HP特別連載コラム

リレーエッセイ〜鬼殺し〜
早稲田スポーツ新聞会に伝わる伝統的な飲み会のコール、その名も「鬼殺し」。ただ「鬼殺し」という日本酒を回し飲みするという単純なものですが、なぜか盛り上がります。その理由はひとつに、上下関係を無視して「鬼殺し」をリレーしていくというところにあるのでしょう。なにもリレーできるのは「鬼殺し」だけではない、と考えたことから始まったこのコラム。前回の執筆者のテーマを次の人がつなげて書くという、リレーコラムです。少々苦しい結びつきもあるかとは思いますが、お許し下さい。

ご意見・ご感想をメールでお寄せ下さい

前回「思いやり」を受けて
第24回 大感謝根性
執筆者 新倉順子
 「思いやり」ですか。これまた難しいお題を回していただいて。『人間にとって最大の教養とは思いやり』か。良い事言いますね。ここで一つ昔話をしたいと思います。私は中学校高校と6年間ハンドベル部に所属していました。ハンドベル?何それと思った方は、自分で調べてください。楽器です。一つのベルが一つの音階を持っていて。そのベルを皆で鳴らして曲を奏でるんです。早い話がピアノの鍵盤を何人かで分担して弾くみたいなもの。

 一人で弾けるピアノと違ってハンドベルは5オクターブの曲をやるのに大体十五から二十人必要で、皆が適当にやっていると曲が成立しない。おいおい、話は思いやりについてだろ、って突っ込まれそうですね。忘れてやしません。最終的に曲を完成させる時までには思いやり、ものすごく大切になってきます。一人一人が違う音を持っているからこそ他の音を聞いてそれに合せてやらなければなりません。自分が目立ちたいがために勝手な音を出す、ある意味目立てます。でも曲としてはそこでおじゃん。

 話は変わり、早スポ人生も疾風のごとく過ぎ去ってしまいました。三年は短い。この短い三年の間、私はどれだけの思いやりをみんなに与えられたんだろう。あー、むしろ与えてあげられなかったなと大きく反省。思いやりって自分の心に余裕があって初めて出せるものでしょ。自分が一番の私はいつも自分のことにいっぱいいっぱいで他人のことなんて考えている余裕が無かったし。そんな自分のことしか考えてないような私がいても新聞は出来た。やっぱりそれはそんな私の分も頑張ってくれた人たち。その人たちの思いやりに支えられてきたのかなと思います。

 大勢で一つのことをやるには思いやりが大切、みんながお互いを思いやって、好き勝手をしないから一つのものが出来る。そのことを痛感していたはずの私は、早スポでは思いやりのあまり無い人でした。そんな私にも沢山の思いやりを与えてくれた早スポの皆に大感謝。
次回の執筆者は、茂野聡士です
前回「見えない力」を受けて
第23回 思いやり根性
執筆者 吉田みき
 『見えない力の存在を信じますか?』 その答えはもう、絶対に『はい!』です。 なんでかっていうと・・・ 私はいつもたくさんの見えない力をもらってると思うから。

  好きな人に会ったらそれだけでうれしいし元気になる。これはきっと世界万国、老若男女 共通の思い。恐ろしく寝起きの悪い私は、朝ちょっと大田尾から奮起剤をもらう。 頑張ってる人を見て、さあ自分も頑張ろう!一日を楽しく過ごすための小さな工夫。

 そしてなにかとよく悩む私ですが、そんなときは必ず友達に会いたくなります。会うと 気が付いたら悩みなんてどっかに消え去ってて、何もなかったように笑顔が戻ってる。 もちろん逆もあります。夜中に泣きながら電話をかけてきては『よっき〜・・・』。 すぐもらい泣きする私は、こんな時間に泣いたら明日目が腫れちゃうよ・・と思いつつ、 一緒になってしくしく。でも、こんな時間に電話してくんな!って思ったことは 不思議と一回もありません。
  相手も自分と同じように、何かを必要としているんだろうなって思うから、できる ことなら私もそれに答えたい。お互いの相手を思いやる気持ちが、きっとなにか 見えない力になって相手に届いて、お互いの元気の源になっていると信じています。

  『人間にとって最大の教養とは思いやり』。これは有名な大学教授の言葉で私の好きな言葉 です。なんでかっていうと・・どんなに難しい問題を解くことよりも、隣にいるあの人の 気持ちを考えることの方がずっと難しいし、そしてずっと大切なことなんだろうって思うから。
 
 そういうことで、いろいろ考える時間になった『松本・花園組』の新倉さん! 次は『思いやり』でおねがいしま〜す!!
次回の執筆者は、新倉順子です
前回「視線」を受けて
第22回 見えない力根性
執筆者 阿部桂子
「視線」かぁ…目移りばかりでコロコロと視線の先を変えている私だけど、そんな私の視線を今釘付けにする芸能人は、ワンナイでおなじみのぐっさん。決してタイプの顔ではないけれど、彼がブラウン管に登場すると、つい顔がほころんでしまいます。そして女性なら吉岡美穂。今「異議あり!」って思った人。「イタリア語会話」を見たら、あなたもきっと撃たれます。

話を戻して―。私が「視線」っていうお題をもらってまず考えたのは、その漢字について。「線」なんてどこ探してもないじゃない?!辞書を引いたって答えは書いてない。いったいどんな線があるっていうの?リレーエッセイのお題に、楽しむどころか、真剣に悩んでしまいました。

 今、私は大学の授業で「気」というものについて学んでいます。その神秘さと奥深さにとり憑かれ、一日の1/3くらいはそのことを考えるのに時間を費やします。(張り切って易学の通信講座もとりました。まだまだ勉強中だけど、占って欲しい方、ただいま募集中です)「気」とは、色んな解釈があるけれど、大きくは宇宙を構成するエネルギーのこと。そのエネルギーを体内に取り込み、充実させると、人は驚くほどの力が発揮でき、運が開けるというのです。これはすごい!私もこの「気」という見えない力にあやかりたい。ということで、早速実践。いやなことがあった時は、たくさんの「気」を取り込むため、ゆっくり伸びをしたり、深呼吸したり…意識してやっています。すると、なんとなく冷静になれて、「たいしたことないな」って思えたりします。これこそ、開運の第一歩(?)

 いつものように「気」のことを考えていて、ふと思ったんです。視線の「線」とは、送り手の「気」が作り出すものではないかと。人間は多かれ少なかれ「気」というエネルギーを持っている。そのエネルギーが目から放出され、注意を引きたい対象物に向かって見えない線を作る。それが「視線」。視線が痛く感じるというのは、送り手の放つ「気」が強いとき。そう考えたら、なんとなく納得がいきます。

 と、かなり強引な捉え方をしてみました。この宇宙には、「気」というもの以外にも、「見えない力」、未知の力があると私は信じています。 長いこと太田尾一筋に視線を送り続けているよっきー! 「見えない力」の存在を信じますか?
次回の執筆者は、吉田みきです
前回「大好きな顔」を受けて
第21回 視線根性
執筆者 宇田川真奈

 大好きな顔ですか。私にこのお題が回ってきたことに少し納得しちゃいました。 何と言ってもジャニーズ崇拝歴?年。さらにスポーツ選手、舞台役者、お笑い芸人、 イギリス王室と幅広くハマる私なので、大好きな人の顔についてならいくらでも書け ます。でも、そうすると本出せるくらい超大作になっちゃうし、次のお題が「拓哉」 とか「キンキ」とかになっちゃうかもしれない(笑)リレーエッセイとして次に上手 に渡すためにも、ここでは顔について語ってみたいと思います。

 私は、人と会って一番に「顔」、というか「目」を見ます。目って重要。「目は口 ほどにものを言う」という諺があるけど、それって本当だと思います。
 小さい頃、母が弟に内緒で私にだけ何かをくれるときは、いつもウインクしながら でした。このウインクは「弟にはナイショだよ」のサイン。中高時代、部活の先輩か らひたすら怒られ続けたミーティング中はうつむきながら、横に座る同期とよく目を 合わせてました。「自分のことは棚に上げてさ…」「よく言うよね、まったく」って 無言の愚痴りあい。バイト先のパスタ屋さんで行列ができているランチタイム、席が 空いたらすぐに片付け、テーブルを拭いて、セットができたら入口に立つ仲間と目を 合わせます。「この席にご案内してオッケイです!」の合図。

 目と目で会話したとき、「今、心の中に同じ思いがあるんだろうな」って思えて、 ちょっと嬉しくなります。なんか、私たちだけのヒミツを持っている気分。誰かと雑 談しているときも、選手に取材しているときもそう。「私たちは今、このことについ て考えながら話してるんだ」って目を見つめて確認しながら話してます。そうしない と、きっと会話って成り立たないと思います。

 だから私は、人の目をしっかり見ながら、話して、聞いてくれる人が好きです。で も、駅でポスターから視線を思いっきり感じて、彼(彼女)の目を見つめ返しちゃう のって私だけかなぁ…

  ってことで、次はまつげの長〜い阿部ちゃん、「視線」について語って下さい!

次回の執筆者は、阿部桂子です
前回「年齢」を受けて
第20回 大好きな顔根性
執筆者 後藤秀実

 年齢ですか・・。このサークルでは最年長23才7ヶ月であるが、世間的には若者だ。まだ「見た目は高校生でも通用するのでは」と思っているし、普段は年齢を感じることは少ない。唯一年齢を感じる時は、様々な分野で私と同世代の人の活躍を目にした時である。スポーツ界なら、W杯日本代表の多く、プロ野球・松坂大輔、大相撲・大関朝青龍らで、彼らから刺激を受けることも多い。
 先日、歌手・矢井田瞳のライブに出かけた。彼女も私より一才だけ年上。元気のある曲から、心に何かを訴える優しい曲まで、東京ドームいっぱいの客を酔わせていた。そのライブ中に、改めて感じたことは『笑顔』のパワー。矢井田瞳の歌に、演出に、多くの客が『笑顔』で応えていた。「ちょっと笑ってみて」と、彼女がデザインしたTシャツの言葉に自然に応えているように。
 『笑顔』を意識したのは、私の人生でただ一度の『笑わなかった時期』であった。浪人1年目。模試の結果がでるたびに落ち込み、余裕なく机に向かっていた。友人からの息抜きの誘いも断って勉強。しかし、成績は思うように伸びず、失敗の許されないセンター試験で大失敗。家に帰って、「もうダメだ」と号泣した。その時鏡に映った私の顔は、表情は無く、目は死んでいた。心から自分の顔をブサイクだと思った。
 翌日、励まされたくて、一方で「頑張れ、まだ大丈夫」など、その時の私にとってうさんくさい言葉は言われたくなくて、予備校教師を訪ねた。どん底の私に、その教師は思ってもいないことを言った。「前向きな考えと笑顔だけは忘れるな」と。鏡の前で無理に笑ってみたら、不思議と気が楽になり、その後の受験に臨めた。
 その時以来、何事にも「前向きで笑っていこう」と考えるようになった。失敗は今後を考える過程であって、一つの失敗で全てを失うわけではない。険しい顔をしているよりも、笑顔の方が前向きになれるから、笑顔でいたい。今では笑顔の虜になった私。笑顔の素敵な人に魅力を感じ、カメラを向けられると自然に笑ってしまう。人を笑わせることも大好きだ。
 2002年も残り数日。ニュースでも1年を降り返っているが、国際情勢や崖っぷち経済などと暗いニュースが多かった。一方で、『笑顔』が印象的だったのは、サッカーW杯のロシア戦でゴールを決めてベンチに向かう、日本代表・稲本潤一選手であった。2003年はどんな年になるのだろうか。急な景気回復などはないだろうが、きっかけは些細な事でも笑顔で前向きにいられる年にしたいものだ。
 次のテーマは『大好きな顔』で宇田川さんお願いします。

次回の執筆者は、宇田川真奈です
前回「11月」を受けて
第19回 年齢根性
執筆者 宇嶌直樹

11月30日で私は22歳になった。誕生日を迎えたのはゼミ合宿で行っていた千葉県館山市。合宿は翌日まであったのだが、12月1日は早明戦。その日の夜に帰ってきた。恐らく誕生日をそのような場所で迎えるのは初めてだったに違いないが、さすがにもう誕生日が来ることに感慨深いものはない。

小学生の時は、いわゆる誕生日プレゼントを友達や親からもらっていたし、中学生になれば親だけになり(別に友達がいなかったというわけではなく)、高校生の時は親から小遣いとして現金をもらっていた。16歳、18歳になった時は何となくうれしかったような気がするし、20歳になった時は感慨深いものがあった気がする。

だが今は年を取ることなどうれしくない、むしろ年月が過ぎないでくれとさえ思っている。大学生はいい、時間があるし、その時間を好きなことに使える。自他ともに認めるスポーツ(観戦)馬鹿である私は、大学に入学してから今までが、これまでの人生で一番充実している。早スポに入ったことで「取材」というそれまで考えられなかったことができている。

社会人になってもこの世界で生きていたいと思う、しかしマスコミに入ること自体難しい、入ってもスポーツが担当できるとは限らない、ましてや自分の担当したい競技をずっと担当できるなど不可能に近い。だから今このまま時がたち、早スポから、大学から卒業しなければならないことが嫌でたまらない。中学生の時は早く高校生になりたいと、高校3年時、浪人時代は早く大学生になりたいと思っていた。でも今は……、人生で初めて年を取りたくないと思っている。

次回は「年齢」で。現役最年長の後藤さんお願いします。

次回の執筆者は、後藤秀実です
前回「根性」を受けて
第18回 11月根性
執筆者 下麻奈美

早いもので、もう11月。ここで一句。

 < 予報士の  「霜がおりる」に  すぐ反応 >

…さて、リンリンこと林くんから渡されたお題は「根性」。私自身、根性はあるか否かを考えてみる。答えは「並にある」。つまりフツウ。
入院した友人に千羽鶴を折る根性はないし、年を取って、寒い中スカートを穿く根性もなくなった。でも。1時間半以上かかる通学も、同じ人に何度も振られるのも。そこそこの根性なければできません。

ところで、自分は昔ピアノを習っていた。ピアノは習い事として最もメジャーなものだろう。きっかけは知らないが、私は物心つく前から習わされた。そして小学校6年間とその前後10年間は、16時から1時間、練習させられていた。毎日。別に音楽の道を目指しているわけでもないのに、とても親が熱心だった。どうやら中途半端なことが嫌いなのだろうが、力、入れすぎ。子供の自分にとって、それはそれは嫌だった。練習前は家の時計を微妙に遅らせるなど子供ながらの小細工をしてみたり。思うように弾けず悔し涙流しながら弾いたり、もっとひどくなると、周りに当たったり。

ピアノを巡って親との衝突は数え切れない。何度「こんなものやめてやる」と思ったことか。それでも、中、高と成長するにつれ時間的余裕がなくなるまで、1度もやめることはなかった。毎日の練習をサボらずやった。それほどピアノを愛していたわけでもなかったので、これは根性で続けてきたものだと本人は思っている。また、自分に厳しく続けさせた親の根性もたいしたものである。

しかし、今となって思う。ヘタな音楽を毎日毎日、隣り近所に流し聞かせていたというのに、苦情が一度も来なかった。文句一つ言わなかった、当時隣りに住んでいたヤマダさん一家の根性は、もっとたいしたものだったということだ。根性があったというより、むしろ寛大だったと言えるのかもしれない。このように、周りの人の根性と寛大さに支えられて、やってきたわけです。

これからますます寒くなっていきますが、周りの人と、心を温め合って行きましょう。ということで、今まで書いてきた文とは全く関係ございませんが、次のお題は「11月」でお願いします。

次回の執筆者は、宇嶌直樹です
前回「Tシャツと短パン」を受けて
第17回 根性根性
執筆者 林佑樹

 吉村さん、すごいタイトルで俺に回してきましたね(笑)。私は、夏の間はTシャツと短パンで過ごすことが多く、その格好をして真っ赤な愛車(とは言っても自転車。名前はあかほしくん。阪神の赤星憲広選手から命名)に乗り、大学や神宮外苑(神宮球場や国立競技場)に行ったり、新宿駅周辺にお買い物などに行きます。私の自転車好きは高校時代からで、毎日通学で往復12キロ(約40分)、野球が見たい時には香川県営野球場まで往復30キロ(約100分)自転車を漕いでました。とにかく、私は自転車が好きです。

 しかし、東京の街は坂が多いです。私の故郷・香川県高松市は坂のほとんど無い街だったので、サイクリングも楽々でしたが、東京はどこに行っても坂。私も毎朝、高田馬場駅前から理工学部へ行く坂を登るのですが、登っただけで授業を受ける元気が大幅に無くなります。

 急な坂を登るのって、実は自転車に乗るより歩くほうが楽に登れるのですが、私はそれを良しとしません。超負けず嫌いの私は、自転車で坂を登りきれなかっただけでも悔しくなります。だから私は根性を出して最後まで自転車に乗って登りきります。別に誰が見ているわけでもないのに…でも、そうすることによって自分にほんのわずかな自信が生まれるんです。坂を登りきった体力や筋力でなく、根性を出して、結果を残したことに。

 私は、今まで楽をして生きてきました。高校時代も、浪人時代も、そして今までも。私のように、負けず嫌いで根性が無いというのは、一見矛盾しているようにも見えますが、要は努力せずに結果を求めているんだと思います。でも、実際には努力しないと結果が出ないことが多いですよね?それはトップアスリートを見ればよくわかります。数値では表せませんが、根性はどのスポーツ選手にも関係が深い、重要なパラメータなのかな、と私は思います。

ってことで、次は根性で下さんにお願いしようと思います!

次回の執筆者は、下麻奈美です
前回「自信」を受けて
第16回  Tシャツと短パン
執筆者 吉村夏希

 私はおしゃれが大好きだ。一ヶ月のバイト代の半分以上は衣装代に消えてしまうし、暇さえあれば、洋服屋さんをうろうろしていたい。2年になって早スポに入って、きっとみなさんが私を初めて見た時、「派手だな」と思ったと思う。なぜこんなにおしゃれをがんばるか・・・。田舎育ちなので田舎者に見られたくないとか、かわいくみられたいからなどという理由もある。しかし、一番の理由は他にある。自分に『自信』がないからだ。『自信』がないから、洋服で着飾り、化粧をし、ダイエットをすることで『自信』のない自分をごまかしているのである。

 世界陸上セビリア大会、マリオンジョーンズは女子100m決勝をトップでゴールした。その瞬間の彼女は過酷な練習をこなしたことから生まれる『自信』と、勝ちを実現した喜びに満ちあふれ、とても美しかった。私はその時、外見でなく、人間そのものとして、人を美しいと思った。

 彼女の様に、自分の何かに『自信』を持っている人は本当に美しい。その美しさは、ブランド物を身にまとって、スタイリストにメイクをばっちり施してもらった人の美しさなんか足元にも及ばない、と私は思う。

 今の私にはもしかすると、自分に『自信』を持てるきっかけになるかもしれない、というターゲットがある。それを手に入れるためには、時間もかかるだろうし、やらなければならないこともたくさんある。でもいつか、それを達成して、すっぴんにTシャツ短パンであっても輝ける女性になってやる〜!!!

ということで、次回のお題は『Tシャツと短パン』に決めてバトンタッチしたいと思います。

次回の執筆者は、林佑樹です
前回「宗教」を受けて
第15回  自信
執筆者 川田康裕


 テーマは「宗教」ですか。自分が仏教・日蓮宗の信者だってことは、早 スポの中では結構知られてるみたいですから、これはきっと前回の佐飛さんが、あえて設定されたんでしょうね(笑)。まあそういうわけですので、今回ちょっとだけこの場をお借りしたいと思います。

 宗教って、若者の間では特に、敬遠されがちな分野ですよね。「暗い」とか、「怪しい」とか。確かに、凶悪な犯罪を犯す団体が出てきてしまった以上は、それも仕方がないことだと思います。

 話は逸れますが、「視野が狭くなる」ことって、すごく怖いことですよね。例えば、誰かが何かで一芸に秀でることって、それはもう並大抵のことじゃないですけど、一方で、他の価値観と触れ合うことがほとんどなくなってしまうっていう可能性も、なくはないと思うんです。横浜高校野球部の渡辺元智監督が、著書で人的財産の大切さについて、「どんな人でも
いいから、とにかく会って話をしてみること。それによって自分の客観的な位置を確認することができ、自分の自信につながってゆく」と書かれていたのを読んだことがありました。ただ単に野球、野球とそればかりではなく、異なる業種の方たちと触れ合うことで生まれる人的財産がとても大切なのだと。

 福岡県より上京してからの一年間は、早稲田に入ることを目指して勉強をしていました。当時の自分の関心事といえば、もっぱら六大学野球。土日は早稲田の試合を観に神宮に行って、月曜からはキチット勉強し、週末
はまた神宮へ、という繰り返しでした。ただ、精神的に半ばふてくされていた自分は、他人に対して一切心を開こうとしませんでした。少人数でアットホームだった予備校では、ず抜けていい結果を出すものの、同級生と
は一切言葉を交わさない。自分の態度がムードを悪くしていることには、気づいていたのに・・・。そして週末は、独り神宮へ。でもそれって、実は自分に自信がないことの裏返しで・・・。

 そんな自分が入学後、渋谷の乗泉寺というお寺の、「青年会」という15歳から30歳位までの方たちで集まる会に参加しだしたんです。そこで、様々な職業の方たちと知り合うことができました。他人に対して心を開くことを怖がっていた自分にとっては、すごい飛躍です。結果、渡辺監督のお言葉通りになりました。そして、自分を深い沼の底から引っ張り出してくれるような言葉との出会いがありました。

 私事続きの文章になってしまい誠に恐縮ですが、高校を卒業して秋田を離れるまでは、持てる時間のほぼ全てを将棋と、長距離を走ることに費やしてきました。(陸上部ではなかったですが)特に将棋は、もう自分とは
切っても切れないものでした。青春の全てでした。でも自分は、都会に出てきてからそのことを胸を張って人に言えなかった。「野球やってました」、「サッカーやってました」なんていうのとは違い、ひょっとしたら女性に「ダサイ、暗い」と思われるんじゃないかって・・・。

 ある信者の方が、与えてくれた言葉。それは、「自分と他人を比べてはいけない」。その一言で、コンプレックスが少しは自信に変わっていったような気がします。ということで、次回は「自信」でお願いします。

次回の執筆者は、吉村夏樹です
前回「めぐり遭い」を受けて
第14回  宗教
執筆者 佐飛宏尚


 いよいよ待ちに待ったイベントが今週始まる。韓国・プサンで行われるアジア大会だ。この大会は韓国が開催する総合スポーツ大会としては初めて北朝鮮が参加することで注目されているが、自分の見所は異なる。関心を寄せているのは世間から偏見をもたれがちなボディビルが正式種目として採用されているからである。私もボディビルが好きだというと周りから白い目で見られるが、それを好きになったのは高校時代に高橋さんという男性とのめぐり遭いがあったのが大きい。

 部活動を引退し、大学受験を控えていた私は体をなまらせないために地元の体育館にあるトレーニング室に通うことにした。その施設の存在は知っていたものの、どういう人たちが利用しているのかは全然わからなかった。早速トレーニング室に行ってみると鏡張りの部屋で筋肉隆々のいかつい中年男性が一人でトレーニングをしていた。怖かったのでしばらく目をあわせないようにした。しかし、私が背筋をしていて体を起こすと、なんと目の前にはあの男性が立っているではないか。そう、その男性こそが高橋さんであり、外見とは裏腹に親身になってトレーニングのイロハを教えてくれた。そのあとも高橋さんの存在で気軽にトレーニングを続けることができたし、それを通じて筋肉をつけること、もっと正確にいえば筋肉を美しく見せることがいかに難しいかわかった。だから、ボディビルに興味を持った。

 「ボディビルとは何か?」自分なりの答えをいうと、"宗教"である。そもそも、このスポーツは自らの欲求に打ち克たなければいけない。人間の身体に関するスポーツなので他のスポーツと比べて運動能力の差が出にくい。だから、いかにトレーニングで筋肉をつけ食料制限で脂肪を落とせるかがカギとなる。つまり、筋肉美(神)のためにひたすらトレーニングと食事制限(信仰)するのだ。絶えず信仰したものだけがボディビルダーとしての資格を与えられ大会に出ることが許される。そして大会では今までの信仰と神に対する表現力(ポージング)で勝ち負けが決まる。この、他のスポーツを超える精神状態こそが自分がボディビルを見る上での醍醐味なのだ。

 理由は何であれかまわない。アジア大会を通じてより多くの人にスポーツとしてのボディビルに興味を持ってもらいたい。次は「宗教」で。

次回の執筆者は、川田康裕です
前回「さらり」を受けて
第13回  めぐり遭い
執筆者 柿崎康

「さらり」と言ってしまおう。僕は「モーニング娘。」が好きだ。しかも大好きだ。
次の土曜日は横浜アリーナのライブに行ってくる。もう「♪胸Bon Bo Ba Bon」状態だ。

もともとNo Music No Lifeな僕だが、大学に入り東京で一人暮らしを始めてから、その度合いはますます高くなった。そして、「モーニング娘。」を聴く時間も多くなっていった。
現在、"五期メンバー"加入後13人となった彼女たちのうち、6人がいわゆる"地方出身者"だ。北海道3人。そして、奈良、福井、新潟。
東京に"出てきた"者という点では自分と合い通ずる。
親元を遠く離れたこの大きな街でなんとかやっていこう。さみしいけれどもなんとか頑張ろう。
きっと彼女たちも「♪東京で一人暮らしたら 母さんの優しさ心にしみた」はずだ。
そんな自分より年下の彼女たちがテレビの向こうで一生懸命歌い、一生懸命踊り、一生懸命頑張っている。
「頑張れ−。」
テレビの前でいつしか彼女たちを応援している自分がいた。

彼女たちの音楽は今の僕を支えてくれている。これから何十年か経って、「あの頃」を振り返った時、僕の想い出には彼女たちの音楽が流れているんだろうなぁ。って思う。
「♪さ〜ほら愛そうぜ 最高級で愛そうぜ」
「♪幸せになりたい あなたを守りたい 平凡な私にだってできるはず」
恋をした時は勇気をくれる。
「♪間違ったってしょうがないでしょう 迷ってたって始まんないでしょう」
「♪誰かを責めるより 涙を流すより 自分を愛してあげようよ」
弱気になって、くよくよしている時は背中を押してくれる。
「♪人生って すばらしい ほら 誰かと出会ったり 恋をしてみたり」
ホント、その通り。
まだ21歳だけど、こうして歳を重ねていく毎に辛いこととかめげそうなことも増えてきた。
でも新しい出逢いや恋も生まれていく。
『とりあえず受けてみよう』で合格した中学。
『みんなが行くから』で選んだ高校。
『もらえたらラッキー』でつかんだ大学への指定校推薦。
まったく人生は偶然の積み重ねで、そうしたつながりの行き着いた先で今、僕はこうしてすばらしい友達とめぐり逢うことができて、そして、恋をしている。
「♪人生ってすばらしい ほら いつもと同じ道だって なんか見つけよう!
Ah すばらしい誰かと Ah めぐりあう道となれ!」
僕はこれから「♪"自分"が持ってる 未来行きの切符」を使って、いったいどれくらいの人たちとめぐり逢うことができるだろう?
そして、僕はどんな人に「♪モーニングコーヒー 飲もうよ二人で」って言うんだろう?(笑)

とゆーことで、佐飛クン。次のお題は「めぐり逢い」でいきまっしょい!

次回の執筆者は、佐飛宏尚です
前回「地味」を受けて
第12回 さらり
執筆者 富田翔子

アナスイの黒い定期入れ、携帯電話、無印良品のA5版のぶ厚いスケジュール帳、ビバユーの財布、ハンドタオル、ポケットティッシュ・・・地味か派手かと言われれば、派手好きな私だが、いつもかばんに入ってて毎日使うものは意外にシンプルだ。

これも無印の、再生紙のダブルリングノート。なかみは罫線のない真っ白い無地。黒のゲルインクボールペンと合わせて、私の日常にかかせないアイテムである。これからラグビーのシーズンに入ると、我流のスコアと取材の汚いメモでたくさんページを使う。夏休み中は青春18切符を使ってたくさん旅をしたので、暇つぶしに遊んだ「絵しりとり」だらけでもある。普段は、一番後ろのページはおこづかい帳とか備忘帳になっていて、前の方のページは恋人への想いなどを綴った詩集、裏表紙には友達に書いてもらった寄せ書きがある。

卒業でも転校でもないのになんで寄せ書き?と言われるが、あまりそういうのとは関係ない寄せ書きなのだ。詩も、投稿するわけでも、誰かに読ませるわけでもない。ただ、ときどき行き詰ったり、どうしようもなく気分が高揚したりすると、このノートを開いている。書いたり、読んだり。言葉や絵にはパワーがあって、元気をもらったり、落ち着いたりする。そういうものがいっぱい詰まったノートなのだ。

大切な友達や、恋人が、考えていることが、互いに言わなくてもわかったりする。それは、別に不思議なことじゃなくて、単純計算でいっても、その相手のことを考える時間や費やすエネルギーが多いのだから、当たり前のことだ。でも、だからこそ、あえて言葉にして伝えなきゃいけないこともあるんだよ、って思うようになった、今日この頃。できれば会って伝えて、照れくさかったら手紙で、対象が絞れない場合はこのノートに書きとめて。「ありがとう」「ごめんね」「大好き」「お疲れ」「おめでとう」―わかりきってることでも、大事なことは言わなきゃ、ね。

とても単純に、想いを言葉にすること、それが「さらり」とできたら、人は幸せ。

次回の執筆者は、柿崎康です
前回「器用」を受けて
第11回 地味
執筆者 藤元健介

左利きには器用な人が多い、とよく言われる。けれど僕は確実に不器用だ。だから人に「左利きだから器用でしょ?」と聞かれても、器用な理由が左利き“だから”ってとこがピンとこない。そんなに関係あるのかなと思う。世の中結構こういうことが多くないだろうか?例えば血液型と性格。「A型“だから”きちょう面な性格」とか。

まあとにかく僕は不器用だ。そのためか器用な人を見ると羨ましいとかではなくただただ感心させられる。だからスポーツ選手でも器用な選手が好きだ。

アメリカのプロバスケットボール、NBAのユタ・ジャズに、ジョン・ストックトンという現役19年目のPGがいる。器用な選手だと思う。観客を沸かせる「曲芸的」な器用さではなく、したたかに試合を支配する「巧み」な器用さを持った選手で、アシスト数やスティール数で歴代1位の記録も持っている。実績からすればスーパースターだが、そうはいかないのがスポーツ。この選手とにかく地味なのだ。ユタ・ジャズという全国的にマイナーなチームに所属し、ビジュアルはよろしくなく、かといって言動も平凡、同世代には“神様”マイケル・ジョーダンを筆頭にスター選手ばかり。また、相棒であるカール・マローンと、ストックトンがパスを出しマローンが得点を決めるというパターン(通称ストックトン&マローン)を約20年貫いており、マンネリと揶揄されるほどだ。毎年地道にコツコツプレーしてそこそこの成績を残す。表でも裏でもない街道を歩んできた。

そんなストックトンも、実力は折り紙付きなわけで、スポットライトをあびたこともあった。NBAファイナルで96〜97・97〜98シ―ズンと2年連続で、ジョーダン率いるシカゴ・ブルズと対戦した時だ。しかし、結果は共にシカゴの勝ち。ジョーダンが2度目の三連覇を達成して神様の名を不動のものとする一方、ここでもストックトンは地味に脇役として記憶されることとなった。

そんな中、1つ印象的なシーンがある。96〜97ファイナルの第4戦、残り1分をきったところでシカゴが1点のリード。ここでジョーダンのシュートのリバウンドをストックトンが拾う。前方にはいち早く抜け出したマローンとそれを追うジョーダン。ストックトンがマローンへロングパスを出す、その放物線はジョーダンがジャンプ一番で伸ばした手のわずかに上を超えマローンのもとへ――。フリーのマローンが冷静にシュートを決め逆転。このままリードを保ったユタがこの試合をものした。このシーンに地味ながらも地道にプレーを積み重ねてきたストックトン(&マローン)の神髄を見た気がした。シリーズ全体を通しては脇役だったストックトンもこの試合に関しては主役だった。

地味な選手が一瞬の光を放つ、これもスポーツの魅力ではないだろうか。

ということで次のテーマは「地味」でいきましょう。

次回の執筆者は、富田翔子です
前回「かっこいい」を受けて
第10回 器用
執筆者 久田圭太郎

自分の意志を貫き通せること。私にはそれができる人が「かっこいい」と思う。現代の若者は意思を貫き通せる人が少ない。それどころか、思ったこともハッキリと言えない有様だ。

4月15日のことになるが、自分の性別に違和感を覚える「性同一性障害」のため、女子選手から男子選手に変更した競艇の安藤大将(ひろまさ)選手(39)が、住之江競艇場(大阪市住之江区)で初勝利を飾った。「僕は性同一性障害という病気にかかっています。小さい時から隠し続けてきたのですが、この病気に立ち向かうためにこれを公表し、名前を改めて男子選手として活動したいと決意しました」とコメントをした。

心と体の性が一致しない、性同一性障害。そのギャップを誰にも言えず、一人悩み続けてきたという。競技の上では女性から男性への変更は有利にならず問題ない。むしろ体力的な面からすればマイナスになる。そのまま女子選手として競技を続けるといった選択肢もあったはずだ。カミングアウトすれば、周りからどのように言われるかもわからない。

しかし、安藤選手は自分が一番納得する選択肢を選択した。たとえ周りからどんなことを言われようとも、競技において不利になっても。今後、安藤大将選手が男子選手としてどれほど力を発揮することが出来るかは判らないが、この勇気ある決断により、少なくとも本人として、長年の鬱屈はひとまず晴れたことだろう。

たった一度の人生。納得できる人生を送れたかは、人生を終えてみないとわからない。しかし、自分というものを出していかなければ、納得した人生を送ることは難しいと思う。周りにまったく気を使わないのもどうかと思うが、臨機応変に対応することができれば、より素晴らしい人生になるはずだ。

私は器用な人間ではない。自分を出す時と自分を引く時のタイミングが上手くない。このタイミングの上手い取り方が私の今後の課題である。不器用なりに自分を貫くところは貫いて、納得できる人生を送りたいものだ。

ということで、次回のお題は「器用」でよろしく!!

次回の執筆者は、藤元健介です
前回「あきらめないこと」を受けて
第9回 かっこいい
執筆者 安井亜由子

「あきらめること」は簡単。でも「あきらめないこと」はとても難しい。

先日テレビを見ていたら、一昔前、箱根駅伝で活躍し脚光浴びた選手が出演していた。彼は高校卒業後、実業団に入ったものの箱根駅伝への情熱が断ち切れず、実業団を辞めて駅伝強豪大学へ入部。1,2年生で連続区間賞を獲得した。更なる活躍が期待された三年時に、走行中足を痛めてまさかの棄権。だが、最終学年で「花の2区」8人抜きの力走をみせ、復活を遂げた。そんな彼の走っている姿を最近見かけないなと思っていたら、なんと故障が原因で引退していた。もうすっかり競技から離れた生活を送っていたのに、2年のブランクを経てまた走り始め、冬に行われるレースの標準記録をきりたいという。今の彼は、陸上をやっている普通の高校生程度のタイムでしか走れない。それを半年でトップレベル近くまで引き上げるというのだ。陸上関係者が聞けば「ありえない」話である。だが、彼なら出来そうな気がする。「何かにひたむきに一生懸命になれる人」には不可能を可能にさせる力があるように思えるからだ。
 
私は彼の走りに対する姿勢、生き方が好きだ。一度道を誤ったり立ち止まったりしたとしても、引き返してきて、ひたむきに自分の目標や大切なものを追い求める。普通の人ならあきらめて現状に甘んじてしまうところを、あえてチャレンジャーとして困難に立ち向かっていく。とてもかっこいい生き方だと思う。そして、私もそんな風に生きたいと思う。

「かっこいい」英訳すればsmart。でも、なんでもかんでもスマートにこなすのだけがかっこいいわけじゃない。紆余曲折を繰り返しながらも、自分のやりたい事や夢に向かって汗水たらしてがんばるのもそれに負けないくらいかっこいい。

その目標は何だっていい。例えば「見た目をかっこよくしたい」というのでも全然問題ない。でも「かっこよくなりたい」と言ってるだけで何もしない人はずっと何も変わらない。本を読んで流行の髪型やファッションをチェックするのもよし。体をひきしめるのもよし。それなりの努力が必要だ。友達にからかわれても、自分がそうなりたいならがんばれるはず。リスクを背負うってこともたまには必要なんだと思う。「これしかない」と覚悟を決めれば、誰でも一生懸命になれるもの。その瞬間って、苦しいかもしれないけど、充実している時なんじゃないかな。そしてその経験が人をかっこよくさせるんだと思う。逃げてばっかりじゃ、きっとかっこよくはなれない。だからこそ、内面からにじみ出る「かっこいい」オーラをもつ、そんな女性に私はなりたい。

ということで、次のお題は「かっこいい」でお願いします。

次回の執筆者は、久田圭太郎です
前回「イメージ」を受けて
第8回 あきらめないこと
執筆者 柴田麻由美
サッカー日本代表の活躍をここまでイメージしただろうか。世論の大方の予想は厳しくも1次リーグ敗退であった。ところが、ベルギー戦で初の勝ち点を挙げ、ロシア戦で初勝利、そしてチュニジア戦でも勝利し、1位通過で決勝トーナメント進出を決めた。初物づくしの日本は「三度歴史を塗り替えた」と言われた。もうひとつ歴史を変えることはできなかったが、日本代表の活躍は日本列島を熱狂の渦に巻き込んだ。

今大会は番狂わせも多い。フランス、アルゼンチンなどの強豪とされるチームが1次リーグで早々と姿を消した。「あきらめたらそこで試合終了だよ」とは知る人ぞ知る名言だが、後半43分に同点ゴール、延長でイタリアを破った韓国を見て、あきらめるなんてことはするもんじゃないと改めて思わされた。

私は早稲田に入るのに一年浪人した。高校時代は謙遜でも何でもなく落ちこぼれだった。3年になってようやく勉強し始めたが、1,2年はまるで勉強なんてしなかった。学年順位は後ろから数えたほうが早かった。それでも高校2年の進路希望調査表には第一志望の欄に“早稲田”の文字を記入し、担任から半ば呆れ顔で「目標は高いほうがいいですからね」と言われた。やる前からあきらめるなんてまったくもってバカバカしい。

それ以来、私は早稲田という言葉を表に出さなくなり、高3時には早稲田を受験せず、密かに“二ヵ年計画”を企てた。そうして私は一浪して見事早稲田に合格した。一浪したにせよ、私のこの結果に驚いた者は多かっただろう。しかし、周りの評価が何であれ、世論がどうであれ、やるのは自分。あきらめないことが肝心。というか、何事もやってみなけりゃ分からない。「奇跡は自分で起こすもの」とはイチローのお言葉。

あぁ、早稲田に入れてよかった!そんな気持ちは入学して3年目ともなると日常生活からは忘れ去られている。しかし、そんな気持ちを思い出させてくれたのが先日の野球部のリーグ戦優勝。だれかれ構わず早大生みんなで優勝の喜びを分かち合う。提灯行列をしながら誰かが「♪紺碧〜」と歌い出せば、それに続く者がいる。そんな早稲田―。サッカー日本代表の快進撃に沸いた青い人の波は六本木の横断歩道を渡りながら、すれ違う見ず知らずの人とハイタッチ!そんな光景に“早稲田のでっかいバージョン日本”を見た気がした。

はてさて、優勝トロフィーはどこの国にもたらされるのでしょうか。
次回の執筆者は、安井亜由子です
前回「思いこみ」を受けて
第7回 イメージ                  
執筆者 古藤田訓昭

「思い込み」って聞いて頭に思い浮かぶ事はたくさんありますね。もうありすぎて困るくらい。だって考えようによっては人間の行動の大半を占めているのは「思い込み」じゃない?それが正しい事だって誰かに教わるか、自分で勝手に決め込んじゃうかのどっちかだと思うんだよね。具体例を挙げるとなると、まあよくゆう宗教とかオカルトだとかってのはあまり詳しくないから、ここでは自分の得意分野のスポーツネタでいこうかな。

スケートの清水宏保選手、彼の言動はまさにその「思い込み」をうまく自分の競技能力の向上に生かしているなって思う。知ってる?彼は自分の筋肉と対話することができるんだって。ほんとにしてるのか知らないけど、とにかく自分の体のことよく知ってるってことだよね。Numberとかで彼の記事読んでると「知覚する」って言葉がよく出てくる。厳しいトレーニング、それこそ失神寸前まで自分の体を追い込んでいって脳と筋繊維にそれまでの限界点を引き上げさせるんだって。そうやって神経が研ぎ澄まされていくと通常では感じることのできない部分、いわゆる不随筋と呼ばれる箇所まで知覚することができるんだって。ほんとに?じゃあ胃とか腸の感覚もあるの?「あっ今動いた」とかって。妊婦じゃん、まるで。でも本人いわくほんとらしい。

一流のアスリートと呼ばれる人達は、少なからずそういった他人にはわからない”自分だけの感覚”を持っている。そいつを何よりも大事にするから、一般論とか既成概念にとらわれない。しがらみなくどんどん自己改革ができる。全ては本人のなかの「思い込み」をうまく利用してるんだと思う。それまでの自分を壊して新しい自分を再構築する。大事なのはイメージ。実際にプレーしてるのと変わらないくらいの鮮明なイメージが「思い込み」を実際の動きに昇華させる。一流と二流の差ってそういうところにあると思うんだよね。イチローとか中田英の描くイメージってすごいと思うよ。もうハイビジョンなんてメじゃないくらいにね。自分はスポーツではそこまでにはなれないけれど、何か別のところで彼らのそういった姿勢を真似できないかなって思う。彼らのパフォーマンス向上の工夫はきっと日常生活にだって応用できる。何に対しても同じだよ、つまりは自分とよく向き合って変えるべきところは変えていく。新しい自分を見つけてこうよ。これが今の自分の「思い込み」ってやつかな。

次のテーマはずばり「イメージ」で、よろしくお願いします。

次回の執筆者は、柴田麻由美です
前回「適任」を受けて
第6回 思いこみ                  
執筆者 横手宏美

「 適任」。私には、自分にどんな役割が適任なのか、はっきり言ってよくわからな い。だけれども、向いていようがなかろうが、どうしても自分がやらなければならないときがある。そんなとき何が肝心だろうか。私は断然、思いこみだと思う。

私は高校時代、ESSに所属していた。活動としては、主に英語劇、というかほぼ10 0%英語劇だった。劇というのは、基本的に何人もの役者がでてきて、舞台の上であ る世界をつくりあげる。人数が少なかったため、一つの役に一人、一度決めてしまえば最後までそのままだった。したがって配役というのは、ものすごく大切である。 私が狙うは、当然主役!!舞台の中央に 立ってスポットライトをあびたい…。そのために一番じゃまになるのが、私が適役だといわれる脇役だった。私たちがその年やろうとしていた劇には> 幼い妹という役があった。私は背が低い。妹役、なると一番ぴったりだということに> なってしまう。そこで私は必死に考えた。妹なんかいなければいい。私のおもわくに気づかれないように、さりげなく、細心の注意を払って他の部員を説得する。「私たち、人 数少ないし、妹はなくしても いいんじゃない?」

しかし残念ながら、私は妹役は何とか免れたものの、主役の座は逃してしまった。
そのかわり、というわけではないが、私は舞台監督になった。とにかく人数は少ない し、消去法で私が監督をやるべき状況だったのだ。それまでは舞台の上のこと、もっと言えば 自分のことしか考えていなかったが、全体を見る必要がでてきた。「自分がやりたくないから」なんて理由で役を減らしてしまった私が、である。私が他の部員だったら、絶対そんなやつに監督なんてさせたくないが、なってしまったものは仕方ない。

舞台監督の具体的な仕事といえば、あらゆることのダメ出しだ。基本的に私は、劇の 出来の半分は監督がどこまでこだわれるか、どこまで役者の力をひきだせるかにか かっていると思う。だからもう、相当あれこれ指示を出した。納得がいくまで何度で も練習を繰り返した。といっても、別に私は専門知識をもっていたわけではなかっ た。あるのは情熱だけ。なんであんなに自信があったのか、いま考えると不思議である。

おそらくそれは、私がやるしかない、私ならできるはずだ、という思いこみだった のだと思う。そして自分の勘を信じて突き進む。一度勢いに乗ってしまえば、後はこっちのものである。私の自信満々 な態度はかなり有効だった。

私は素人監督にすぎなかったけれど、でもこのことは様々なスポーツの監督 にもいえるのではないかと思う。もちろん、冷静な判断は不可欠だ。しかし、最後は 必ずうまくいく、勝利をものにすると信じて突き進むことが、選手の力を引き出すの ではないだろうか。

とはいえ、私の場合は、かなりの楽観主義だし、いいかげんなのであてにならないのだけど…。何事も結果オーライである。
ということで、次回のお題は、「思いこみ」です。

次回の執筆者は、古藤田訓昭です
前回「リプレイ」を受けて
第5回 適任                  
執筆者 松浦梨絵

リプレイですか…リプレイを受けて私が書けるのは、まず私はリプレイ嫌い(というかリプレイを見るはめになってしまったことが嫌い)だということです。野球なんかは見だすとテレビの前から離れなくなるような人です。そのお陰で成績が落ちたことすらありました。でも近年はながら勉強というものを身に付けまして、それ以来は効率よくやっております。

ま、そんなことはどうでもよくて、ここからは私なりの「リプレイ経験」について。

私にはリプレイしたくない昔があります。それは私がバドミントン部にいた高校時代のこと。私の高校では、高3の引退に伴い5月から高2が部長を務めます。私は高1の頃副部長で、来年は当然部長をやるものだと思っていました。それが部長選挙の日、私は部長に選ばれませんでした。総意というより、私の学年のメンバーがそう望んだとのことでした。

その後数ヶ月間は、いくらネアカな私ですら人間不信気味になりました。どうしてみんなは私を外したんだろう…どうしてそれを言ってくれなかったんだろう…みんなはいつものように部活を続け、何もわからずに私はどんどん不安になっていきました。

何度も頭の中であの部長選挙の瞬間がリプレイされて、その度に気持ちが落ち込みました。そんな中、部長になった友人はよく私に相談をしてきました。私はそれには真面目に答えていました。

すると時が過ぎるにつれ、私は今のポジションが心地よいことに気づきました。私は部長となった友人のサポート役となって働く方が性に合っていたのです。私は背伸びをしすぎて、副部長をやっていたわけです。友人はきっとそこに気づいていたのでしょう。自分自身でも分からなかった適任。それをわからせてくれたのがこの事件だったのです。

スポーツ、特にチームプレーを必要とするスポーツには、適任というものがあると思います。よく耳にするのは、野球。塁に出る1番、ランナーを進める2番、それを帰すクリーンアップ…これらの役割は、選手の個性と打順が合って初めて上手くいくのではないかと思うのです。(決してその型はひとつではないですが)私がやっていたバドミントンのダブルスにも同じことが言えて、2人ともスマッシュを打ちまくるようでは上手くいかないのです。攻撃型と守備型である程度役割分担するのが1番やりやすい。そしてどちらの型があっているのかは、選手の個性による所が大きいのです。それは将来組織においての適任ということにもつながってくるのではないでしょうか。

私は、苦しみながらも自分の適任を見つけられたこの事件を、今では感謝しています。それでもやはりあの時の気持ちはもう経験したくありません。だから今、ここで書くことによって自戒したいと思っています。私はサポート役が1番活かされるのだと…。

最後にひと言、私は将来息子が生まれたら名前を「倫太郎」にしたいと思っています。(灰谷健次郎「天の瞳」より)
そして次回のお題は「適任」でよろしくおねがいします。

次回の執筆者は、横手宏美です
前回「100パーセントの喪失」を受けて次回の執筆者は、松浦梨絵です
第4回 リプレイ
執筆者 村岡貴仁

「100パーセントの喪失」…?正直、前回のエッセイがアップされた時、やっかいなバトンを渡されたなぁと頭を痛めた。喪失に100パーセントも0パーセントもあるか!なんて個人的に突っ込みたいところだが、僕にとっての「喪失」について書こうかと思う。

 僕にとっての「喪失」、それは、ものすごいものを見逃すこと、である。特にスポーツ。春、メジャースポーツがこぞって開幕し、僕は毎晩この喪失感を味わっている。例えば、この前の巨人戦、「この斉藤ってバッターだれ?まぁいいや、今のうちに…」なんて台所にカップラーメンにお湯を注ぎに行くと、「行った‐‐‐‐‐!!!」なんてアナウンスがテレビから(結果はホームラン)。やっちまった…。思わずハニワ顔である。

 サッカーなんてもっとひどい。ちょっと玄関で新聞代を払ってる隙に一点入るときがある。「今のプレーはほんとにすごかったですねーー!」なんてアナウンサーが叫んだ日には、今すぐ競技場に行って彼の首をしめたくなる。

 こんな喪失ばかりしている人々のために、リプレイ、というありがたいものがある。僕にとっては神様、仏様、リプレイ様、と拝んでしまうくらい感謝している。ただこれ、リプレイを見たい人=リプレイを編集する人ではないので曲者である。例えばNBAの衛星中継では、「これは神業だ!!」なんて日本の解説者が叫んで、「おおお!」っと僕のような視聴者をあおっても、アメリカの編集者の都合か何か(?)で、リプレイされないときがよくある。「どこがどう神業なの?早く早く!」なんて待っていても一向にリプレイされない。そんな時は「てめぇこのやろ!」ってアメリカまで行って編集者をしばきたくなる。
 そんな殺意まで起こさせるリプレイだが、今年の冬、ソルトレークシティ五輪は日本ではリプレイ(録画も含む)だらけだった。時差があるから当然だ。だがねぇ、某テレビ局さん、スケートのウォザースプーンがスタートする前から、「ウォザースプーン、スタート直後に転倒!!」なんてスーパーいれるのやめてくれませんか?僕は偶然この転倒の瞬間を生で見ることができたが、それはもう驚いた。思わずビールを吹き出したくらいだ。ソルトレーク五輪がいまいち盛り上がらなかったのは、僕のような喪失した人達のことをよく考えなかった無慈悲なテレビ局にも責任があると思う。

 今年は世界最大のイベント、ワールドカップがある。各メディアがどんなリプレイを流すのか、非常に楽しみにしている。では、次のお題は「リプレイ」で。

前回「英雄」を受けて
第3回 100%の喪失
執筆者 野澤祐輔

さて、困りました。前の御二人の人柄が表れた見事な格調高い文章に続いて、このエッセイを担当することになってしまいました。もちろん、僕のようなやくざモンにはどうしたって、あのような文章は書けません。人格の雑さ、貧弱さが行間に滲み出てしまいます。というわけで雰囲気一変、あくまでも自分が書きたい事柄を、書きたい様に書かせてもらいます。それでは大塚君から受け継いだテーマ「英雄」について。

僕の友人にカズ、こと三浦和良選手(現ヴィッセル神戸)を「英雄」視している友人がいます。この人が実にすごい人なのです。先日僕の家に泊まりに来た時ですが、W杯にカズが出る可能性について延々と(二時間位)語り、あげく最後には、「カズが出なければW杯は見ない」とまで言い張ります。思考回路が極めてエキセントリック(編狂的)なのです。

エキセントリックといえば彼と初めに出会ったクラス―静岡県浜松市立某中学校二年六組―も極めてエキセントリックに偉大なクラスでした。まず一年間で、担任が四回変わりました。一人は結婚&出産、一人は心労による胃潰瘍でした。ほぼ毎日、八時の始業のチャイム(今思うとものすごく速い時間ですが)に遅刻する人がいて、或る日にはクラスの半分が遅刻したことがありました。担任の先生を教室から追い出し、音楽の女の先生を泣かし、教室の壁を破壊しました。誇張ではなく本当に破壊しました。破壊です。後、愉快なところでは、天井一面に、折り紙の飛行機が刺さったりしました。また女の子ですが、露骨に極めて露骨に(恐ろしくて書けません)仲間はずれをし、ふと気付いたら授業中にピンで耳にイヤリングの滑Jけていました。これこそまさしく「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」です。

ものすごーく話がそれました。何の話でしたっけ、村上春樹?違う違う、三浦カズでした。尤もそんな僕も三浦カズを、彼には遠く及びませんが―何分サッカーをよく知らないもので―結構、魅力ある選手だと思います。もちろん多くの人が三浦カズに魅力を―プレーでしたり、その飾らない人柄でしたり―感じているのでしょうが、僕が三浦カズに感じる魅力というのはおそらくちょっと他の人とは違います。僕が三浦カズに惹かれる魅力とは、彼が「100%の喪失」(ストーリー性の介入を許さない《本質的には》非暴力的な「喪失」)を経験している選手であると思うからです。僕が密かに思う三浦カズの「100%の喪失」とは、彼があれほどの選手でありながら、おそらく(代表の合宿で風邪が蔓延でもしない限り)どうしてもW杯に出場することが叶わないという事です。大抵の選手の場合、マスコミがなにかしら脚色付け(例えばラモスであれば、W杯に出場できなくても新天地で日本人として闘ったとか)をするのですが三浦カズの場合、彼の選手としての格、W杯への情熱をもって考慮すると彼がW杯に出場できないとなると、それはやはりァuゥァw)困砲箸辰討海侶亳海蓮孱隠娃亜・・・u凾タの喪失・ くなりたいと願渇望が沸いてくるのを待ちます。「人間いつまでも堕落できない」(坂口安吾『堕落論』・新潮文庫)そうですから。カズだって。黙して語らず。今もなお走り続けていますし。

長々と―そしてオチもなく―書いてしまいました。失礼。では最後に僅かながら後書きとして。僕は自分の愛娘に一文字の名前を付けたいです。「優」とか「雅」とか。もしくは「真○」。「真琴」とか「真美」(笑)。最後の最後になりますが、実は僕が彼なみに「英雄」視しているのは先頃復帰した名波浩(現ジュビロ磐田)なのです。が、それはまた別のお話。

次回の執筆者は、村岡貴仁です
前回「桜」を受けて
第2回 英雄
執筆者 大塚俊希

桜……。春の幕開けを告げるこの花は、同時に新しい季節の始まりも告げる。しかし、喜びを運び、新しい季節への高鳴る想いを運ぶ桜も散りゆく姿は寂しいものがある。特に今年の桜は一瞬のうちに消えてしまった。無数の散りゆく花びらを見ていると、寂しさと共にふと思い出す日がある。

 1994年5月1日、イタリア・サンマリノ。その日、音速の貴公子の異名を取ったF1レーサー、アイルトン・セナがこの世を去った。その衝撃はセナの母国・ブラジルだけでなく、世界中を駆け巡った。あまりにも信じがたい事実だった。そんな突拍子もない事実が真実だと分かった瞬間、世界は涙で染まった。34歳。早すぎる死だった。


 私たち日本人にとってもセナは「英雄」だった。セナは日本を愛した。日本もセナを愛した。ホンダエンジンを使用し、巧みにマシンを操るその姿は日本人を熱狂の渦に巻き込んだ。セナは速かった。そして強かった。そんなセナの死後、F1は日本から遠い存在になってしまったのかもしれない。そしてあれから8年の月日が経った。


 今、日本に再びF1の熱を持ち込もうとしている男がいる。佐藤琢磨。今季日本人7人目のドライバーとして世界最高峰のカーレースに参戦する。佐藤琢磨に対する国際的評価は今までの日本人レーサーとは比較にならない。英国F3総合優勝、マールボロ・マス^ーズ優勝。彼には世界での実績がある。そして自分の意思を伝える、卓越した語学力もある。参戦するためにF1に来たのではない。勝つために来たのだ。

最近ふと目にしたある写真。今年のF1ブラジルGPの際、セナの墓に祈りをささげる佐藤琢磨の姿があった。散ってしまった桜の木には新たな芽が出る。「英雄」の襷は彼に受け継がれるのだろうか。いつの日か、セナのように速く、強くなった琢磨の姿が見たい。

次回の執筆者は、野澤祐輔です

第1回 桜
執筆者 寿美陽介

私は桜が好きだ。花を愛でる気持ちは人並みかそれ以下だが、なぜか桜だけはじっくり見に行かないと気がすまない。桜を見逃しようものなら、1年を損した気分になってしまうことだろう。

なぜこんなに執着してしまうのか。理由の一つは季節性であろうか。桜の咲く3月・4月は、学年のちょうど変わり目。出会い・別れの季節で、節目でもある。桜を見ると思い出す。1年前を、1年間を。桜の思い出と共に、過去の記憶がよみがえらせることができる。だから、だろうか。

そして、私は年度の始まり、春が好きだ。これは私が新しいもの好きだからであろうか。新たな出会いに胸が弾む。これは人間関係に限ったことではなく、例えば映画ではファーストカットが気になってしまうし、野球ではもしかしたら9回の攻防以上に初回、ピッチャーの第一球の瞬間が好きだ。むしろ、試合前、もっと言えば、球場に向かって家を出る前に愛用のレプリカユニフォームをハンガーからはずす瞬間がたまらない。これからどんなことが起こるのか、想像と期待は果てしなく広がっていく。そんな季節に咲く花だから桜が好きなのだろうか。

桜は私に過去も未来も見せてくれる。今年、早稲田スポーツで編集長となり、私の中では節目の年を迎えた。これまで私がどんなボールを投げてきたのかは、まだあいまいだが、これからの1年間、そして死ぬまで。私はどんな球種のボ−ルをどのコースに投げこんでいくのか。これからの自分に期待が膨らむ。

こんな私は、娘ができたら名前を「桜」にしようとたくらんでいる。

次回の執筆者は、大塚俊希です