早大出身の増保輝則(47)は、戦後最年少(当時)となる19歳3カ月で日本代表に選出され、ワールドカップ(W杯)は3大会に出場した。現在は大会アンバサダーとして普及活動する中で、必ず伝えているラグビーの魅力がある。

  ◇   ◇   ◇  

日本代表ジャージーを着て豪快に駆けた大型バックスは今、全国津々浦々を大使として駆けている。増保はそこで、ラグビーの特徴を示した5つの価値を伝えている。

「品位」「情熱」「結束」「規律」「尊重」

「ラグビー憲章といって、(国際連盟の)ワールドラグビーは公式に定めているものです」。プレーし、指導し、競技規則を作り、適用する際の基本原則を網羅する5つの言葉で、それが最も知ってほしいことだという。「現役の時は知ってましたけど、なかなか意識は…。引退して良さを考えた時に再認識しましたね。なかなか他のスポーツにない」。講演などで口にし、草の根的に広めている。

今思い返すと、初海外遠征の地から体験していた。90年に高校日本代表の主将として訪れたのは、伝統国スコットランド。「すごいもてなしをしてもらった」と感謝する。前年89年に日本代表が同国代表に歴史的勝利を挙げていたが、敵対心より温かさを感じた。いい宿を用意してもらい、ジュニア世代にもかかわらず、6万人以上収容のマレーフィールドで試合もさせてもらった。そこには「品位」であり「尊重」があった。「年齢とか関係なかった。文化を感じましたね」。若くして、本場でこの競技の本質に触れた。

90年に早大に入学後、その才能ですぐに日本代表へ。91年のW杯初戦は前年に経験していたマレーフィールドでのスコットランド戦だった。唯一の10代選手は「緊張感がすごくてフワフワして。試合の記憶がまったくない」と回顧するが、その後の記憶は鮮明だ。試合後に行われた「アフターマッチファンクション」。長机に両軍向き合い、2時間以上の夕食をする「当時はまだアマチュアの慣例でちゃんと食事をした。それで一気に仲良くなる」。それが文化だった。

もともと87年の第1回大会をテレビ観戦し、ひかれたのがスコットランドだった。特にギャビン・ヘイスティングス。当時は珍しい大型FBの芸術的なキック、躍動感のとりこになった。高校での初遠征、W杯初戦での感慨はひとしおだった。そして今年は、日本代表が1次リーグの最終戦で同国と対決する。「チャンスは十分ある。いかに相手の選択肢を絞るために接戦をしていくか」。憲章に掲げる5つの価値を体現しながら、勝利することを願っている。【阿部健吾】(敬称略)

◆増保輝則(ますほ・てるのり)1972年(昭47)1月26日、東京都生まれ。城北中2年でラグビーを始める。城北高3年時には高校日本代表主将を務める。早大から94年に神戸製鋼入社。現役引退した04年から06年度まで監督。ポジションはWTB。W杯は91、95、99年大会に出場。日本代表キャップ47。