44日間にも及ぶ祭典は、南アフリカの優勝で幕を閉じた。世界ランキング3位だった南アフリカが同1位だったイングランドを32-12で下し、2007年以来、3大会ぶり3度目の優勝で、ニュージーランドの大会最多Vに並んだ。準々決勝で日本にも勝ち、勢いに乗った。旧黒人居住区の貧しい家庭で育ったフランカーのシヤ・コリシ主将(28)が優勝カップを掲げた。1990年代までアパルトヘイト(人種隔離)が続いた南アでラグビーは「融和」の象徴。最高のニュースを届けた。次回W杯は23年にフランスで開催される。
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日本のファンが総立ちで優勝した南アフリカを祝福する。大会名誉総裁の秋篠宮さまからウエブ・エリス・カップを受け取ったコリシ主将は、世界一の証しを横浜の夜空に、天高く掲げた。人種差別が根強く残り、今なお厳しい社会情勢に苦しむ母国に、希望の光を届けた。
「たくさんの問題が我が国にはあるが、団結すること、バックグラウンドが違う面々がひとつになって戦うことで素晴らしい結果が得られると証明できた」。エラスムス監督は「国では政治的なことに加え、殺人事件もある。でもラグビーの80分間だけは、国民に幸せになってほしいと、ここまでやってきた」と信念を語った。
堅い守備でペースを引き寄せ後半26分、3度目の決勝で初となるWTBマピンピによる待望のトライが生まれた。圧巻は同34分。身長170センチの小柄な体にもかかわらず、爆発的なスピードを持つことから「ポケットロケット」の愛称で親しまれているWTBコルビが4人の相手に囲まれながらも30メートル以上を独走。優勝を決定づけるトライを奪った。
前回大会で日本に歴史的な敗北を喫した。最終的に3位となったが、W杯終了後も格下イタリアに初黒星を喫し、ニュージーランド戦では0-57という屈辱にまみれた。低迷していた強国の再建を託されたのが、昨年3月に就任したエラスムス監督だった。根性をたたき直した。高くない給料に不満を抱き、ラグビーに集中せず「SNSに夢中だった」とコリシは振り返る。そんなチームに「観客は自分の給料からチケットを買って来てくれる。個人的なことではなく、ラグビーを最優先に考えろ」と厳命した。選手たちは最初のミーティングでこの言葉を聞き、目の色を変えた。
同国で黒人初の主将となったコリシは、靴もなく、満足な食料もなく、時には学校にも行けなかった幼少期を旧黒人居住区で過ごした。優勝カップを前に「子どもの頃、こんな光景は想像できなかった」とかみしめた。自国開催だった1995年W杯で初出場初優勝した。チームの有色人種は当時の1人から10人超へ。白人、黒人、貧富の差を乗り越える術を世界に結果で示した。
アジアで初めて、日本で行われたW杯。15年大会の日本による歴史的勝利で縁深くなった南アは4年が経過し、準々決勝で日本に雪辱。勢いそのまま世界一になった。最後は日本流のお辞儀でファンに感謝。44日間のお祭りが、華々しく幕を閉じた。【三須一紀】