東京に五輪がやってくる!

 国際オリンピック委員会(IOC)は7日(日本時間8日早朝)にブエノスアイレスで開いた総会で、2020年の第32回夏季五輪・パラリンピック大会の開催都市に東京を選んだ。64年の第18回東京大会以来56年ぶりのスポーツの祭典。最終プレゼンテーションでは、走り幅跳びでパラリンピック3度出場の佐藤真海(31=サントリー)をトップバッターに起用する秘策で「スポーツの力」を訴え、招致成功をたぐり寄せた。

 日本時間2013年9月8日午前5時21分、1枚の白い紙が、半世紀ぶりの祝祭の到来を告げた。

 「TOKYO

 2020」。

 その瞬間、ロゲ会長の前に座る招致団が、オールジャパンがはじけた。最終プレゼンターの太田はいすから跳び上がる。その後ろで滝川クリステルが泣きだしそうなかれんな表情で、喜び合う相手を探す。太田は顔を両手で覆い、チームメートの千田が、太田に笑顔で手を差し伸べた。体操女子の田中も最初は笑顔だったが、太田と抱き合うと目に涙があふれた。そして、佐藤の目にも…。招致の命運は、彼女とともにあった。

 命運を分けた最終プレゼン。東京は大胆で、緻密で、情感豊かな45分間を披露した。高円宮妃久子さまが被災地復興支援に謝意を述べられた後にプレゼンが始まった。壇上に立ったのは世界的には無名のパラリンピアンの佐藤だった。プレゼンメンバーの紹介をチアリーダー仕込みの高らかな声で、明るく華やかにスタート。

 少し間をおき、東京決定へ流れをつくったエレガントなスピーチは始まった。彼女は、「私がここにいるのはスポーツによって救われたからです」と静かに語りかけた。目線はカメラに。両端に設置されたプロンプターは見ない。フワリと黒髪を揺らしながら、カメラ越しにIOC委員1人1人に語りかける。抜てきに「自分が立場に追いついてないな」と話していた3日前がうそのよう。

 「骨肉腫で足を失ってしまいました」。右足膝下を切断したつらい過去には、言葉が詰まりそうになる。故郷の宮城県気仙沼市が東日本大震災で津波の被害を受けた。スクリーンには被災地の様子、佐藤が肉親と笑うシーンが映される。一瞬、佐藤はあふれそうになる涙に言葉が出なくなった。悲しみがあふれ出す寸前、佐藤は耐え、必死に話し続けた。

 だが、幾度もスポーツに支えられた体験をアピールするうち、自然と笑みがこぼれた。決してオーバーアクションではなく、時に胸に手を当て、かみしめるよう。実感こもる姿に、聴衆は引き込まれていった。

 人生を貫く「スポーツの力」。演技では表せない自然な笑顔、悲しい表情を交えて、約4分間。自分の人生をさらけ出し、IOC委員に届けた。「気持ちを込めて話せたな」。それは確かに人々の心を打った。

 「とても印象的(impressive)でした」。プレゼンを終え、佐藤がロゲ会長にあいさつすると、耳元で優しくささやかれた。同会長は報道陣の前では「ベリーグッド」と親指を立て、佐藤のスピーチをたたえた。モナコ公国のアルベール2世公は「エモーショナルで感動的だった。他のIOC委員にも響いたはずだ」と絶賛。それは、東京が温めた「秘策」が成就した瞬間だった。

 昨年12月だった。英語によるスピーチの実績がない佐藤を、最終プレゼン1番手で起用する案が検討された。東京が掲げる「スポーツの力」を体現する存在であり、宮城県の出身。被災地と開催地東京。その2つをスポーツで結ぶ、シンボルになれると考えたから。

 12年ロンドン、14年ソチでともに招致を成功させたプレゼン指導のプロ、ニューマン氏とバーリー氏らは議論を重ねた。日本社会に根深く残る年功序列がちらつく。「位の高い人からスピーチするのが常では」。そんな声に、日本社会の常識を打破した先に、新しい日本を作るための東京五輪があると信じた。

 佐藤が抜てきを伝えられたのは、アルゼンチンにわたる1週間前。「そんな大役…。びっくりして、できるのか心配になったけど、信じてくれる人のために頑張ろうと」。一語一語に人生が詰まる。最終プレゼン前夜にはお風呂で身ぶり手ぶりを交えて練習しながら、感情が高ぶって号泣した。「でも(涙を)出し切ってお湯と一緒に流したら、そのおかげですっきりした」。本番では「ゾーンに入っていたかな」と足も震えなかった。

 その後に登壇した猪瀬知事は「チームジャパンでバトンリレーを本当によくできた」と、佐藤の役割をたたえた。先頭でIOC委員を引き込み、皆が流れに乗った。安倍首相も懸念される汚染水問題で「状況はコントロールされている」と説明。滑らかな流れは最後までよどみなく続いた。

 決選投票の結果は、東京60、イスタンブール36。日本の常識を超えたプレゼンで勝ち取った祭典は、低迷する日本社会へのくさびになる。1人のパラリンピアンが伝えた「スポーツの力」は7年後、さらにその先まで日本を支えていくだろう。「新たな夢と笑顔を育む力、希望をもたらす力、人々を結びつける力」。五輪を引き寄せた名スピーチに、佐藤が懸命に生きてきた強さの礎が込められていた。【阿部健吾】

 ◆投票経過

 1回目の投票でイスタンブールとマドリードが26票で2位タイ。どちらかを除外するために2カ国での除外決選投票が行われ、イスタンブールが過半数を取り、東京との開催都市決選投票に進む。開催都市決選投票で投票数が96になったのは除外されたスペインの委員3人が投票に加わり、そのうちの1人が欠席したため。