日本代表WTB松島幸太朗(26=サントリー)が全体トップに並ぶ、今大会5トライ目で反撃の風を吹かせた。

0-7の前半17分、左サイドを駆け上がったWTB福岡のパスを受けてトライ。猛攻の口火を切り、自らはウェールズWTBアダムズに肩を並べた。2大会連続出場のエースが4年前からの成長を見せ、世界を驚かせる時間は続く。

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6万7666人の大歓声も関係ない、エースの嗅覚だった。7点を追う前半17分。松島は相手と交錯しながらギアを上げ、左サイドを駆け上がる福岡の右斜め後ろについた。タックルされながらのパスを受け「自分たちの形で取れて良かった」とインゴールに飛び込んだ。高々とボールを放り投げ「わざとです」とニヤリ。同24分には防御の合間をぶち破り「自分のスピードで出る。狙い通り」と最後まで体を張り続けた。

「(台風の被害で)自分たちの最大のメッセージは、勝って、日本の皆さんに元気を与えることだった」

横浜は人生の決断を下した場所だった。市内にある桐蔭学園高2年時、南アフリカでジャーナリストとして活動していた、ジンバブエ人の父ロドリックさんが急逝。3日間、学校を休むほどの悲しみに暮れた。卒業後は大学へ進まず、南アフリカ・シャークスの育成機関へ単身武者修行。進路選択が迫り、同校の藤原秀之監督から「海外はどうだ?」と打診されると、迷いなくうなずいた。「お母さんは迷いがない。そういう姿を見てきているので、自分も迷いなく真っすぐ物事を決められる」。性格は母多恵子さん譲りだった。

興味のあることに対し、いつも背中を押してくれる母だった。南アフリカに渡った1年目はけがに泣いた。苦しい中でもフィジカルを徹底的に鍛え、大柄の相手から少しずらして前に出るすべを磨いた。「この道で生きていく」。誰も歩んだことがない道を進む勇気が、今の土台を築き上げた。

スコットランド戦にもフル出場した4年前から、意識が変わった。「今大会はリーダー陣の1人として臨む大会」。BKの軸として、周囲の期待を背負った。2度目のW杯へ向かう過程で、母、父、祖父の清作さん、祖母和子さん、幸太朗の頭文字をとり「TRKSK」と左腕に記したテストマッチもあった。地震に見舞われた熊本など、被災地の子どもたちを招待する活動にも取り組んだ。沖縄合宿後にはマンゴーを手みやげに実家へ帰り、母を「親に、いい顔するタイプじゃないのに」と驚かせた。

次戦は6歳まで家族3人で過ごした南アフリカ。思い出の地に咲く紫の花「ジャカランダ」は、春に満開となることから「アフリカの桜」と呼ばれる。この日、桜のジャージーに身を包み、大会トライランキングで首位に並んだ。「そういう立ち位置にいる。狙っていきたい」。桜の満開は、ここではない。【松本航】

◆松島幸太朗(まつしま・こうたろう)1993年(平5)2月26日生まれ、南アフリカ・プレトリア出身。神奈川・桐蔭学園高からスーパーラグビー「シャークス」(南アフリカ)の下部組織に進み、14年からサントリー。15年W杯イングランド大会では、WTBとして4試合全てに出場。日本代表38キャップ。ジョセフ・ヘッドコーチからは「フェラーリ」と評される。178センチ、88キロ。