東北地区大学ラグビーリーグ1部に初昇格した、東北大医学部の新たな挑戦が始まった。2日の開幕カードでは3連覇に挑む東北学院大に0-62と敗れたが、確かな手応えも得た。大学入学後に競技を開始した選手も多い中、ロック佐藤鷹将主将(4年)を中心に、学業とも両立して駆け上がってきた大舞台。第2戦の昨季3位・東北大との「ダービーマッチ」(東北大川内グラウンド、16日午後0時半開始)に初勝利の期待も高まる。【取材・構成=鎌田直秀】
トライを許しても耐えた。東北大医学部が、昨季100点ゲームを重ねた東北学院大に、培ってきた実力の片りんを披露した。佐藤主将は「個の強さとテンポの速い攻撃に耐えることで精いっぱいだったが、何度かチャンスもつくることができた」。創部42年で初の1部舞台の1歩。「残り4戦で最低でも1勝して残留することが目標です」と、少ない好機を得点に結びつける課題克服を誓った。
昨季全勝で初の2部優勝。入れ替え戦で36-19と山形大(1部6位)に勝ち、初昇格を決めた。全員が医師を目指す高学歴ではあるが、180センチ以上の高身長は1人もいない。専用グラウンドもなく好環境でもない。高学年になると病院実習などもあって、授業が多忙を極め、全員がそろって練習できるのは土曜のみ。朝7時からの早朝練習や、自主練習で不足分を補う。部員によっては明け方まで続く実習を終えて、朝練に参加する場合もある。
週3回の全体練習のうち、木曜は社会人の仙台長町ラグビークラブと合同練習。早大、東海大などの強豪大出身者や、トップリーグ経験者から指導も受ける。同主将は「体が大きくて強い相手へのコンタクトや、ラグビーIQ、知識、考え方を助言していただけています」。学んだことは学年関係なく指摘し合い、「経験者は少なくても、ディスカッションできる空気感が自分たちの強み」と基礎から築き上げた成果が結実しつつある。
佐藤主将も中高時代はバドミントン部。11年ラグビーワールドカップ(W杯)で日本が初戦のフランス戦で食い下がる姿を見て、大学からの競技転向を志した。「男として勉強もラグビーも頑張って、頭も体も強くなりたいと思った」。昨秋に新主将就任後、さらに自覚が増した。ひと冬で、体重も食事やトレーニングで74キロから82キロに増量。医学部で学んだ知識を生かし「解剖学では走る時にどの筋肉を使うかを実際に見てきたし、上腕二頭筋は外に曲げながら鍛えることが良いのも知った。生理学でも効率の良い筋収縮も勉強したので、ただ大きい筋肉をつけるだけでない方法をラグビーに取り込めたのは、医学部学生のメリット」と誇った。
チームも医学系4大学での定期戦で7連覇を果たすなど好調だ。「1部に上がって最初の主将ですし、僕自身がプレーと態度で見本とならなければいけない」と引っ張る。父は耳鼻科医、姉は歯科医だが、自身の夢は腫瘍内科医。「死亡原因は悪性腫瘍が一番多い。人をたくさん救えるように、しゃかりきに働く医者になりたい」。文武両道の中、休日はフィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聞いたり、絵画館に足を運ぶなど、芸術に触れて心をいやしている。
次戦は東北大とのダービーマッチだ。格上相手の戦いが続くが「初戦は相手のミスに助けられた部分もあった。2戦目以降は、ディフェンスを固めてロースコアで戦いたい」。小さなFW陣が体を張り、BK陣もラインアウトから何度も良いパス回しで走る場面もあった。初の1部リーグで経験値を積み重ね、日々成長していくつもりだ。
◆東北大医学部ラグビー部 1976年(昭51)創部。94年に東北地区大学リーグ3部に初参戦。09年に全勝で3部初優勝すると、入れ替え戦で福島大(2部6位)に50-0と大勝して10年から2部初昇格。17年初優勝後、入れ替え戦も制して初の1部昇格。東日本医科学生総合大会では16、17年に3位。18年は4位。全体練習は火、木、土の週3度が基本。1日の流れは以下の通り。
▽午前7時 朝練習
▽午前8時50分 1限授業開始
▽午後4時半 6限授業終了
▽午後5時 練習開始
▽午後8時 練習終了
◆東北地区大学ラグビーリーグ 1部は6チーム総当たりで順位を決定する。勝ち点は勝利4、引き分け2、負け1。優勝チームは北海道代表との大学選手権予選会(11月4日、札幌)に出場。2位から5位は全国地区対抗大学大会代表決定戦(同中旬)へ。最下位は2部1位と入れ替え戦(同11日)を行う。2部、3部ともに6チームで構成。