仁川アジア大会水泳会場でカメラを盗んだとして略式起訴された競泳男子の冨田尚弥(25)が6日、名古屋市内で弁明の会見を開いた。競泳会場で見知らぬ人物からバッグにカメラを「入れられた」と窃盗行為を否定。韓国・仁川南部警察から窃盗を認めなければ帰国できないと脅されたと主張した。また、警察から見せられた防犯カメラの映像には、盗んだ瞬間は写っていないとした。

 冤罪(えんざい)なのか、それとも荒唐無稽のうそなのか。冨田の弁明会見の注目度は高く、約100人の報道陣が集結した。冒頭に配られた資料には、冨田が「急性ストレス反応」と診断された文書も加えられた。約30台のテレビカメラに取り囲まれた冨田は「僕はカメラを盗んでいません」と弁明を開始。アジア系で日焼けした人物にバッグを奪われ、カメラを入れられたが「ゴミと勘違いして(選手村に)持ち帰った」と窃盗行為を否定した。

 事件の翌日、韓国の仁川南部警察から任意の取り調べを受けた。そこで警察官から「素直に応じれば、刑が軽くなって大ごとにならない。応じなければ帰国できず、韓国に残らなければならない」と脅されたと主張。「心の弱さ」があり、警察官の言うがままに窃盗行為を認めたという。「強い意志を持って『やってない』と言えば良かった。自分の心の弱さで迷惑を掛けた」と頭を下げた。

 取り調べでは、盗んだ瞬間の防犯カメラの映像を見せられ、自供したと言われている。「防犯カメラの映像はスマートフォンで見せられた。映像はぶれて見にくかった」と盗んだ瞬間の映像の存在を否定。「(盗んだ瞬間の)映像があるなら(警察が)作るしかないし、もう準備をしているのかな」と捏造(ねつぞう)を疑うなど、捜査当局への不信感をあらわにした。

 日本水泳連盟からは16年3月31日までの選手登録停止の処分を受けたが、不服申し立てはしていない。矛盾ともいえるが、争うことで、トップ選手に育ててくれた同連盟に迷惑を掛けたくなかったという。「上野先生(競泳委員長)と平井先生(監督)を信頼しているから」と涙を流しながら言った。

 代理人の国田武二郎弁護士は今後、韓国の捜査当局に再捜査を求めるか、検察に再審請求する可能性を示唆した。もっとも韓国の裁判費用は日本より高額なため、冨田本人、家族と話し合って対応を決める。アジア大会から帰国後、冨田は部屋にこもりきりの生活で体重は5キロ減った。「これから裁判となれば時間もかかる。これからきつい練習をする心は出てこない」と現役引退も示唆。スピード解決したはずの窃盗事件が、韓国との国際問題に発展する可能性も出てきた。

 ◆冨田尚弥(とみた・なおや)1989年(平元)4月22日、愛知県生まれ。200メートル平泳ぎを得意とし、かつては北島康介の後継者候補として注目された。10年広州アジア大会で金メダル。09、11年世界選手権代表。豊川高、中京大を経てデサントの契約社員として競技を続けていたが、仁川アジア大会から帰国後の10月7日付で解雇された。174センチ、74キロ。<冨田問題経過>

 ▽9月24日

 アジア大会男子100メートル平泳ぎで、冨田は4位入賞。

 ▽25日

 冨田が競泳会場のプールサイドの記者席から、カメラの望遠レンズを外し、800万ウォン(約83万円)相当の本体を盗んだ(後日、冨田は否定)。カメラをなくした聯合ニュース(韓国)のカメラマンは、警察に盗難を申し出た。

 ▽26日

 冨田は男子50メートル平泳ぎで予選敗退。監視カメラの映像から、冨田が浮上。韓国警察から聴取された冨田は、JOC職員立ち会いのもと容疑を認め「カメラを見た瞬間、欲しくなった」と供述。

 ▽27日

 JOCは、規律違反があったとして冨田を日本選手団から追放。事情聴取の結果が出るまで、冨田は選手村で謹慎。

 ▽29日

 仁川地検が、冨田を窃盗罪で罰金100万ウォン(約10万円)の略式起訴処分とした。冨田は即日納付。この日までに冨田が被害者に直接謝罪し、両者の間で示談が成立した。

 ▽10月1日

 冨田は韓国・金浦空港を出発する際「僕やってないです」と発言。到着した羽田空港では「このたびはお騒がせして、誠に申し訳ありませんでした」と頭を下げたが、金浦空港での発言の真意を問われても無言。デサントは契約社員の冨田を1日付で謹慎処分とした。

 ▽7日

 所属のデサントが冨田を解雇。

 ▽30日

 日本水泳連盟が16年3月31日まで選手登録停止とする冨田への処分を決定。被害者が「選手生命を奪わないでほしい」と要請したため16年リオデジャネイロ五輪前までの登録停止とした。冨田は処分に不服申し立てはしなかったが、代理人弁護士は11月6日に弁明会見を開くと発表。

 ▽31日

 仁川南部警察は、防犯カメラの映像に冨田が盗んだ場面が写っていると証言。冨田も映像を確認し「僕で間違いありません、すみませんでした」と認めていたと明かした。

 ▽11月6日

 冨田が弁護士とともに弁明会見。