京産大ラグビー部の元主将で「頸椎(けいつい)損傷」から復帰を目指す中川将弥さん(23)が19日、同大学(京都市北区)で行われた「スポーツと人間形成」の講義にゲストスピーカーとして参加した。

本年度末で退官する大西健監督が担当する授業で、現役の学生が教壇に立った。中川さんは300人を超える学生に「がむしゃらに、必死に生きてほしい。『だるい』『しんどい』と言うけれど、僕から見たらみんながうらやましい。今の一瞬を、本当に大事にしてほしい」と真剣なまなざしで訴えた。

「僕は一瞬で人生が変わりました」

強豪・御所実(奈良)から京産大に進んだ中川さんは4年だった17年冬、関西リーグ最終節の近大戦(京都・西京極陸上競技場)に臨んでいた。後半24分、相手の低いタックルを察知して、頭を下げながら体をぶつけた場面。死角から2人目のタックルを受ける形となり、天然芝に首を打ち付けた。

「気付いたらいろいろな方が『中川、動くな!』と言いながら『足、感覚あるか?』と語りかけてくる。でも、感覚がなくて『足、ちぎれたんかな?』と思った」

すでにチームは全国大学選手権出場が確定。自身も卒業後のトップリーグ入りが決まっていた。同年度は主将となり「泣かない」「負けない」「先輩の上をいく」と目標を掲げていた中川さんだったが、思わず涙があふれ出た。

京都市内の病院に運ばれると「頸椎(けいつい)損傷」が判明し、医師から「胸から下が動かなくなるかもしれない」と告げられた。また泣いた。7時間にわたる大手術を経て、左足は徐々に動くようになる一方、右足は固まったまま。40日間、寝たきりが続いた。

「ずっと上を向いているだけ。リハビリが始まっても、40日間寝たままだったから、上体を起こしただけで貧血で気を失う。起きる、気を失う、倒れる、の繰り返しだった」

それでも支えはあった。病院には毎日、行列ができるほどの人数が見舞いに駆けつけてくれた。「そこで人の温かさが、すごく分かった」。中川さんは負傷後、初めて外に出た日の感動を感慨深げに伝えた。

「太陽がめっちゃまぶしくて、外の空気がおいしい。これまでほとんど外でラグビーをやっていたので、太陽は暑いし、うっとうしかった。その太陽なのに『なんてありがたいんだ』と思ったんです」

食事する、字を書く、歯磨きをする…。その作業を周囲にやってもらう状態だったが、比較的動くようになった左半身を使って、自ら取り組んだ。「首から下が動かなくなるかもしれない」と予告された男は今春、復学を果たした。部の寮で暮らし、毎日グラウンドに顔を出す。車いすは欠かせないが、ウエートトレーニングも再開した。

「けがをする前はベンチプレスのMAXが120キロだったんですが、再開した時は20キロ。でもそこから40、60と上げていって、今は90キロまできました。こいつらに、負けていられないですからね」

そう笑い、車いすでの移動をサポートする後輩たちを見つめた。

中川さんの一言一言に耳を傾ける学生へ、伝えたいことは山ほどあった。

「人生に悔いを残してほしくない。僕自身、悔いが残っていることもあるけれど、けがをして何でもチャレンジできるようになった。勇気を持てるようになった。チャンスがあれば、勇気を持ってチャレンジしてほしい」

夢は「ラグビー選手として復帰すること」と言い切った。その目はキラキラと輝いていた。【松本航】