ワールドカップ(W杯)へ準備を進める日本代表のジャージー左胸には、桜のエンブレムが描かれている。その起源は1930年(昭5)9月、ブリティッシュ・コロンビア戦(カナダ・バンクーバー)。日本ラグビー初となる代表チームが付けた「桜」は、つぼみ、半開き、満開だった。それから約90年。現在は満開となった「桜」の重みを背負い、31人は20日開幕のW杯日本大会を戦う。

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下鴨神社「秀穂舎」に展示されている1930年の初代日本代表ジャージー(撮影・松本航)
下鴨神社「秀穂舎」に展示されている1930年の初代日本代表ジャージー(撮影・松本航)

つい1カ月ほど前、60~70年代の日本代表エースWTB坂田好弘(76=関西協会会長)は言葉を失った。赤と白の横じま、左胸にはエンブレム。それはレプリカで見ていた、つぼみ、半開き、満開の「桜」だった。

坂田 昔から日本は小さかったけれど、我々の時代も、代表として「桜」に誇りを持って戦ってきた。まさか、日本で最初のジャージーが残っているとは…。

下鴨神社「秀穂舎」に展示されている1930年代のものとみられる日本代表ブレザー(撮影・松本航)
下鴨神社「秀穂舎」に展示されている1930年代のものとみられる日本代表ブレザー(撮影・松本航)

現在、世界遺産の下鴨神社(京都市左京区)資料館「秀穂舎」に展示されているジャージーは、1930年9月のカナダ遠征で着用された。同遠征メンバーで84年に死去した鈴木秀丸のものを、息子の武村秀夫(元法大監督)が大切に保管してきた。坂田はそのジャージーを見つめると、73年10月の英国遠征(ウェールズ、イングランド戦)前、元監督の大西鉄之祐から聞いた話を重ね合わせた。つぼみのジャージーを手にした大西に「これが、なぜつぼみか分かるか? 先輩方は『(ラグビーの母国である)イングランドと戦う時に満開にしよう』という思いだった」と説明された記憶がある。

坂田 その時の大西さんの話で、初めて桜の物語を知った。「すごいな」と思って、鮮明に覚えている。

下鴨神社「秀穂舎」に展示されている1930年の初代日本代表ジャージー(右)と現在のジャージー(撮影・松本航)
下鴨神社「秀穂舎」に展示されている1930年の初代日本代表ジャージー(右)と現在のジャージー(撮影・松本航)

なぜ、桜だったのか。そこには初代日本代表監督を務めた香山蕃(しげる)が「正々堂々と戦い、敗れる際には美しく敗れよ」という思いを込めたとされる。だが、実際に満開となったのは1952年(昭27)、戦後初の代表戦として英国の名門オックスフォード大を日本に迎えた時だった。坂田が代表初の英国遠征に参加した21年前。諸説あり、真相こそ不明だが、日本が初めて英国のチームと戦ったタイミングだった。

以来、満開となった桜のジャージーは、日本を背負う男たちの喜怒哀楽を包み込んできた。南アフリカから歴史的勝利を挙げた15年W杯で、その重みは世界にも認められた。「空飛ぶウイング」と評され、12年に日本人で初めて国際ラグビー殿堂入りしたレジェンドにとっても、親しみある「桜」に特別な思いを抱く。

坂田 桜の重みが軽くなった時期もあった。でも今の日本代表は、そのジャージーを奪い合うようになった。(W杯メンバー)31人は、その重みに耐えられる選手。ジャージーの重さは量っても同じ重さでしょう。でも、着た時には重みが違う。プライド、責任…。それを感じられる人が、着るジャージーだと思う。

8月29日、都内で行われた日本代表のW杯メンバー発表会見。ジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチ(49)は「桜のジャージーに袖を通す31人」という表現を用い、1人1人の名前を読み上げた。桜に込められた先人の思いは、さらに重みを増して、受け継がれていく。(敬称略)【松本航】