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森村 苦しみ乗り越えエースに成長
中学時代は野球部だった。走力を見込まれ陸上の試合にも出場したが、あくまで陸上は副業であり、特別な練習は何もしなかった。そんな森村が中学3年時に千五百bで全国制覇を達成。国体でも高校1年までが出場できる少年B三千bで3位に食い込む活躍を見せた。高校では大好きな野球をやめ陸上に専念。理由はもう一度故郷富山代表として国体を走りたかったから。陸上界では全くの無名高だったが、総体三千b障害2位、目標の国体では6位入賞を果たす。陸上における素質は抜群だった。
常にトップ街道を走り続けてきた森村だったが、大学で初めて大きなカベに直面した。周囲のレベルの高さに、当初の練習では「付いていくので必死だった」と言う。1年生の箱根ではエントリー14人にも入れず、同期の1年生がメンバー入りする姿に「一人置いていかれた気分」を味わった。大飛躍を遂げ、次期エースと言われるまでに成長し迎えた2年生の箱根も屈辱に満ちたものだった。エース・佐藤敦之(平13人卒=現中国電力)の欠場で回ってきた花の2区の大役。「苦しかったことしか覚えていない。気付いたら終わっていた」と言う森村は区間12位に沈み、チームもシード落ちという最悪の結果に終わる。「箱根の雰囲気にのまれた」。実力的にも精神的にも未熟だった。
そんな森村にとって一つの転機になったのは陸上から一度離れたことだ。3年生の前半も不調で結果が出ず、どん底状態に陥った。「心も体もバラバラだった」。それを見抜いた遠藤司コーチ(昭60教卒)から休養を取ることを勧められ、走ることをやめた。この約1カ月のリフレッシュが本来の調子を取り戻させ、秋シーズンに復調。勢いそのままに箱根では会心の走りを見せる。3区を任されると、2位で受けたタスキを一気に先頭へ。ワセダ4年ぶりの首位快走を区間賞で飾った。それは森村が大学入学後初めてつかんだ栄光でもあった。
最終学年となった今季はチーム唯一となる一万b28分台を記録。エースの座を手中に収めた。駅伝シーズンでは派手な活躍はできなかったが、徐々に「イメージどおりの走りができるようになってきている」。何より幾多の苦しみからはい上がってきた森村にはここ一番の強さがある。
今季の早大は実力者がそろいながらも結果が出ず、前評判は決して高くない。しかし箱根においてエースの快走が劣勢を跳ね返した例は数知れず、当然森村にはその期待がかかる。「悪い流れできてもいい流れに変える」と自覚は十分だ。今回の箱根で競技生活にはピリオドを打つ。「国体に出たい」。その思いで陸上を始めたかつての野球少年が、今ワセダのエースとして、陸上人生の集大成を見せる。
(大塚俊希)
中尾と後藤
西脇工高時代、中尾はまぶしいほどの輝きを放っていた。全国高校駅伝では、二年連続優勝の立役者に。1998年(平10)の総体では、五千b日本人最高の2位、その年にたたき出した五千、一万bの最高タイムは、98年度の高校ランキング日本人ナンバーワン。陸上の神は、この男に天賦の才を授けたかのように思われた。だが早大入学後は試練の時期が続く。度重なる故障。走れない日々。焦り……。2年生で箱根路に初登場も、「悔しいというより情けなかった」と話すように、7区・区間13位の大ブレーキ。そしてチームはシード落ち。中尾はどん底を味わった。復活を懸けた昨季・万全な準備ができないまま挑んだ箱根予選会では、総合13位に食い込み大物の一端を見せつける。迎えた箱根では、1区、先頭から15秒差の区間9位。最低限の役割は果たせた。美しいフォーム、頂点を極めた経験。周囲が期待を抱かずにはいられない選ばれし男、中尾栄二。
それに対し後藤は、まさに努力の積み重ねによって早大の主力にまでのし上がってきた。高校時代は全くの無名ランナー。競技に対してもそれほど真剣ではなかった。その証拠に、当時県外で知っていた同世代の陸上選手は「中尾くらい」と言う。しかし一つの出会いが後藤の運命を劇的に変えた。進路を迷っていた高校3年、早大の陸上関係者を通して、遠藤司コーチ(昭60教卒)から直接誘いを受けたのだ。その言葉に心を打たれた後藤は、一般入試を受験し見事合格。そこからは一つ一つの階段を着実に昇ってきた。入学当初は「箱根に出ることが目標だった」と話すが、それも1年の箱根であっさりクリア。今年の4年生では、唯一3年続けて箱根を走っている。「中尾に対するライバル心はずっと抱いていた」。一般入試からはい上がり、積み重ねた練習によって、いつしか推薦組と比肩するまでになった努力の男、後藤信二。
最後の箱根に向けて、「ワセダで良かったと思えるレースをしたい」と中尾が言えば、後藤は「最後の最後まで優勝を目指して全力でいく」と話す。二人は大学卒業後、競技の第一線からは退くことを決めている。最終学年として迎える箱根、それは陸上人生最後の大一番。歩んできた道は違っても、最後に二人が抱くは同じ思い。「ワセダを頂点へ」。
2003年(平15)1月3日、大手町に歓喜の「都の西北」はこだまするのか。ワセダの選手として、何より一人のランナーとして、男の意地と誇りを懸けた聖戦は、まもなく幕を上げる。
(橋本和宏)
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