日本テレビは、ラグビー人気が低迷した07年ワールドカップ(W杯)フランス大会から4大会連続で放送権を獲得した。9月開幕の日本大会では、日本戦を含む19試合を生中継する。「スポーツの日テレ」と呼ばれた民放の雄が、なぜ、ラグビーなのか? 「W杯と日本テレビの深イイ話」第1回は、チャレンジ精神。07年にスポーツ局のW杯チーフプロデューサーで現事業局長の今村司氏(58)に当時の思いを聞いた。

      ◇       ◇

12年前-。テレビ朝日が世界水泳、TBSが世界陸上、フジテレビが世界柔道など、他局が各競技の国際大会の放送権を獲得してカラーを押し出した。そんな中、日テレは06年第1回WBCを放送後に手放すこととなり「世界的イベント」を失った。今村氏は「『スポーツの日テレ』がなくなるという強い危機感があった。世界的な大会を模索して、その答えがラグビーだった」と思い返した。

70年代後半から90年代にかけて、新日鉄釜石の日本選手権7連覇や早慶戦などの伝統校同士のラグビー人気を受け、「潜在能力」を感じていた。W杯は、オリンピック(五輪)とサッカーW杯と並ぶ世界3大イベントでもあり「強豪国に勝つなど何かをきっかけにブレークする可能性はある。日本で過小評価されている今こそチャンス」と捉えて反対意見もある中、放送権獲得に尽力した。


日本戦を含む10試合を中継することが決まったが、試行錯誤の日々が続いた。ラグビー低迷期で大半の制作スタッフが選手名やルールなどについて無知だった。定期的に勉強会を実施し、担当スタッフは現在も発行するA3用紙1枚の局内新聞「ラグビー通信」を製作して周知した。「第1回の箱根駅伝のようで、分からないことだらけだった。そのため、知らないことを武器に視聴者と一緒にラグビーを学ぶことを心掛けた」。実況の鈴木健アナらにスポーツ中継では異例の「驚くこともあり」と伝え、不明なことは解説の薫田真広氏らに聞いて、質問攻めにした。知らないことを恥じない精神で臨んだ。

07年9月26日未明のカナダ戦で“事件”は起きた。同局は過去のW杯全試合を調査し、尺を調整するため8分遅れで放送した。しかし、後半、初導入されたビデオ判定に時間を要し、試合結果が放送枠に収まらない可能性が出て、急きょ、生中継に切り替えた。そのため、後半ロスタイムにCTB平浩二が奪ったトライが画面から消え、12-12の同点ゴールシーンが流れた。試合終了後、CM明けの10秒間に消えたトライシーンを再生した。「過去」と「今」が入れ替わった形となったが、そのまま放送を続けたら同点シーンは放送枠に収まらなかった。今村氏は言った。「現場としては最高の判断だった。失敗を繰り返して今がある。ラグビーの価値や可能性を感じた瞬間だった」。民放の雄の挑戦は始まったばかりだった。【峯岸佑樹】

◆日本テレビの年間視聴率 18年度(18年4月1日~19年3月31日)の平均視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区)は、全日(午前6時~翌午前0時)が7・8%、ゴールデン(午後7~10時)が11・9%、プライム(午後7~11時)が11・5%。各時間帯においてNHK、民放キー局を通じて首位で、5年連続3冠王を達成した。

日本テレビの各所に貼られている「日テレラグビー通信」
日本テレビの各所に貼られている「日テレラグビー通信」