磨き上げたスクラムで、勝利と価値あるボーナス勝ち点1をもぎ取った。
後半18分の自陣残り5メートルでのピンチで、相手ボールスクラムに圧力をかけ、ボールを奪取。終了間際には敵陣深くで再び相手ボールを奪い、劇的な4トライ目の起点を作り出した。16年9月から指導する元日本代表の長谷川慎コーチ(47)が選手とともに築き上げた技術を世界に見せつけた。3年間におよぶ、コーチと選手の物語に追った。
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16年3月。家族と東京・上野の博物館に出かけていた長谷川の携帯がなった。「ジェイミーです」。声の主は99年ワールドカップ(W杯)をともに日本代表として戦い、同年9月からの指揮官就任が決まっていたジョセフHCだった。19年W杯でベスト8を目指す日本代表コーチの要請。ヤマハ発動機で「日本一」と称されるスクラムを作りあげた長谷川も「かかってこい」と、人知れずオファーを待っていた。大舞台での重要な役割を託され、3年間の闘いが始まった。
長谷川は、W杯までの期間を、1年ごとに(1)日本独自のシステム作り(2)システムの成熟と自信の獲得(3)スクラムにおけるフィジカル、フィットネスの強化、の3つのテーマに分けた。
最初のミーティングで目指す「システム」を選手に伝え、同時に日本の「弱点」とされてきたスクラムへの意識改革を求めた。
「テーマは、8人全員の力を漏らさずに使い、体は大きいが、雑な海外のスクラムに勝ちにいくこと。そのために、細かな技術を徹底的に追求する」
指導の原点は、過去の苦い記憶だった。03年W杯のフランス戦で「世界」のレベルを突きつけられた。当時の日本は、スクラム=フロントロー(第一列)の仕事。「押した時はフロントローのおかげで、押されたらフロントローのせい。8人の力で組んでくるフランスを見て、これを続けていては日本は絶対に世界に勝てないと思った」。引退後、フランスに指導者として留学。「日本流」にアレンジし、8人で細部を追求するスクラムを目指した。
長谷川は言う。「大事なのは、余計な動きをなるべく省くこと。1人のむだな動きが、8人がつながった時には、ずれになり、大きなすきになる」。
たとえば、スクラム前に、主審のコールを正座の姿勢で待つことを禁止した。全員がスパイクの底の突起(ポイント)の前4本を芝に刺した状態で準備することを徹底。「4ポイント」と名づけられたこの約束ごとで、余計な工程を一つ省くことに成功した。以前は「感覚」ですましていた足の位置も、数センチ、わずかな角度にまでを追求。映像で動きを分析し、シンクロのような同調性を目指した。
手応えを得たのが、就任9カ月後の17年6月、強豪アイルランドとの2連戦だった。初戦のスクラムで押し込まれると、長谷川はフッカーの角度の微修正のみを指示した。1週間後の2戦目、日本のスクラムは相手の圧力にぴたりと耐えた。「あの1試合で、俺を見る選手の目が変わった」。
選手との関係が深まるのに合わせ、目指すスクラムも次の段階に入った。攻めのスクラムだ。体の小さな日本が大きな相手とどう戦うか。その答えを、長谷川はパンチにたとえて説明する。「ムキムキに鍛えたデカイ相手が、大振りで殴ってくるのに対し、日本代表は相手が動いた瞬間に小さく、速いパンチを打ち込むイメージ。そうすれば相手が70、自分たちは100のスクラムになる」。選手と共有した合言葉は「やられる前にやろう」だった。
レフェリーがスクラムを組む瞬間にかける「セット」のコールの「セ」で8人の力を一気に前方へ爆発させる。その意識を共有するため、18年11月のニュージーランド戦からは、新たな儀式を取り入れた。試合前の円陣で全員が目を閉じ、主審役を務める長谷川の声に集中する。「クラウチ」「バインド」…「セット」…。最後の「セ」で全員がパチンと手をたたく。外国出身選手に「間合い」の意味を理解させるため、格闘ゲームで攻撃が届く距離、届かない距離を説明。「マアイ」のような、自然と浸透した言葉も、イメージを共有する助けとなった。
スクラムのレベルが高まるにつれ、長谷川はそれまで以上に分析にも時間をさいた。就任当初、文字で覆われた選手へのプレゼン資料は、映像を交えたものに変わり、選手の携帯電話とチームルームのPCで、対戦相手の選手1人1人の映像、長谷川の分析結果が見えるようにした。
ある日のミーティングで、海外の同じ選手の映像2つを比較し、選手に聞いた。「何が変わったか分かるか?」。選手は真剣な表情で映像を見比べた。足の角度? 腰の位置? 誰からも声が上がらない状況で、長谷川はネタばらしをした。「こいつ、左足の太ももに、最近、花のタトゥーを入れた」。ショートパンツの裾からわずかに見える青い花。笑いと同時に、長谷川の分析力が一気に選手に伝わった。
W杯開幕3カ月前からの合宿では、就任時のプラン通りに徹底的にフィジカル、フィットネスを鍛え上げ、開幕直前には世界最強の南アフリカとも真っ向勝負を展開。手応えをつかんでW杯まで歩みを進めた。第2戦で優勝候補アイルランドからスクラムで勝利をたぐり寄せると、さらに上の景色が、この日のサモア戦で待っていた。
終了間際。8人の力は一切逃げることなく、サモアの強力FWを粉砕した。かつて「弱点」と言われた姿は、どこにもない。「慎さんのスクラムが間違っていないことを証明した」。アイルランド戦に続き、堀江が、稲垣が言った。長谷川の頭の中にあった設計図をみんなが信じ、3年かけてつくりあげたスクラム。その技術は、W杯のピッチで世界に通用する日本の武器になった。
試合後、スーツ姿でピッチに入った長谷川は選手と抱き合い、拳を突き上げた。W杯の闘いは続く。「慎さんのスクラム」が世界を驚かす舞台はここからだ。【奥山将志】
○…試合終盤のスクラムについて、堀江は「相手ボールのスクラムは押せる手応えがあったので、反則を狙いにいった。マイボールになってからはスクラムトライを狙いにいった。十分いけると思った」と話した。経験の浅い中島がスクラムで存在感を示したことに、ジョセフHCは「長谷川コーチがよくやってくれた。これは信じられないことだ」とたたえた。
◆長谷川慎(はせがわ・しん)1972年(昭47)3月31日、京都市生まれ。東山高から中大に進学。サントリーに入社し、97年の香港戦で日本代表デビュー。代表は40キャップ。99、03年W杯出場。07年に現役を引退し、サントリー、ヤマハ発動機、サンウルブズなどでコーチを務める。現役時代は179センチ、96キロ。