ドジャース大谷翔平投手(29)の誕生で、本拠地ロサンゼルスやカリフォルニアを訪れる日本人がますます増える。“最高のプレイグラウンド”を全世界にPRするカリフォルニア観光局のプレスツアーに、歴戦の旅行ライターたちに交じって日刊スポーツの野球記者が参加。市販ガイドブックにはない魅力を探した。

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ドジャースタジアムは丘の上の古城だ。「ダヴィンチ・コード」などダン・ブラウンの著書に出そうな雰囲気がある。谷を隔て、3キロ西の高層ビル群との奥行き感はゾクッとする。

そして高度感にゾクッとするのが、球場ネット裏の最上段だ。事前予約でスタジアムツアーに参加でき、そのスタート地点にあたる。風が強い。何羽ものカラスが舞い、時にホバリングしている個体も。

「試合の日とか、ゴミ箱に入ってるピザボックスをきれいに出して、散らかすんですよ」

日本人ガイドのKAYさんが笑う。繁華街を中心に日本でよく見かけるようなカラスとは違い「レイブン」と呼ばれるワタリガラスだそうだ。初めてカラスを「美しい」と感じた。風に乗る姿があまりにも優雅で、つい見とれた。

3月14日、ドジャースタジアムの上空には何十羽ものカラスが優雅に舞っている(撮影・金子真仁)
3月14日、ドジャースタジアムの上空には何十羽ものカラスが優雅に舞っている(撮影・金子真仁)

「隣がすぐ山なのでたまにコヨーテもいますよ。最近、人を怖がらなくなっていますね。そういえばあの山のあたりは…」

KAYさんは左中間から右中間にかけて視線を送った。「道なき道に家々があったそうです」。ドジャースタジアムは山を切り開いて作られた。今でも客席の支柱などは、山の中にはめ込まれている。

かつて外野場外にはメキシコ系住民のコミュニティーがあった。45年の終戦後、ロサンゼルスの人口増に伴い大規模団地の建設が計画されたが、反対運動もあって難航。ドジャースが東海岸ブルックリンからロサンゼルスに本拠地移転することになり、最終的に球場予定地に変更。いわゆる「立ち退き」も執行された。

遺恨を消し去った選手がいる。ネット裏のVIPシート「ダグアウトクラブ」に1人の左腕投手の絵が飾られる。メキシコ出身のフェルナンド・バレンズエラ氏(63)。メジャー昇格2年目となった81年、背番号34をつけて活躍し、ワールドシリーズ制覇の立役者の1人になった。

3月14日、ドジャースタジアムに飾られているフェルナンド・バレンズエラ投手の絵(撮影・金子真仁)
3月14日、ドジャースタジアムに飾られているフェルナンド・バレンズエラ投手の絵(撮影・金子真仁)

背景の夕焼けが象徴的な絵だ。KAYさんの説明も熱を帯びる。

「彼は特にメキシコ系の、ラテンの人たちにとっては大きなヒーローでした。これまでドジャースを嫌っていたのに、みんなが球場に来るようになった。ラテンの人たちの心を開いたのは、ドジャースの歴史上でも大きな出来事の1つとされています」

真の意味でドジャースをロサンゼルスに根付かせ、背番号34は永久欠番になった。野茂英雄氏(55)が日本とドジャースを近づけ、その四半世紀後、また2人の侍が心を震わせる。その勇姿を見に、多くの日本人が太平洋を渡る。せっかくのカリフォルニア旅行、ぜひスタジアム以外にも。一行を乗せたバンは古城から坂道を下り、フリーウエーで加速した。【金子真仁】(つづく)