敵陣深くでリーチがスクラムを選択。右タッチ際から左へ展開し、立川の飛ばしパスを受けたマフィが相手を引きつけ、大外で待つヘスケスへ。途中出場のトライゲッターは、相手のタックルを受けながら、インゴール左端に体ごと飛び込んだ…。34-32。日本ラグビーの歴史が動いた。

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15年9月19日、ラグビーW杯イングランド大会 日本対南アフリカ 終了間際、劇的な決勝トライを決めるヘスケス(撮影・PIKO)
15年9月19日、ラグビーW杯イングランド大会 日本対南アフリカ 終了間際、劇的な決勝トライを決めるヘスケス(撮影・PIKO)

今回のワールドカップ(W杯)日本代表で、あの南アフリカ戦のピッチに立っていたのは、堀江、田中、リーチ、松島、トンプソン、ツイ、稲垣、マフィ、田村の9人。4年間でメンバーは大きく変わった。だが、「スポーツ史上最大の番狂わせ」と世界から称賛された一戦は、次の世代の選手が進むべき道を、明るく照らし続けてきた。 当時、帝京大4年で、常勝軍団の主将を務めていたのが坂手。寮の部屋で興奮のあまり眠れずに朝を迎えると、岩出監督から声をかけられた。「この試合はチーム全員で見よう」。集合した食堂には、1学年下の姫野の姿もあった。エディー・ジョーンズHCから代表合宿に呼ばれた経験を持つホープも、当時は足のけがに悩まされていた。「プレーできていれば、もしかしたらあそこに自分も…」。悔しさはあった。だが、それ以上に日本人として誇らしかった。「4年後、日本大会は、絶対に自分が出る」。覚悟を決めた。

サントリー入社2年目の中村は、都内のスポーツバーで試合を見た。代表落ちした胸のつかえは、自らの未熟さを認めることで消えた。「今の自分のレベルではこの場では戦えない。ふに落ちたというか、自分にフォーカスすることで納得できた」。足りないものと向き合い、4年後へと視線を移した。

4年前、ジャージーをもらえず、スタンドから声をからした福岡は、世界から認められるトライゲッターへと成長した。控えだった田村は、絶対的な司令塔として、攻撃のタクトを振り続けてきた。再戦を前に、堀江は言った。「あれはもう過去の栄光だと思っている」。4年間、立ち止まることなく歩んできた自負が、短い言葉ににじみ出た。

日本が世界で勝てない時代から代表として戦ってきた堀江、田中、リーチらが新たな歴史をつくった。そして、彼らの背中を追いかけてきた選手たちが、今月20日、桜のジャージーをまといW杯の舞台に立つ。1つの勝利が、日本ラグビーを変えた。次なる標的は、強豪アイルランド、スコットランド。「あのアイルランド戦が」「あのスコットランド戦が」-。語り継がれる勝利が、また次の世代へとバトンをつなぐ力となる。開幕まで、あと13日だ。【奥山将志】