神宮にいます

稲葉篤紀(ヤクルトスワローズ) インタビュー

 法大時代から主軸として活躍していた稲葉篤紀選手。現在はヤクルトスワローズの中心選手として、実力・人気ともにトップクラスの稲葉選手に学生時代の話など語ってもらいました。

ヤクルト稲葉選手の写真 法大時代
 −4年生の秋(94年)の優勝って山中監督2季目ですよね。監督について何か印象に残っていることとか?
 まあ、1年しか(一緒に)やってないですし、監督にあーだこーだと言われた事も別にないですし・・・。だから、まぁ、山中監督は「自分たちで考えてやりなさい」って言う印象を僕は受けましたね。

 −99年は惜しくも2位に終わりましたが、監督は就任したこの年から毎年優勝へと導いてますよね。
 そうですよね。でも今年も優勝候補だったんですよね?最後に勝ち点を挙げれば優勝だったんですよね・・・?

 −やっぱり気になりますか、法政・・・?
 僕ね、時間があるときは結構見に来たりしてるんですよ。まぁ、神宮で僕らが試合があって、たまたま時間があるときは30分でも見たり・・・。なんせ今、名前とか全然わかんないんで、もう(笑)。

 −学生は当時と比べてどうですか?
 どうですかねぇ。まぁ、でも変わんないとは思いますね、応援してても。あっ、でもチアガールですか?増えましたよね。僕らの頃より・・・(笑)。だいぶ人気が出てきたんですね。

 −野球とはなれて、大学生活で思い出とか?
 大学生活ですか、うーん。思い出ですか。まぁ、僕らは野球もそうですけど、夏休みとか4年生全員で海行ったり・・・。うん、結構ねー、僕らの年代はすごく仲がよかったんです。寮生とかそういうの関係ナシで仲良くやってました。

 −今、野球部内ではウェートトレーニングが流行っているみたいですが、やってましたか?
 やってません。一応ね、合宿所の近くにトレーニングジムがあったんですよ。で、僕は会員になって、「じゃあ、やろう!」って行ってすぐやめました。続かなくて…。キツイっていうか、あんまり興味がなかった。だからウェイトがどれだけ大事かっていうのをちゃんと誰かに教えてもらって、それでやったらスゴイいいことだと思いますし・・。

ファン
 −野球部ってモテると思うんですけど、稲葉さんはどうでした?
 いや、大学時代は僕全然モテないんですよ。って言うかねぇ、僕ら上級生になると彼女とかいるじゃないですか、大学生になると。で、試合終わると彼女と一緒に帰るんですよ。だから、そういうファンとかも全然、多分いなかったですし・・・(笑)。

 −プロになって突然ファンが増えましたよね?
まぁ、プロに入って少しポッと活躍すると、みんな興味が出るって言うか、一時的なものなんですよ(笑)。だからドンドン新しい人が出て活躍すれば、みんなそっちの方へ行きますし・・。

 −でも今もファン多いですよね?
 うん。だから、その、本当のファン、まぁ、野球が好きでっていうファンもやっぱりいると思いますけど、でもどうして? も恋愛感情(笑)が入ったファンがいるじゃないですか。で、結婚するともう次あの人、あの人ってなるファンもやっぱりいますし・・・。だからそういうのは本当のファンじゃないと思いますけどね(笑)。僕なんかものすごい少なくなると思いますよ・・・(笑)。

 −そろそろヤバイですか?
もう、でも、もうヤバイですよ(笑)。ヤバイって言うか、別にもう、ねぇ。歳も歳ですし・・・(笑)。

 −最後に読者に一言
まぁ、でも、いろんな大先輩がいますからねぇ。ぼくなんか全然たいしたアレじゃないですけども・・・。「法政大学」っていうのが、その、最後の学歴なんで、何かにつけて出ると思うんですよ。それに恥じないようにこれからも頑張っていきたいと思います。(笑)。だからどんどん新しい人が出て活躍すれば、みんなそっちのほうへ行きますし。

取材後記
「やっぱりかっこいい、しかもイイ人」。憧れの稲葉選手とお会いしてカヨタマはKO。秋季キャンプ前日の多忙ななか本当にありがとうございました。広報の須藤様にも御礼申し上げます。

稲葉篤紀(いなば・あつのり)
ヤクルトスワローズ('95ドラフト3位)。外野手。1972(昭47)年8月3日生まれ。183cm、79kg。左投左打。中京高出身。94年度経営学部卒。法大時代、94年秋には主砲として優勝に貢献

*この記事は1999年11号「20周年特別記念号」に掲載されたものです。


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