今年もプロ野球の開幕が近づく。昨秋のドラフト会議で惜しくも名前を呼ばれなかった“指名漏れ”の男たちは、それぞれの新天地から再びはい上がる。

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4年後のドラフトを目指す中大・東恩納(撮影・保坂淑子)
4年後のドラフトを目指す中大・東恩納(撮影・保坂淑子)

「あぁ…やっぱりダメだったか」。沖縄尚学の東恩納蒼投手(3年)は、昨秋ドラフト当日、指名漏れに小さなため息をついた。チームメートの仲田侑仁内野手(3年)が広島に4位で指名されて歓喜に沸く中、気持ちを切り替え、仲田の写真撮影の輪に加わった。「心の中は悔しかった…」。必死に笑顔を作り「おめでとう!」と祝福した。

高校日本代表の経験が、東恩納の気持ちを動かした。抜群の制球力で、昨夏は沖縄大会から47回1/3を連続無失点の好投を見せ、チームを春夏連続となる甲子園8強入りに導いた。準々決勝で、優勝した慶応(神奈川)に敗戦後は、「大学からプロ入りを目指す」と大学進学の意向を示していた。

侍ジャパンの経験が、運命を変えた。夏の甲子園後、U18W杯に臨む高校日本代表に選出された。そこで仲間となったライバルとの出会いが、思いに変化をもたらした。チームでは2年秋からエース番号を背負い、県内ではNO・1右腕と評価されてきた。「今まで部内では切磋琢磨(せっさたくま)するような相手がいなかったので」。ソフトバンクから1位指名された大阪桐蔭・前田悠伍投手(3年)ら、高校日本代表の投手陣はハイレベルだった。

中でも、前田は球速、制球力と、どれをとっても自分よりも上だった。「友達になりたい! でも、友達になるには自分も結果を残して、対等な存在でありたい」。持ち前の負けず嫌いが沸々と湧き上がった。「自分よりも能力を持っている選手と一緒にやって、はい上がってやる、というか。負けたくない気持ちが強くなったんです」。闘志が湧いた。1球、1球丁寧に投げ込んだ。スーパーラウンド第2戦のプエルトリコ戦では、参考記録ながら5回完全試合を達成。決勝で開催国の台湾を下して優勝を決め、前田と交わした握手は一番の思い出となった。

23年9月、プエルトリコ戦で力投する日本先発の東恩納
23年9月、プエルトリコ戦で力投する日本先発の東恩納

高校日本代表の中でも、堂々と投げ合えた。自信に背中を押された。「結果を残したという自負があったので」。W杯初優勝に貢献した帰国後、進路を一転。9月22日、プロ志望届を提出した。「みんなプロに行くと言っていて。もともとプロに挑戦したい気持ちはあった。高校日本代表という高いレベルを経験したら自分も行きたいな、と」。だが、現実は厳しかった。

指名漏れに下を向くと、比嘉公也監督(42)から声をかけられた。「4年後、頑張れ」。これで全てが終わったわけじゃない。まだチャンスはある。「悔しかったけど、春夏の甲子園を経験して、高校日本代表も。これでプロに行っていたら、うまくいきすぎている。指名されなくてよかったんです」。もっと成長するチャンスをもらったと思うようになった。

今春、東都大学野球リーグ1部の中大に進学する予定。4年後は、ドラフト1位でプロへ行く。新たな目標に、力強く前を向いた。「プロに行きたい気持ちがより大きくなった。大学で4年間頑張って、将来、今年プロに行った同級生よりも活躍したい」。もう1度、前田と同じ舞台に立ちたい。経験した悔しさを、はい上がる原動力に変えてみせる。「自分は1度、人生の負けを経験したから(笑い)。あとはやるだけ」。その笑顔は、自信にあふれている。【保坂淑子】

(この項終わり)   

◆東恩納蒼(ひがしおんな・あおい)2005年(平17)7月24日生まれ、沖縄・豊見城市出身。小2で野球を始め、仲井真中では那覇ボーイズでプレー。沖縄尚学では1年秋に初のベンチ入り。173センチ、72キロ。右投げ左打ち。憧れのプロ野球選手はヤクルト高橋奎二。