紙面レギュラーコラム
創刊以来続くコラム。1面レイアウターの熱き思い、等身大のメッセージ
アウトライン
1月号レイアウター 茂野聡士
10年前、小学生だった僕はひ弱で泣き虫な情けないヤツだった。そんな僕を親は見かねたのだろう、母の故郷に住む伯母さんの家へ一週間泊まりに行くことを勧めた。僕はしぶしぶながらも行くことにした。

農作業や家の解体、なぜか冷蔵庫で冷やされた味噌汁。そこでの生活は、甘えて育った僕には一日中泣きそうなくらいつらかった。そんな僕を見て叔母さんは笑顔でハッパを掛けていた。正直最初は腹が立った。

しかし一日ごとに、仕事にも慣れ楽しさが生まれてきた。そして一週間を終え、親が迎えに来たときにおばさんは言った。「この子はホントによく頑張ったよ」。突然の言葉に感激し、それと同時に自分に自信が持てた。それからの僕は、不思議なほど泣かなくなった。自分が強くなったきっかけだと思っていた。

そのおばさんが先日他界してしてしまった。10年後の「強くなった」はずの僕は、悲しみにくれる母に何も言葉を掛けられないばかりか、一人になると泣いてしまった。結局のところ、10年前の泣き虫から何も強くなっていなかった。

冷静になってかんがえると、僕は「強い」人間では決してなく、「自分は強いんだ」と暗示を掛けて生きてきた気がする。しかしそれは、単なるうぬぼれでしかなかった。自分の欠点や弱さを見詰めずに、ただやみくもに生きてきたのだ。

まだ実感がないが、今年で僕も成人の仲間入りをした。そして、これからの1年間このサークルで重要な役職に就く。だからこそ今「等身大」の自分と向き合い、歩みは遅くとも、自分ができることを全うしようと思う。今まで自分を育ててくれた両親やお世話になっているすべての人たちのためにも。そして天国で見守ってくれているはずの伯母さんのためにも。



箱根駅伝号レイアウター 安井亜由子

21歳の誕生日。母から電話がきた。「入院」「手術」聞きなれない言葉にしばらく意味が理解できなかった。

高校から一人暮らしをしてはや6年。大学になって離れている距離は遠くなったけれど、いつまでも元気だと思い込んでいた。しかし、私が年を取るように母も年を取っている。そのことに気付こうとしてこなかった。手術までの間、大学にいっていても、友達と遊んでいても。どこかで母のことが気にかかり、心はずっと晴れない。元気だったのが当然だった分ショックも大きかった。

母の手術を気に、当たり前になりすぎて見落としている、大切なことを再認識させられた。今わたしには東京でのわたしの生活がある。だから知らずしらずのうちに1人で生きていけるような気になっていた。でも、わたしが自分のやりたいことに頑張れるのも、こんな娘を信頼してくれる両親の存在があるからこそ。強がっていてもまだまだ子どもだと痛感した。そしてそれに気付かずに、勘違いしていた自分がとても恥ずかしかった。

様々な情報が飛び交い、選択肢がたくさんある今の世の中で、本当に大切なものを見極めるのは難しい。上っ面のかっこよさに引かれて、見失ってしまいそうになる。しかし、子どもの頃から、今も変わらない大切なことはきっとあるはず。親が元気。周りに支えてくれる人がいる。大切に思える人がいる。こんな当たり前のようなことが、わたしにとっては元気の源だったりする。

また新しい1年が始まる。今年はどんな1年になるだろう。混沌とした時代であるが、何が自分にとって大切なのか、そのものさしはしっかりと持っていたい。


早明ラグビー号レイアウター 富田翔子
「こだわり」――。それは、暑苦しいほどにポジティブな究極の向上心だ。自分が今まで積み上げてきたものを信じ、自分のやり方を貫いて、さらに上を目指す努力を続ける。そして一つのことを決してあきらめない意志である。

運動神経ゼロ、お嬢様学校で美術部、スポーツとは縁遠かった高校時代。しかし地味でもおしとやかでもなく、むしろ体育会系の熱血漢という形容が似合ってしまう女子高生だった。よく言えば情熱家の、暑苦しいわたしの唯一のこだわりは「人とのつながり」。一度好きになった人はどうしても嫌いになれない。絶対に切り捨てない、あきらめない。欲張ってがむしゃらにその関係をつないでいく。一人ひとりに注ぐエネルギーも半端ではなく、ほんの少しこじれた関係を笑い飛ばせるようになるまで何年もかけたりする。割り切った生き方はできず、空回ったり、板ばさみになって行き詰まったり……。

「こだわり」が究極に前向きな意志でも、それが最も生産的であるとは限らない。だいたい、非効率的で『空回り』だろう。それぞれが違う遠回りをしながら苦悩し、立ち直り、それを繰り返す。しかし一方で無気力、無関心、「別に何でもいいや」の『近道』はむなしい。それよりはずっと、回り道の分だけ幸せを強く感じられるはずだ。

今までに出会った大切な人たちとの関係がわたしの「こだわり」の勲章で、数え上げたらきっと300は超える。その皆の顔を思い浮かべるだけで、自分はかなりの幸せ者だと思う。

こだわりすぎて暴走癖すらあるわたしだが、ただ一つ胸を張って言えること、「出会って良かった」、「ありがとう」。


早慶ラグビー号レイアウター 佐飛宏尚
先日早朝、通学のため満員電車に乗っていると満員の中でも人込みに負けず必死に立ちながらも本を読んでいる高校生の男子がいた。「わざわざこんな人込みの中で読書なんかしなくていいのに」と思いつつも、何を読んでいるのか興味があったので横目で盗み見してみた。すると、彼が読んでいたのは英単語集だった。「今時の高校生にしては珍しく勉強を頑張っているのだな」と感心すると同時に、彼と同い年くらいの弟の姿が頭に浮かんだ。

弟は現在、高校3年生でわたしが卒業したのと同じ高校に通っている。今その弟について不安なことがある。大学受験を控えているのにもかかわらず、勉強を全くしないことだ。わたしは大学進学のために上京してきたので実家に帰らない限り弟と顔を合わせることはないが、両親から弟の状態を聞いている。大学受験を経験したものとして、そして人生の先輩として助言をしてやりたい。しかし、数年前からお互いに全く口を聞かなくなってしまった。だから、言いたいことも言えない。いや、冷たく返されるのが怖くて助言を告白する勇気がなかった。

「弟の人生をだめにしてしまうのか」と、告白できないことを後悔する。しかし、一方で勇気がなかった自分に対しても将来不安を感じてしまう。告白は仕事や結婚など実社会の重要な場面で必要になってくる。その時告白するのができなければ、よりよい生活は送れないだろう。あたりさわりのない大学生活を送ってきたが、気が付けばもう3年になる。大学を卒業し、実社会に出るまであと1年半しかない。社会人になれば今までのように自分に甘えてばかりいられない。早く自分の弱さを克服したい。


早慶野球(秋)号レイアウター 久田圭太郎
朝から寝込んでいた。起きたのは夜の10時過ぎであった。今年の1月、期末テストを控えた前日。風邪をひき、39度近い熱を出した。わたしは愛知県の県人寮で生活をしている。寮での夕食の時間はすでに終わっていた。頭痛がひどく、外に食べ物を買いに行く気力などなかった。

そんな私を帰り支度をしていた寮母が見かけた。「どうしたの」と聞かれ、現状を話した。すると帰宅の準備をやめ、調理を始めた。寮母にも自分の家庭があり、生活がある。わたし一人のためにそれらを犠牲にしてくれたのだった。作ってくれたのはカレーライスであった。風邪ののどには大変つらかったが、心には世界で一番効く薬に違いなかった。

寮母のカレーが思い出させてくれたのはいろいろな人への『感謝の気持ち』であった。事実、わたしの力は微々たるもので、精神的にも強くない。一人では葉がたたず、何もできないこともあった。それにもかかわらず、乗り越えてこれたのはその弱さを支えてくれた周りの人の支えがあったからである。浪人時代に励ましてくれた友人。新聞社でのバイトにおいて協力してくれたサークルをはじめとする人々。この他にも、ここでは書ききれないほどの人々から支え
を受けてきた。そして現在でも受けている。

人は一人では生きていけない。周りの人の協力があってこそ生きていけるのではないか。『人』という字が示すように、『人』は支えがなければ『人』として生きていくことができないのである。わたしはもうすぐ22歳になる。『感謝の気持ち』を忘れずに生きていきたい。『わたし』が『わたし』として生きていくことができたのは数多くの支えが積み重なっているのだから。

10月号レイアウター 阿部桂子
「大人っぽくなったね」。久々に会う友人にそう言われたくて、普段より少し背伸びした格好をして出掛ける。「変わらない」なんて言われたらガックリ。私にはその言葉が「成長していない」に聞こえてしまうからだ。

昔から実年齢より下に見られ、その反動から『大人』への憧れは人一倍あった。最近はOLが読むような雑誌を好んで読み、次こそは大人の恋愛をと夢見る生活。でも、?歳を過ぎて改めて思う。私の目指す『大人』って何だろう。

先日、ラジオ局のバイトでミスをしてしまった。肝心なところでのミスだっただけに上司からはかなりの注意を受けた。「抜くとこ抜いても大事なところははずすな!社会に出ても同じだ」と。一日も早く社会人として働きたいと胸膨らませていた私だったが、この一件ですっかり意気消沈してしまった。

たしかに怠慢だった。信用に関わる仕事を任されているという自覚が薄れていた。この怠慢さはバイトだけに限ったことではない。日常生活においても同じことが言える。どこかで人を当てにしていたり、失敗を言い訳でごまかしたり。これが『大人』って言えるだろうか。

いくら外見を装ってみても、中身が伴なっていないのならいずれ回りに見抜かれる。そんな当たり前のことをこれまでずっと見て見ぬフリしてきたように思う。

「大人になる」と言ってまずすることは服装を変えることなんかではない。自分が発する言葉や行いにきちんと責任を持つこと。そしてオンとオフをうまく切り替える。出発点はそこにある。

大人ぶることから本物の大人へ。少しずつでも着実に、『大人』への階段を上っていきたい。

7月号レイアウター 横手宏美
 先日、母の実家へ遊びに行った。車で20分ほどの距離にあり、その日も、軽い気持ちで家族で出かけた。しかし、祖母と二人きりになった時、わたしは思いがけず、それまで一度も聞いたことがなかった話を聞くことになった。

 祖母は、祖父と結婚する前に1度婚約した人がいたという。時は戦争真っただ中。彼もまた戦地へ赴き、そのまま帰らぬ人となった。

 数えで21歳。あまりに早すぎる別れ。祖母はこのまま一人で通したいと思った。何十年もたった今でも、当時の歌を聞くとそのころの思い出がよみがえり、涙が止まらなくなるという。

 わたしは初めて、祖母がどんな人生を送ってきたのかを知った気がした。そしてまた、自分の心の中のどうしようもない違和感に当惑した。わたしはそれまで、祖母を『おばあちゃん』としてしか見てこなかった。一人の人間として、一人の女性としての祖母を、見ようとしてこなかった。話の中の女性とわたしの『おばあちゃん』である祖母が同じ人間だと受け入れられない。話にうなずきながらも、わたしは違和感をもてあそんでいた。

 祖母はこの話を消して祖父にはしないし、普段彼のことを口に出すこともない。では、どうして孫のわたしに話す気になったのだろう。それは、わたしが祖母の思いをきちんと受け止められると、判断したからだと思っている。そして、自分の思いを通して、彼の生涯を誰かに伝えておきたいと思ったのではないか。そんな祖母の思いに答えられない自分の未熟さが嫌になった。

大学生活を通じて、様々な人の話を聞く機会がある。わたしには想像もつかないような人生を送ってきた人もいるだろう。それでも、その人の生き方を真っすぐに見られるようにしていきたい。立場や肩書きに惑わされずに、その人の人自身の姿を見ていきたいと思う。

早慶アメフト号外レイアウター 小野高明
 初めてアメフトを見たのは2年前。この早慶戦だった。特に興味があったわけではなく、サークルの勧誘の一つとして見に来た。

 試合を見てみると、最初は訳が分からなかった。めまぐるしく動く大勢の選手とどこにあるのか分からないボール。そのボールと全く関係のないところで動く選手が、とても不思議だった。よくは分からない。しかし、プレーの迫力、試合のスリリングさに面白さは感じていた。

 ボールをただ前に運ぶ。目的はシンプルだ。数あるスポーツの中でも戦術の数と複雑さはダントツの一番。最初、そのシンプルな目的は実感しにくかった。しばらくがたって、そのシンプルさを実感しだすと、試合の見方が変わっていった。複雑な動きも、すべてがこの目的のためだというのが伝わってくる。ボールと関係のないところの攻防も、この目的を果たすために、連動していることだと分かってきた。

 目的を追求して役割は細分化され、その手段は枝木のように膨れ上がっていったアメフト。個人の責任が明確にされた、全員参加型のスポーツといわれる。このアメフトを、一般社会に置き換えて考えることも多い。それぞれが責任を果たすことで生まれる本当のチームワーク。そして、そこから生み出されるパワー。

 わたしが見てきた過去2年間。早大ビッグベアーズは素晴らしい試合を見せてきてくれた。スタンドで我を忘れて興奮していたのはわたしだけではない。今年、選手たちは自分たちに期待をし、本気で勝つための準備をしているのが伝わってくる。秋のリーグ戦まであと3カ月。甲子園という最高峰の舞台へ――。早大の歩みがもうすぐ始まる。

早慶野球(春)号レイアウター 後藤秀実
 小、中学校の卒業アルバムに書いた夢は『ノーベル医学賞受賞』だった。あれから約8年。今思うと笑える夢も、大学入学までは本気だった。病院通いの幼き日々。医者という職業は、おのずと夢になっていた。夢に向け、努力した。医学部に入りたくて、受かった大学をけって2浪した。でも、桜は咲かず、20歳の春に夢を断念した。

 『あきらめ過ぎで、夢のない学生』。ある雑誌に書いてあった言葉に、ドキッとした。不景気で『就職氷河期』『リストラ』と厳しい現実を耳にする時代。自分の可能性の限界を簡単に決めたい気持ちも、よく分かるからだ。「夢だと思って進んできた道は、間違いだったのかな」と浪人時代にたびたび思ったりもした。それでも、夢を持つことは大切であると、今わたしは思う。夢を見たために、2浪というちょっぴり痛い目に会ったわたしだけど。だって、夢を追いかけなかったら、この大学に入らなかった。大好きな大学生活を送っている今のわたしとは、別のわたしになってしまっただろうから。

 夢の断念から、はや3年。そろそろ、将来の仕事を選択する時期に入っている。まだ、やりたいことはあいまいであるが、可能性は狭めたくない。夢の一つは「大リーガーの通訳になる」こと。

 夢を見ることは、生きる原動力となる。その夢の実現に向けて努力することは、たとえ失敗に終わっても、成長するための糧となるはずだ。

 野茂英雄(米大リーグ・ドジャース)が夢舞台の大リーグに始めて挑戦する時に「成功すると思うか」と聞かれ、「できるとか、できないとかではない。やるしかない」と答えた。夢に挑戦する気持ちを常に持ちつづけていたい。

早慶サッカー号外レイアウター 原田遼
 サッカーに魅了されてはや10年。スタジアムへ足を運んだ回数は計り知れない。悲しいことに、もうよほどのことでない限り、サッカーを見て驚いたり、感動したりということはなくなった。だが今でも、『国立』で見る試合だけは、やはり格別なものがある。

 何年サッカーを見てきても、全身から鳥肌が立つような感覚に出くわすことはめったにない。それでもなぜだか、わたしにとってそれを感じる舞台は『国立』にあった。1997年(平9)W杯フランス大会最終予選対韓国戦での、山口素弘(現J1名古屋)のループシュート。98年(兵10)トヨタカップでのラウル(スペインリーグ・Rマドリード)の決勝ゴール−−。また、昨年の早慶サッカー、佐藤現主将のゴールにこの感覚を覚えたのもまたここ『国立』であった。

 屋根付き競技場では味わえない、あの上空いっぱいに広がる青空。夜、緑の芝と選手を美しく描き出す黄色いライト。そして横に並ぶ超満員の顔、顔、顔。こんな独特の雰囲気にのまれ、ゴールの瞬間、選手と観客一体となった熱狂が、大地を震わす大歓声と共に、一気にわたしの体に入ってくる。そしてまたあの感覚がやってくる。

 わたしが生まれる何年も前から、日本サッカーを、幾多の名勝負を見守ってきた場所、『国立』。二十歳になった今でも、ここでプレーすることにあこがれていた、あの少年時代と変わらぬ夢と感動を与えてくれる。いくら外国に負けないくらい立派なスタジアムができようと、いくら日本代表の試合が少なくなろうと、ここ二サッカーがある限り、わたしには『国立』が一番である。


新人パレード号外レイアウター 遠藤愛
 遠回りの人生を送ってきた。小学生のころ、鉄棒の前回りが出来たのはクラスでビリ、割り算の筆算もすぐには出来なかった。大学に入るのも1年浪人してやっとだった。

 そんな私らしく、春休みに『青春18きっぷ』を使って友人と二人でのんびり近畿地方を旅した。須磨の美しい海。夜の7時には人影のなくなる和歌山市のメインストリート。奈良県明日香地方に流れるゆったりとした時間。いろいろなものを自分の目で見て、自分の体で感じた。

 この旅で知ることと実感することは違う、ということを強く感じた。例えば明日香地方の自然や遺跡をテレビやイン^ーネットで知ることは出来る。けれどそこに流れる空気を感じるには、自分の足で行き、目で見なくてはならない。便利な世の中にはなったし、私もその恩恵にあずかっているが、自分の目で見て実感することを忘れてはならない。生きるとは、実感することにあるのではないだろうか。

 作家・村山由佳は『キスまでの距離』(集英社)の後書きで、できるだけ多くの人と出会い、その人が人生をかけてつかみ取った何かを横取りさせてもらう、ことで小説を書く、と言っている。わたしはこのサークルを通じてたくさんのスポーツの試合を見ている。そこには人生をかけて戦う人たちがいて、だからこそ真剣で見ている人を感動させる勝負が生まれる。わたしにとってそこは生きていることを実感できる場所である。その実感をたくさんの人たちに伝えたい、と思う。

 遠回りした分、多くの人たちに会って多くのことを感じた。それをこれからの自分の人生に生かしたいと思う今日このごろである。


早慶レガッタ号レイアウター 山本藍子
 ふとした瞬間、何らかの要因が働いて人と人は出会う。偶然のようで偶然ではない。わたしは人と出会うたび不思議な縁を感じる。単に椰しの勝手な思い込みなのかも しれない。けれど、そう考えたほうが人生すてきに思えるような気がする。

サークルの夏合宿の日、わたしにかかってきた一本の電話。家庭教師の依頼だった。教える相手は不登校の中学生。知らない人と接するのが苦手な 子にわたしはどうやって接していけばいいのだろ う。引き受けることに不安もあった。しかしその不安はすぐに解消された。「先生」と呼ばれることにくすぐったさを感じながら週二回彼女の家に通い続けるうち、信頼関係が生まれた。お互い心を開 いて話ができるようになった。そんな彼女が高校受験に合格したときには自分のとき以上に嬉しか った。

「何でも縁やちゃ、御縁のあるほうに行くようになっとんがいちゃ。」と祖母はよく言う。わたしは今までの二十年間を振り返ってしみじみその言葉の意味をかみ締める。たくさんの人と縁あって出会い、影響を受け、今の自分が存在する。数え切れないほどの人生という糸が絡まりあって「わたし」が形作られているのだ。そしてこれから向かう先には新たな出会いの可能性がある。

だが、わたしは待っているだけでいいのだろうか。そう自問することがある。縁と思うことも結局は自分がつかみとっているのではないのか。そして結果として縁があると思うのではないか。出会っただけでは始まらない。信頼関係を築くにはやはり自分の力が必要なのだ。今まで出会った人、これから出会う人、みんなを大切にしていきたい。

新入生歓迎号レイアウター 村岡貴仁
「知ることと、知らないこと。それは『1』と『0』でしかない」。私の故郷、室蘭市立図書館副館長・山下敏明さんの言葉だ。うなずいてはみたが、これを聞いた当時、高校を卒業して間もなかった私には、正直ピンとこなかった。だが今、この言葉の意味が改めて胸を打つ。

昨年のアメリカ合衆国同時多発テロ事件以降、膨大な情報が私達の前を行き交った。日々二転三転する事実や、多くの専門家がつむぎ出す推察。情報の多さに反比例して、確信は失われていった。目の前に見たこともない食べ物を並べられた猿のように、私は困惑した。

そして同時に、愕然とする。この惨劇をなに一つ理解することができない自分に。そして、私を含めた多くの「知らない」人々にかまわず、突き進んでいってしまう時代に。

「知ること」と「知らないこと」、それは1と0でしかない。まさしくあの時、私は0であり、無知だった。今まで私が集めた「1」の、狭さ、浅さを痛感した。そして考える。私は今、どれだけの「1」を持っているだろう。そしてこれから、どれだけの「0」を、「1」に変えて行けるだろう。
今日ご入学された新入生のみなさんも、自分に問い掛けてみてはどうか。今日「知ったこと」が、明日からの自分を一変させることがある。逆にこれまでの「知らないこと」との出会いの積み重ねが、私たちそれぞれの色合いを決めているのだろう。どうせなら、色とりどりで鮮やかなほうがいい。

「0」を「1」に変えるチャンスが、ここにはあふれている。幸いにも、私たちには、その手段と、時間がある。幸ある四年間を。

卒業記念号レイアウター 野澤祐輔
今日卒業される、ある先輩へ。この手紙を送ります。お元気ですか。桜もちらほら。もうすっかり春ですね。私にはかけがえのないものに気付きゆくこのごろです。

わたしにとってあなたは初めて持った、お兄ちゃん、そしてお姉ちゃんでした。あなたにはいろいろなことを教えてもらいました。新聞のこと、ラグビーのこと、お酒のこと。なんだかろくなものがないですね(笑)。覚えていますか。あの日のこと。苗場の夏があり、毎週末、どこかへ小旅行した秋がありました。毎日『7階』で顔を合わせた1週間があり、そして国立の1日がありました。もちろん小手指の1日も。あなたのそばにいるだけで、わたしは幸せを感じていました。あなたの強さにあこがれて、自分の弱さをうらみもしました。時にはうまくいかないこともあったけど、今こうして残っているのはいい思い出ばかりです。そんなわたしも気付けばあなたと最初に出会ったときの、あなたの年齢です。出来の悪い後輩ですが、あなたの守ってきたものをあなたの代わりに守っていこうと思います。

もしかしたらこんなわたしを人は笑うかもしれません。わたしがいつまでも過去にこだわっていると。でもそんなことは分かっています。自分の道を進まなければ。たとえ翼をもぎ取られても、前へ進まなければ。分かってはいるのですが、どうしても。花揺れる、春だけは。

過ぎ去りしあなたへ、思い出のあなたへ。あなたが座っていた椅子には、あなたと一緒に歩いた帰り道には、今も、あなたの面影が残っています。あなたのやさしさにあふれています。いつまでも、あなたは僕の大事な人です。あなたのことを忘れません。だから、僕のことを忘れないで。
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