ち前のガッツでつかんだ出場権だ。世界最終予選男子10キロ。日本水連の選考基準は9位以内だった。だがスタート直後、隣の選手の手が顔面を直撃。ゴーグルがずれ海水が入り、右目は見えなかった。何度もあきらめかけたが「大丈夫だ、大丈夫だ」と自らを鼓舞した。終盤まで順位は20位台半ば。そこから驚異的な追い込みでごぼう抜きし、6位に入った。

 長友とは少なからず縁がある。大学を広報するポスターだ。北京五輪を経て、日本代表まで上り詰めた長友は3年前に起用された。その「大学の顔」を、平井は勝手に熱望。広報事務局を訪れ「どうすればポスターになれますか?」。冗談でなく、本気だった。「国際大会で表彰台に上がれば」と回答を得ると、昨年の世界ユニバで銅メダル。オリンピックイヤーの今年、なでしこジャパンの佐々木則夫監督とともに起用された。ただ五輪出場権を得てない段階での話だ。そこは「有言実行」が座右の銘。自らを追い込み、結果を出した。

 もともと競泳の長距離選手。だが「競泳なら五輪選手は何百人いるけど、こっちは誰も手を出していない」。09年に転向すると「総合格闘技に近い」。泳ぐだけではなく、周囲と接触あり、駆け引きあり。反骨心あふれる男にはぴったりだった。昨年はイタリアへ渡り、同国代表と1カ月半合宿も経験し、地力をつけた。長友同様、母子家庭とあって「女手一つで育ててくれた。その恩返しをしたい」。ハングリー精神旺盛な男が、メダルに挑む。【佐藤隆志】

 ◆平井康翔(ひらい・やすなり)1990年(平2)4月2日生まれ、千葉県出身。市船橋高-明大。08年インターハイの400メートル自由形優勝、同年世界ジュニア6位。10年日本選手権400メートル自由形5位。09年からオープンウオーターに本格参戦、11年世界選手権男子10キロ36位。柏洋スイマーズ柏。175センチ、70キロ。家族は母、弟。

 ◆オープンウオーター・スイミング(OWS)

 海や川、湖など自然の水の中でタイムを競う水泳競技。日本では10キロ以上の種目を「マラソン・スイミング」とも呼ぶ。80年代に国際水連が競技規則を作成し、誕生。日本では95年に静岡・熱海で初めて大会が行われた。世界選手権では5キロ、10キロ、25キロの3種目あるが、五輪は10キロのみ。08年北京五輪から正式種目となった。ロンドン五輪では、市内中心部のハイドパーク内にある人工池を使用する。