再び東京の地に、ひづめの音を刻む可能性が出てきた。馬術で64年東京五輪に初出場した「じいじの星」、法華津寛(72=アバロン・ヒルサイドファーム)が、16年リオデジャネイロ五輪への挑戦を明言。さらに、2回目の東京五輪出場も前向きに目指していることが分かった。同じ開催地での五輪に2大会とも出場することになれば、日本人選手としては史上初。喜寿を超えた79歳のサムライが、前人未到の大記録に、挑むことになる。

 透き通るような青空の下、ブーツを履き、しゃきっと背筋を伸ばした法華津が馬場に立った。白髪をきれいになでつけ、72歳には到底思えない若々しい姿。「どうかな。それ(20年)まで馬に乗っていられるかな。生きていたら、乗っているでしょう。競技をしているかは分からない。東京で始まり、東京で引退、が一番なんだろうけど」。ゆっくりと話し出した。

 東京開催決定を知ったのは、今年3月から拠点にするオランダの自宅だった。CNNの生中継にチャンネルを合わせると、投票でマドリードが落選した瞬間だった。「これは、イスタンブールになるのかな」。一瞬、悪い予感が頭をよぎったが、その後のロゲ会長の会見で歓喜に変わった。「これは大変だ。すごいことだ」。うれしさのあまり、1人でシャンパンを抜き、飲んだという。

 79歳での五輪出場も、夢物語ではない。72歳の現在も競技を続けている。毎日、馬に乗り、成長し続けている実感がある。「自分が少しでも進歩していると思われる間は、たぶん続けると思います」。16年リオデジャネイロ五輪に向けては「リオは多分、やれるでしょうね」と明言。来年の世界選手権にも参加する予定だ。

 64年東京で23歳、補欠だった84年ロサンゼルス五輪は43歳、馬が検疫で引っかかり出場できなかった88年ソウル五輪は47歳。08年北京で67歳にして代表に復帰し、12年ロンドンは71歳。20年東京五輪への挑戦は、リオ五輪後に、もう1度再考することになる。「人間だけではなくて、五輪に出場できる馬との出会いもよくないといけないことだから」と冷静に話していた。

 周囲の人に頼んでいることがある。以前、トレーナーを務めていた人物には「(乗馬姿が)年寄りくさくて、みっともなくなったら、言ってくれ」と伝えている。もし指摘されたら。「やめる。体が思うように動かないとか、そうなったらやめると思う」。自分の美学を貫くつもりだ。

 五輪に出場し、最高齢記録を塗り替えるたび「じいじの星」と言われてきた。東京五輪に再び出場することになれば、日本中、世界中から応援される「みんなの星」として輝くだろう。(エリーヌ・スウェーブルス通信員)

 ◆法華津寛(ほけつ・ひろし)1941年(昭16)3月28日、東京都出身。中学1年から乗馬を始めた。五輪は64年東京で初出場。88~92年の全日本馬場馬術選手権を、同一人馬で5連覇。慶大卒業後、日本石油などを経て、米国のデューク大大学院を卒業し、外資系製薬会社社長を務めていた。03年に社長を引退。その後、五輪への再挑戦を決意し、再び活動を再開。所属はアバロン・ヒルサイドファーム。家族は妻と長女。168センチ。