ラグビー解説者・村上晃一氏(54)が、過去のW杯の名勝負、名シーンを紹介するシリーズ最終回は「ワールドカップ(W杯)の異様な空気。NZ24年ぶりのV」です。

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世界最強の名をほしいままにするニュージーランド(NZ)代表「オールブラックス」にも苦難の時期があった。1987年の第1回W杯以降は優勝から遠ざかり、2007年フランス大会では準々決勝でフランス代表に敗れ、初めてベスト4に残ることができなかった。優勝候補筆頭に挙げられていただけに、ピッチに座り込む選手たちの姿は痛々しかった。

主将は26歳のリッチー・マコウ。2006年には世界最優秀選手に選ばれたフランカーは、記者会見で落胆のあまり両手で顔を覆った。翌日、ラグビー王国NZは喪に服したかのように静かだったという。2011年の第7回大会は、24年ぶりにNZに戻ってきた。第1回大会はオーストラリアとの共催だったが、この大会は単独開催である。

13年来日したときのニュージーランドのマコウ主将
13年来日したときのニュージーランドのマコウ主将

ホームの熱狂的なサポートを受け、オールブラックスは1次リーグ(L)でトンガ代表、日本代表を破り、難敵のフランス代表をも退ける。悲劇が起きたのは、1次L最後のカナダ代表戦前の練習だった。優勝のキーマンとして期待されたSOダン・カーターが練習中に足の付け根を痛め、大会期間中の回復が絶望となったのだ。

これが試練の始まりだった。2番手のSOコリン・スレイドも準々決勝で負傷退場。準決勝以降は追加招集のSOで戦うことになった。スケートボードで遊んでいた時に電話があったアーロン・クルーデン、釣りの最中に呼び出されたスティーブン・ドナルドである。

10月23日、決勝戦が行われるオークランドのイーデンパークは異様な興奮状態に包まれていた。相手は1次Lで快勝したフランス代表だ。ところが、オールブラックスの選手たちの表情が硬い。観客も心配そうだ。NZは不運続きのうえ、フランス代表は2007年大会でNZ国民を沈黙させたチームである。不安が募るのも無理はなかった。筆者はテレビの解説者席にいたが、試合前に緊張のあまり嘔吐(おうと)するSHピリ・ウィップーを見た。自国開催で勝つことは、それほどまでにプレッシャーのかかることなのかと胸が締め付けられる思いだった。

予想通り、オールブラックスは大苦戦となった。前半15分、ラインアウトからプロップのトニー・ウッドコクがトライを奪ったが、プレースキッカーを務めたSHウィップーはトライ後のゴールを外し、その後、2本連続でPGを外した。表情はこわばっていた。

そして、前半33分、アーロン・クルーデンが負傷退場する。登場したのは4番手のSOドナルドだ。後半8分、そのドナルドにPGの機会が巡った。観客は固唾(かたず)をのみ、祈るように見守る。ゴールが成功した瞬間割れんばかりの大歓声が沸き上がった。

スコアは8-0。直後にフランスがNZのミスを突いてトライし、8-7の1点差となる。張り詰めた空気がスタジアムを支配した。ここからオールブラックスは、なりふり構わずボールをキープする作戦に出た。観客は総立ちで「オールブラックス」を連呼する。

緊迫感ある戦いは、そのまま終了。約6万人を収容したイーデンパークが歓喜に揺れた。その場にいて崩壊の恐怖を感じたほどだ。ラグビーW杯で勝つことは難しい。その重みを痛感する24年ぶりの優勝だった。

◆村上晃一(むらかみ・こういち)1965年(昭40)3月1日、京都市生まれ。10歳でラグビーを始め、京都・鴨沂高、大阪体育大学でプレー。現役時代のポジションはCTB、FB。卒業後にベースボール・マガジン社に入社し、「ラグビーマガジン」編集長などを歴任。98年に退社し、その後はフリーとして活動。J SPORTSのラグビー解説も務めている。