92年バルセロナ五輪の男子バレーボール代表の大浦正文(おおうら・まさふみ)さんが20日午前、胃がんのため都内の病院で死去した。44歳だった。約2年前から体調を崩しがちになり、10月からは勤務先の長崎県立壱岐商を休職し、治療に専念していた。

 大浦さんは長崎県対馬市出身。長崎商卒業後、88年に日本リーグ(Vプレミアリーグ)サントリーへ入社した。同期にはサントリーのアドバイザー荻野正二氏らがいる。跳躍力のあるウイングスパイカーとして活躍し、日本代表として89、91年W杯、90年世界選手権に出場。バルセロナ五輪では6位入賞に貢献した。

 サントリーを退社後には指導者を目指し、97年4月には母校・長崎商の実習助手に就任した。長崎大経済学部に入学して商業科の教員免許を取得すると、02年4月から教壇に立ち長崎南商、島原商などで指導した。04年からは全日本ユース代表コーチに就任し、07年から10年まで同監督を務めていた。

 昨年4月に赴任した壱岐商の関係者によると、明るくて優しい、生徒に人気のある先生だったという。教師の仕事の一方で、バレーボールの普及にも力を入れており、子どもを対象にしたバレーボール教室も行っていた。またオリンピアンとしても活動し、休職直前の今年9月には都内の小学校で「夢をつかむには」と題して講演も行っていた。

 通夜は22日、告別式は23日、出身地の対馬市で近親者による密葬で行われるという。