史上最多32回の優勝を誇る元横綱大鵬の納谷幸喜氏(享年72)の急死から一夜明けた20日、芳子夫人(65)が最期の言葉を明かした。19日朝に入院先からの電話で「早く来てくれ」と呼び掛けられていた。通夜は30日、告別式は31日に東京都青山葬儀所で営まれる。葬儀委員長は北の湖理事長(元横綱)に依頼し、告別式後に両国国技館と二所ノ関部屋を経由し、火葬場に向かうことが分かった。大嶽部屋では、ファンのための記帳台や献花台の設置を検討し始めた。

 大鵬さんの急死から一夜明け。芳子夫人は悲しみを胸に秘めつつ、当時の様子を告白した。

 19日の午前8時すぎ、自宅にいた芳子夫人に電話が来た。「おはよう、元気か?

 お久しぶりです」という言葉に「何言ってんの」と返すと「いいから、早く来てくれ」と催促された。病院に着いた時には、もう意識がなかったという。

 夫人に会いたい一心で発した言葉が、最後になった。「全部に感謝したい。厳しい人だったけど、情があってやさしかった。19歳で結婚して、付いてきて、頑張ってこられた」。死ぬまで愛された。「(入院中も)夜中に10分か15分おきに、電話が来るんです。『何?』って言うと『芳子、大好きだよ』と、それだけ言って切るんです。介護士がいようが、私がいないといけない。大変だったけど、うれしかった」。

 大鵬さんは36歳の時、脳梗塞で倒れた。芳子夫人は以来、断続的に介護を続けてきた。「現役時代は仕事でどこかに付いていくことが多かった。遊びに行くのは、年を取ってからと思ったら、それからは介護が続いた。頑張ってきたかなと思います」と言って、ほほ笑んだ。

 最愛の人を亡くした夫人はこの日、弔問客を迎え入れる一方で大嶽親方(元十両大竜)らと、今後の日程を相談。初場所を終えた30日に通夜、31日に葬儀・告別式を行うことに決めた。数千人規模の来客が見込まれるため、場所は東京都青山葬儀所になった。

 告別式が終わった後、大鵬さんの遺体を乗せた霊きゅう車は、ゆかりの場所を行脚する。横綱昇進を決めた後に建設された二所ノ関部屋と、両国国技館を経由する。現役時代を過ごした二所ノ関部屋は、初場所を最後に閉鎖される。国技館は、相撲博物館館長も務めた相撲の聖地。北の湖理事長が「正門を開けて、ぐるっと回るなり考えないといけない」と話した通り、車が敷地内に入る可能性もある。土俵に最後の別れを告げて、火葬場に向かう。

 葬儀委員長は、北の湖理事長にお願いした。当日は国技館で定例理事会が午後1時から開催されるため、告別式の開始を午前10時に設定した。同日は午後3時から師匠会も予定するため、大鵬さんは、親方衆や協会職員らに見送られる見通し。10年9月に元横綱初代若乃花の花田勝治さんが死去した際、稽古総見後の関取衆らに見送られた場面と似た光景になりそうだ。

 大鵬さんのもとにはこの日、供花や弔電が相次いだ。通夜、告別式は親族や協会関係者らが中心になるため、大鵬さんを見送りたい人たちにお別れの機会を設ける検討を開始。ファンのため、大嶽部屋に記帳台か献花台を設ける計画が浮上した。今日21日には、二所ノ関一門の親方衆と関取衆が部屋へ弔問に訪れる予定だ。【佐々木一郎】

 ◆「土俵の鬼」の聖地への別れ

 10年9月1日に初代若乃花の花田勝治さん(享年82)が死去。4日にひつぎを乗せた車が両国国技館を訪れた。同日の通夜(中野区・宝仙寺)に向かう車は蔵前国技館を経由し、午前11時半に国技館に到着。幕内力士、相撲協会役員らが出迎えた。遺影を持った花田さんの次男浩さんが一礼すると、全員が頭を下げて見送った。ファンからは「若乃花、ありがとう!」の声が上がった。