前回準優勝の大阪桐蔭(大阪第1)が平成最後の大会で、悲願の初優勝を飾った。18年4月の選抜大会決勝は26-46で敗れた桐蔭学園(神奈川)とのAシード対決で雪辱。平成の30大会のうち、半数の15回で大阪代表が頂点に立った。

前半は12-17とリードされたが、後半に逆転。29分に26-24と2点差に迫られたが、逃げ切った。

綾部正史監督(43)は「この1年取り組んだ結果。子供たちを信じた。立派、あいつらに感謝しかない。(選手には)きみたちが日本一、おめでとうと言いたい」と感慨深げに言った。

悔し涙は歓喜の笑顔に変わった。18年1月8日、同じ花園の通路で大阪桐蔭の1年生フランカーだった奥井章仁は「3年生に申し訳ない」と大声で泣いた。東海大仰星(現東海大大阪仰星)との決勝で20-27の逆転負け。冷たい雨を含んだジャージーを着た当時の上山黎哉主将(現帝京大)は「後輩にはもっと強くなって欲しい」と夢を託した。

その日から現メンバーは口癖のように「花園の借りは花園でしか返せない」と繰り返した。兄が前回準優勝メンバーのプロップ江良颯(はやて、2年)は準決勝(5日、流通経大柏戦)で左肩痛を抱えながら強行出場。3日の準々決勝報徳学園戦で負傷し、三角巾をしていたが、痛み止めを飲んで、スクラムを組んだ。「自分はスクラムが強み。相手がどこだろうと、スクラムで圧倒したいです」。その姿を見て、同学年の奥井もまた「ケガをしている分、自分が頑張ろうと思った」と背中を押された。

激戦区大阪から7大会連続出場を果たしながら、花園では歴代の先輩たちが、あと1歩の悔しさを味わってきた。前日6日、CTB松山千大(ちひろ)主将(3年)は言い切った。

「今までは野球部が日本一になってもラグビー部はなれなかった。その歴史を変える。僕たちは大阪のプライドを背負っている」

たまりにたまったエネルギーは、新しい高校ラグビー界の主役を生み出した。