かつて新日鉄釜石(当時)が日本選手権7連覇を成し遂げるなど、「ラグビーのまち」と称された岩手県釜石市から、日本、そして世界に向けて力強いメッセージを発信した女子高校生がいる。昨年8月19日、新設された釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムの完成記念試合で、「キックオフ宣言」を行った岩手・釜石高3年の洞口留伊さん(17)。「言葉の力」を実感しながら、希望に満ちた将来に向かって歩みを進める。

  ◇   ◇   ◇  

「私は、釜石が好きだ」で始まるキックオフ宣言は、聞く人の心を揺さぶった。昨年8月、釜石鵜住居復興スタジアムのこけら落としとして行われた釜石シーウェイブス-ヤマハ発動機戦。オープニングセレモニーに登場した洞口さんは4分間に思いを込めた。「当時の私に『この町にラグビーワールドカップがやってくるよ』と伝えても、きっと信じてくれないだろう」。緊張は全くしなかった。「たくさんの人に見られていることより、自分の思いを発信することに集中していた」。セーラー服の女子高生の言葉に、震災を知る誰もが共感し涙した。

小3の時に被災し自宅は津波で流された。小学校、隣接する中学校はともに全壊。周囲一面がれきの山で、3階建て校舎の屋上に乗用車が乗り上げた光景は忘れられない。それでも「筆記用具もランドセルも流されてしまったけれど、援助のおかげでちゃんと学校生活を送ることができた」と前を向いてきた。スピーチに英語を加えたのも「世界中から支援してくれた人にも感謝を伝えたかった」という思いからだった。そしてスタジアムは小中学校の跡地に建てられた。「最初は自分の学校が取り壊されることに抵抗があった」が、今は受け入れられるようになった。「釜石のラグビーを知ろうと思った。復興のシンボルでもあり、世界中の人に注目される」。

中2の時、釜石東ロータリークラブが募集した15年ワールドカップ・イングランド大会の親善大使に選ばれた。日本-スコットランド戦が、初めて生で見るラグビーだった。「体と体がぶつかって、かっこよかった。試合が終わった後の握手にも感動した。初めてノーサイドという言葉を知りました」。相手サポーターとごみ拾いをしてから会場を後にした。

スピーチは自らの進む道をも変えた。震災で音信不通だった旧友たちから連絡が届き再会することができた。当日ピッチにいたヤマハ発動機の五郎丸歩(33)は、NHK「鶴瓶の家族に乾杯」で、自ら熱望し会いに来てくれた。「話を聞いていて思いが伝わってきたよ」と言われてうれしかった。キャビンアテンダントになる夢は、アナウンサーに変わった。「発信することの大切さや喜びを感じた。自分を変えてくれたラグビーもいつか取材したい。災害とかでもリポートだけではなく手伝えることは何でもしたい」とはにかんだ。

釜石では9月25日にフィジー-ウルグアイ、10月13日にナミビア-カナダが行われる。「自分はイングランドで温かく迎えてもらった。日本語で話しかけられたり、一緒に君が代を歌ってくれる人もいた。安心して過ごしてもらえるようにしたい」。英語だけではなく各国の言葉を少しでも覚えて、当日を迎えるつもりだ。スピーチでの結びの言葉は自らにも重なる。「このスタジアムはたくさんの感謝を乗せて、いま、未来へ向けて出航していく」。【野上伸悟】

◆洞口留伊(ほらぐち・るい)2001年(平13)9月24日生まれ、岩手県釜石市出身。鵜住居小-釜石東中-釜石高3年。小5から野球を始め、中学でソフトテニス、高校でソフトボール部。ヒップホップダンスチーム「いがったんたら」にも所属。新日鉄釜石往年の名プロップ洞口孝治さん(45歳で死去)とは縁戚関係にはないが「すごい選手だったとお聞きしました。たくさんの人から聞かれて、つながりで覚えてもらえるのはうれしいです」。同じ岩手県出身のフジテレビ久慈暁子アナウンサーに憧れる。家族は両親と弟。