<8月16日更新>

シドニー出場決定 為末

 「四年間の思いを無駄にしたくなかった。すごい緊張の中でやれたし、充実した期間だった。代表に選ばれてほっとしている」。シドニー五輪代表(400メートルH)に選ばれた為末は選考会を振り返り、こう語る。その表情は充実感に満ちていた。為末にとって、シドニーでの世界ジュニア選手権に高三で出場して以来、五輪は四年越しの大きな夢であった。

「静岡国際」

為末の写真  「このレースしかない。これで勝って五輪出場を決めようと思っていた」――為末は選考会で一番心に残っているレースに、5月3日に行われた静岡国際を挙げる。このレースはアトランタ代表の河村(三英社)、苅部(富士通・法大OB)など代表を争う上でのライバルが多数出場する選考重視レースであり、優勝すれば代表にぐっと近づくだけあって、為末はこのレースに大きな決意を抱いていた。
 運命のレースは最後の50メートルまで為末、河村、苅部が横一線。そして、最後の一台を跳んだ後、為末のシドニーへの四年越しの思いが爆発した。他の2人を寄せ付けぬ驚異の伸びでシドニーへのゴールを駆け抜けた。49秒01。五輪参加A標準を上回る自己ベスト。「タイムよりも優勝できたことが何よりも嬉しい」。夢を現実に出来たことが為末にとって一番うれしかった。また、この日は22歳の誕生日。自分自身にこれ以上ないバースデイプレゼントを贈った。

「関東インカレ」

 夢をかなえた為末は、5月20日の関東インカレでもその実力をいかんなく発揮。「五輪で頭がいっぱいで実力が出せるかどうか」と語っていた為末だったが、「48秒台を出します」と語った。48秒台――それは自己ベスト更新、そして、今年400メートルHで誰もだしていない記録だった。
 迎えたインカレ決勝。為末が二連覇を決めるゴールをした後、競技場全体がどよめいた。48秒99。宣言どうりの48秒台を出したのである。

「代表決定」

 6月12日、為末、五輪代表決定。「陸上人生で一番嬉しい」そう語った後、為末の口から頼もしい言葉が発せられた。「金メダルを取るくらいの気持ちで行く。悔いがないレースになるよう思い切った賭けにいくつもりです」。為末には五輪の決勝しか見えていないようだ。一方で「48秒中盤を出さないと勝負できない」と五輪本番まで自分の実力向上に余念がない。
 また、法大生にむけて「ぜひ走っているところをテレビで見て応援して欲しい。あと気軽に声をかけて下さい」と気さくに話してくれた。3ヶ月後の9月為末が「日本の為末」のハードルを飛び越え、「世界の為末」になることを期待したい。

(佐久間 利幸)

(写真=シドニーでもこのガッツポーズを見たい!為末 カメラ・青木宏実)


シドニーでも駆け抜けろ!川畑

 100メートル。―陸上競技において100メートルは最も注目される種目の一つである。その100メートルで川畑(経4)が五輪代表に選ばれた。

「五輪への道」

川畑の写真  出場の決め手になったのは、彼に勝負強さがあったからだ。川畑が一番心に残っているレースに挙げた5月7日に行われた水戸国際。このレースで川畑は、2.5mの向かい風という最悪の条件の中で日本人トップの成績(10秒70)を残し、五輪出場へ大きなアピールをした。続く5月20日の関東インカレ、2mの向かい風と雨が重なる中、10秒43で優勝。そして、5月27日の上尾で10秒33と五輪参加B標準(10秒44)を突破し、五輪への道を開いた。悪条件が重なる中、結果を確実に出すその勝負強さが川畑を五輪に導いたのである。

「苦悩の日々」

 だがここまでの道のりは平坦ではなかった。今回、インカレで初タイトルをとるまで大学での陸上人生は怪我との戦いだった。大学一年の時に左足に肉離れをおこしたのをはじめに、二年時に右足に肉離れ。完治した後も、故障への恐怖感が残った。しかし、昨年のインカレ3位をきっかけに復活。それだけに、今回の五輪出場は同じく出場を決めた為末が「アイツ(川畑)と一緒に行けることがすごくうれしい」と語ったように川畑にとって今迄の苦労が実った結果だった。

「代表決定」

 川畑本人は五輪出場決定の報を受けて、「まだ実感がない。あとから嬉しさがこみ上げてくるんでしょうかね」と意外にも冷静だった。目標の記録について聞くと「五輪までのレースでまず自己ベスト、最低、参加A標準は破りたい。風など環境が整えば絶対破れると思う。自信はあります」とこれからの記録向上に期待を持たせる言葉を語った。
 今回の選考会で川畑は順位として結果を残したものの、タイム自体は平凡なもの。だが、雨や向かい風など走る上で悪い条件が、たまたまレースの日に重なってしまったからである。追い風などプラス条件が整えば、間違いなく記録を出せる実力を川畑は持っている。シドニーでも条件が揃えば楽しみな存在になってくれるだろう。
 同じ100m代表の伊東(富士通)、朝原(大阪ガス)と比較するとタイムは劣るが、川畑には勝負強さに加えて、幾度の怪我から立ち直ったという他の二人にはない不屈の精神がある。その精神力をバネに、シドニーで思い切った走りをして欲しい。

(写真=夢へ向かって走れ!川畑)


3季ぶり王者復活 野球部

強力打線

 「打撃陣が大きな原動力になった」と山中監督が言うように、今春の法大には爆発的な力があった。昨春の三冠王、主将の廣瀬(営4)を筆頭に、2年から4番を任されている阿部(文4)、1年のころから高打率を残している清水昭(文3)、多井(営3)らそうそうたるメンバーが名を連ねていたのだ。

苦戦

 そして開幕。そこには精神的にも技術的にも軸となるはずであった廣瀬の姿はなかった。3月下旬、全日本代表合宿に参加した際、昨年起こした肉離れが再発。開幕戦には間に合わず、序盤戦は代打での登場となった。結局、軸を失った法大は、明大に31ぶりとなる開幕連敗スタートを喫した。
 しかし、早大1回戦では、初先発の土居(営2)が4安打1失点に抑え「球に威力があり、コントロールもよかった」と監督に言わしめる完ぺきな投球。初完投初勝利を挙げた。また東大2回戦では亀川(文2)が初勝利を完封で飾り、自信をつける。開幕前にもっとも不安定だった投手陣が落ち着きを見せ、投打がかみ合ってきたところで慶大戦を迎える。初戦、3−5とリードされた9回裏、激しい雨の中、法大は一死満塁とし、代打南建(法3)の右越適時打で2人が返り同点。ところが直後の10回表、慶大に2点を取られ万事休す。非常に大事なこの一戦を落とした法大は、自力優勝の可能性を失った。それでもわずかな可能性を信じ、残り4試合を全勝して全日程を終えた。

逆転優勝

 スポーツの魅力のひとつには「最後まで何が起こるかわからない」ということがあげられる。六大学野球も例外ではなかった。東大VS明大2回戦。最も優勝に近かった明大が、なんと今季ここまで全敗だった東大に敗れたのだ。この瞬間、明大は優勝戦線から脱落。対照的に法大に優勝の望みが復活。すべては最終週の早慶戦に・・・。早大が1敗すると、土壇場大逆転で法大の優勝が決まる。緊張の第1戦。早大は4安打に抑えられ、ほぼ手中に収めていたものを自ら手放すことになる。最後の最後で“優勝”の二文字をさらったのは、わが法大であった。
 たしかに他力優勝だったかもしれない。選手たちも「ラッキーだった」と口をそろえる。しかし開幕2連敗をし、自力優勝がなくなっても、残り試合に全力を尽くしたからこそ手に入れた優勝。最後までしっかりと戦い抜くことの重要さ、あきらめないことの大切さを確認したシーズンだった。

(奥野 智子)

三冠王 毎度“ごっちゃん”です

 若き主砲の才能がついに開花した。後藤武敏(文二)が打率・455、本塁打2、打点14の好成績で三冠王を獲得。戦後10人目、しかも法大OBの小早川毅彦氏(元ヤクルトスワローズ・現野球評論家)の2年秋を抜く史上最速記録を樹立した。今後は相手のマークが厳しくなることは必至だがさらなる活躍を期待したい。

後藤の写真  今年も神宮で新たなヒーローが誕生した。「まだ実感がない。すべてがうまく行き過ぎて正直ビックリしてます」と彼はまだあどけなさが残る笑顔で語ってくれた。後藤武敏(文二)。六大学史上、戦後10人目の三冠王。しかも、法大OBの小早川毅彦氏(元ヤクルト・現野球解説者)の2年秋を抜く史上最年少というおまけ付きだった。
 2年前、彼は甲子園のヒーローだった。名門横浜高校でクリーンアップを打ち、松坂(現西武)らとともに甲子園春夏連覇。球史に残る活躍を見せた。
 そして舞台は甲子園から神宮へ。昨年、鳴り物入りで法大に入学。大いなる活躍が期待された。しかし、大学野球は甘くなかった。スピードの違い、木製バットへのとまどい、ケガ・・・。結局、昨年は彼の姿を神宮で見ることはなかった。それどころかケガのために練習も満足に出来ない日々。だが、彼自身はその1年間は「プラスになった」と言う。「ケガで練習できない間は主にウェートトレーニングをやっていたんです。高校時代は毎日やればいいと思って、ただやってました。これがケガにつながってしまったのだと思います。それで根鈴コーチの下で勉強して、その結果いいトレーニングが出来るようになりました」。
 2000年。後藤はオープン戦から結果を出していた。そして開幕。彼に用意された神宮デビューの舞台は「4番三塁」。さすがに「重圧を感じた」と言うが、かつて数々の大舞台を経験してきた男は初打席からプレッシャーをはねのけて見せた。鋭い打球が二遊間を抜ける。2打席目も二塁打。試合には敗れたが4打数2安打と上々のデビューを飾った。
 その後も快進撃は続く。翌週の早大戦では3試合で1本塁打7打点。見事に「4番」の重責を果たした。東大戦からは故障の癒えた主将・廣瀬が戦列に復帰したため4番の座は明け渡したが、スタメンと信頼を勝ち取りその後は5番打者に定着した。
 今季の好調の要因を「センターから右にいい打球が打てるようになったこと。そのおかげで視野が広がり打席で余裕が出来た」と語った。データを見るとそれがよく分かる。今季後藤が放った安打は20本。そのうちセンター方向が11本、ライト方向が4本。逆らわない基本どおりの打撃が出来ていた証拠だ。
 これまではどうしても「松坂の同級生」と見られがちだった。しかし、これからは違う。「三冠王」後藤武敏。「周りから意識されて警戒されるのはうれしいこと。その中でこっちも欠点を見つけてそれを克服していけば同等の勝負ができる」。向上心は忘れていない。3年後、そこには松坂と同じ舞台で活躍する彼の姿が見ることができるかもしれない。

(田尻 耕太郎)

(写真=若き主砲・後藤)

おめでとう

小早川毅彦(81年秋、法大史上初の三冠王)「おめでとう。これまで三冠王を2度取った人はいないので2度目を目指してがんばってほしい」

廣瀬純(現・主将。昨春の三冠王)「いい刺激になってお互いにがんばれた。本当は先輩の意地で(三冠王を)阻止しようとしたが駄目だった(笑)。秋はマークされると思うが、自分自身をもっと研究して今季以上の成績が残せるように頑張れ!」

松坂大輔(西武ライオンズ投手。横浜高校時代の同級生)「後藤君の三冠王獲得、そして法政大学の優勝おめでとうございます。高校時代の同級生が進学先で活躍することは、僕にとって嬉しくもあり、また励みにもなります。またいつの日か、同じ世界で野球が出来たらいいと思います」

後藤武敏(ごとう・たけとし)1980年6月5日生。176センチ、88キロ。右投げ右打ち。横浜高校出身。内野手。愛称「ごっちゃん」


チョモランマ制覇

 法大創立120周年と山岳部創部75周年を記念して派遣された法大登山隊(法政大学チョモランマ登山隊2000)が5月17日、世界最高峰チョモランマの登頂に成功した。その2日後には、第3次アタック隊の山本俊雄さん(63歳)も登頂を果たし、チョモランマの世界最高齢登頂記録を3年150日更新する快挙を成し遂げた。

「登頂成功」

 中村敏夫隊長率いる法大登山隊が、現役部員2名を含む総勢18名で日本を出発したのは3月24日のこと。高度順化を繰り返した後、4月中旬にベースキャンプを建設し、それから約1ヶ月後の5月17日にチョモランマ登頂を果たした。第1次アタック隊に続き、18日には第2次アタック隊が、19日には第3次アタック隊が相次いで登頂に成功。特に第3次アタック隊の山本俊雄さん(法大OB、1958年卒)はチョモランマ世界最高齢登頂記録となる63歳311日で頂上に立ち、これまでの記録(グルジア人・レフサルキソフさんの60歳161日)を大幅に更新する快挙となった。

「山一筋」

 今回、世界最高齢登頂記録を樹立した山本さんは中学、高校、そして法大のそれぞれで山岳部主将を務めていたという生粋の山男。法大卒業後も登山を続けてきた山本さんにとって「より高くより困難な山・チョモランマへの挑戦は昔からの夢」であった。そんな山本さんがチョモランマを本格的に意識しはじめたのは5年前のこと。法大山岳部の後輩達とともにチョオ・ユー峰(8201m)に登頂し、間近で世界最高峰の姿を眺めた時からだった。そして今回、1年半前から周到な準備をすすめた上での夢への挑戦。――過酷な登攀の連続に「正直、途中で諦めかけた」と言う山本さんだが、日本を離れて57日目の5月19日、第6キャンプを出発してから8時間の苦闘の末、頂上にたどり着いた。「やったという気持ちと早く降りなきゃという両方の気持ちでいっぱいだった」。山本さんは、快晴の頂上に15分程とどまった後、下山を開始。無事ベースキャンプに帰還した。山本さん登頂成功の知らせが届いた日本では快挙達成が大きなニュースとなったが「最高齢記録については意識していなかった。気にしないで登ったら、たまたま記録だったという感じ(笑)」と、本人は世界記録更新にもいたって冷静でいる。

「飽くなき挑戦」

 今回のチョモランマ遠征は、現役部員2名こそ頂上を踏めなかったものの、OBの大量登頂、最高齢登頂記録の更新、そしてなにより全員が無事に下山するという、これ以上ない大成功となった。妻・寛子さんに「しばらくは山登りを禁じられている」という山本さんだが、法大山岳部の活動としては今後も精力的に海外遠征などを続けていく予定でいる。「またチャンスがあったら大きな山に行ってみたいね」と語る山本さん。これからも山男たちの飽くなき挑戦は続いていく。


“敢闘”選手権準V サッカー部

「遅すぎた反撃」

 春に強い法大サッカー部が帰ってきた。第14回関東大学選手権、予選をA組2位で突破し、決勝トーナメント進出を決めた法大は、専大、青学大を下し、準決勝では前年度の覇者・国士大をPK戦の末破り決勝に名乗りをあげた。5月28日、決勝の相手は予選で引き分けている筑波大。優勝候補の筆頭である筑波大に対して法大は試合開始から積極的なプレーを見せる。前半3分、ゴール前のFKを藤原(社4)が枠をとらえるシュート。キーパーの攻守に阻まれるもその後も法大はボールを支配し試合を優位に進めていく。しかしゴールを奪えない法大に対して筑波大は、セットプレーの強さを見せつける。前半36分に武田、エンドを変えた後半10分にも曽田に同じような形でCKからヘディングシュートを決められ、0―2と2点差をつけられる。流れを変えたい法大は後半30分、途中出場の佐藤(経4)がゴール前のFKを直接決めるファインゴール。「(直接決める)自信はあった」。佐藤の一撃は法大イレブンの目を覚まさせた。1点差を追いかけ猛攻を仕掛ける法大だったが同点弾が放てず、逆に終了間際にカウンターからまたも曽田にゴールを奪われジ・エンド。1―3で法大は破れた。

「打倒筑波」

 「準優勝という結果には満足できない」試合後、横谷監督は悔しそうに語った。しかし、久しく低迷していた法大にとって収穫のある大会となったことは確かだ。「勝ち癖もついたし、1年生の活躍がチームに良い刺激を与えた」と佐藤は今大会を振り返った。今大会準優勝の法大は7月2日に開幕する総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントへの出場を3年ぶりに決めた。「総理大臣杯は決勝で筑波大に借りを返したい」と藤原主将は雪辱を誓い、闘志を燃やしている。

「祈!1部昇格」

 現在、関東2部リーグに所属する法大にとって今年の最大の目標は1部昇格である。総理大臣杯で弾みをつけ、秋のリーグ戦では、「1部昇格」という名のゴールを是非決めてもらいたい。

(鈴木 優介)

5年ぶりリベンジ! バスケ部

 雪辱晴らす!――5月7日、法政大学市ヶ谷体育館で行われた定期戦。法大は京産大に72−64とし、5年ぶりに勝利した。京産大は全関西で5位と強豪校である。この勝利からバスケ部は「自信」という一つの武器を手にいれた。

前半

 試合を振り返ろう。前半は一進一退した展開。日韓戦代表選手に選ばれた法大・清水貴志(法・4)がファーストブレイク(速攻)を決めれば、同じく代表選手である京産大の主将・清水雄二が取り返す。昨年に比べ、シュートエリアが広がった野尻(営・2)が体制を崩しながらもジャンプシュートを決めれば、京産大#17尾崎が高身長を生かしたプレーで食らいつく。法大前半の中心は、現在成長が著しいセンターの森(法・2)。ファールトラブルに悩ませられながらも、リバウンド、ゴール下とインサイドで積極的にプレーをし、10得点をたたき上げる。

後半

 均衡したゲームの中、引き離す糸口を作り出したのはオールラウンドなプレースタイルを持つ根間(法・3)だった。後半開始からエンジン全開。主将・瀧川(法・4)のリードもあって根間は10分間で8得点と大活躍。その直後、森は痛恨の5ファールで退場してしまうものの、法大はつかみかけた流れを簡単にはゆずらない。ディフェンスのプレッシャーを強め、京産大に思いどおりのプレーをさせず、ミスを誘う展開へ持ち込む。京産大はタイムアウトを取り建て直しをはかるが、法大は早いパス回しからシュートチャンスを作るようにし、リズムを保つ。勢いにのりスピードを増した清水(法・4)は京産大のミスをファーストブレイクできっちりとゴールに沈める。後半、瀧川はフルでゲームに出場。ガードとして好リードを保ち、ミスを抑え京産大につけいる隙を与えずに踏ん張る。結果、勝利の女神は5年という歳月を経て法大に微笑んだ。

走るチームへ

 念願の定期戦勝利を手にした法大。ディフェンスのプレッシャーを強めることで敵チームのミスを誘い、そこからファーストブレイクを展開する、という法大バスケ部の勝利方程式が京産大にも通用することが証明された。京産大は西日本で8位、最近の練習試合では昨年度SCACカンファレンスチャンピォンのローズ・ハルマン工科大学を相手にした。法大の 今回の勝利はひとつの自信にもつながる。しかし、梅津コーチはこの結果に満足しきったわけではなく「ファーストブレイクのつめが甘かった、精神的にも相手にダメージを与えられるものなので、しっかり決めないといけない」と厳しいコメント。この日、11得点の清水も「もっとディフェンスの当たりを強くして、すぐに走れるようにしないとファーストブレイクがしきれない」と冷静にチームを見据えた。  仙台高校時代から“走る”ことを続けてきた主将の瀧川は「走ればチームが乗れる、走るチームにしたい」と意気込んでいる。「キャプテンとして自覚が芽生えてきた」と明るく語る瀧川が、法大バスケ部を好リードし、今年の目標である『1部昇格』へアシストしてくれる日を期待したい。

(田中 耕介)


ダブル新記録 重量挙部

 4月21、22日に行われた第46回全日本学生ウエイトリフティング個人選手権において、2階級を新記録で制するという素晴らしい結果を残した。

 まず、1日目、77キロ級の木曽川(営3)が、スナッチ137.5キロで大学新。続くジャークでも165.0キロと、大学記録を更新し、トータル302.5キロで文句なしの完全優勝を果たした。翌2日目の105キロ超級。屋嘉(経4)が、まずスナッチで140.0キロを挙げ、ジャークは大会新記録となる192.5キロをマーク。トータルでも大会新の332.5キロで見事優勝を飾った。また、同じく105キロ超級で、3月19日に行われた第20回全日本Jrウエイトリフティング選手権を制した天野(営2)が、屋嘉に次いで準優勝。この階級は1位、2位を法大が独占した。

 優勝は逃したものの、94キロ級の園山(経4)、105キロ級の村山(営4)もそれぞれ準優勝という健闘を見せ、今大会も重量挙部の有志がまた一つ刻み込まれる大会となった。

さらに、舞台は日本だけに止まらず、世界規模の大会にも参戦。これからもより一層の躍進が期待されている。

(小田桐 由紀)

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