15年ワールドカップ(W杯)後に就任した日本代表ジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチ(HC、49)は、選手の自主性を尊重しながらチームを作り上げてきた。時に「忍耐力」が必要な方針の土台にあるのは、ニュージーランド(NZ)南島にあるダニーディンでの生活だ。選手、指導者として人口約12万人の地で過ごし、育まれたものを回想と周囲からの目線で掘り下げる。【取材・構成=松本航】

ジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチ
ジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチ

今年4月、ジョセフHCは日本代表候補「ウルフパック」の遠征で、愛着あるダニーディンを訪れた。世界一急な坂として有名な「ボールドウィン・ストリート」など坂が多く、高台から見下ろす海が美しい。そんな町の空気を吸い、自然とあふれる感情があった。

ジョセフHC ラグビー人として、ここで学び、育った。学んだことは忍耐力。ミスを受け入れることも知った。人間的に成長し、オールブラックスにふさわしい人間になれたと思う。

16年秋、前年W杯の躍進で注目されていた日本代表のHCに就任した。特徴は、選手に考える機会を与え、自主性を尊重しながら1つのチームを作り上げる点。コーチ、選手に委ねる機会が多い分、安易に口は挟まない。ダニーディンはスコットランドからの移民によって発展を遂げた歴史があり、そこで自然と育まれたのが「忍耐力」だった。

ジョセフHC 謙虚であり、保守的というか、そんなに我(が)が強くない町。だから衝突、争いというより勤勉で、誠実。そんな文化、空気の中で「過ちがあってもいいんだよ」というのを学ぶことができた。

同地のオタゴ大を卒業した89年からはオタゴ州代表としてプレー。92年にデビューしたNZ代表で20キャップを積み上げた。95年から在籍したサニックスでは、日本代表として99年W杯に出場。196センチ、110キロのパワフルな動きに加えて、持っていたのは異なる文化への順応力。その柔軟さが指導者で生かされる。

ダニーディンの象徴であるオタゴ大は今年、創立150周年を迎えた。NZ最古の大学が生んだ名選手に、元NZ代表主将デビッド・カーク氏(58)がいる。87年の第1回W杯で優勝杯「ウェブ・エリス・カップ」にキスをした名場面の主役は、部の後輩であるジョセフHCを冷静に評した。

カーク氏 以前はプレー同様にガツガツといき、周りに「こうすべきだ」と正す印象があった。今はコーチとして学び、率いるチームによって指導を変えている。だから、期待ができる。日本はHCに関し、いいチョイスをしたと思う。

03年に指導者へ転身したジョセフHCはウェリントン代表、NZマオリ(現マオリ・オールブラックス)などを指揮し、11年からダニーディンが本拠地のスーパーラグビー「ハイランダーズ」のHCに就任。15年は優勝し、カーク氏は「オタゴはいい選手を育てるコーチが集ってくる。これは僕らの時代からずっと変わらない」と目を細めた。ジョセフHCも1度は巣立ち、指導者で戻った1人だ。

オタゴ大クラブハウスに掲げられた、NZ代表経験者のプレートには「1989 J・W・JOSEPH」と刻まれている。ダニーディンで育んだ人間性は世界の扉を開き、指導者としての太い軸を作り上げた。

◆ジェイミー・ジョセフ 1969年11月21日、ニュージーランド・ブレナム生まれ。89年にオタゴ大を卒業。92年にNZ代表デビューし、95年W杯準優勝。95~00年はサニックスに所属。日本代表として99年W杯に出場するなど9キャップ。ポジションはフランカー、NO8。家族は妻と1男3女。足のサイズは32センチ。196センチ、110キロ。