もう21年前の2003年(平15)。闘将・星野仙一が率いる阪神タイガースの担当、いわゆる虎番キャップをしていた頃の話です。

同業他紙を含め、当時のキャップの重要な仕事が“お茶会”でした。遠征に出ると、阪神の宿舎ホテルで午前中から星野監督とお茶を飲む-。

それだけですが、重要な話が出ることもあり、夜に試合が中止になったりした場合、朝からネタができることもあって、大事な取材現場でした。

反対に言えば顔を出さないといわゆる“特落ち”してしまうかも…というおそれがあります。

「特落ち」というのは特ダネの反対で、あるネタを自社だけ掲載できないこと。この世界、普段は他社記者と円満にしているのですがネタが出たときに、その場にいなければ当然、教えてくれるはずもなく、記者にとって最悪の状況になります。

なので前夜、ナイター後に食事をしたり、後日に載せる原稿を書いたりしていて、就寝が朝方になっても午前10時には宿舎ホテルの喫茶ルームに集合となるわけです。

東京遠征の宿舎は現在でなく、以前の「赤坂プリンスホテル」。ここに「ポトマック」という喫茶ラウンジがあり、そこがお茶会恒例の場所でした。

場所柄、政治家とその番記者とおぼしき人たちが同じようなお茶会をしているのを見たことも。

そんなある日、いつものようにお茶を飲んでいると星野監督がこう言って、席を立ちました。

「おっ! 洋子さんやないか」

そして、洋子さんと呼んだ女性のところに行ってあいさつ。女性も「あ~ら。星野さん」などと言いながら、しばし話し込んでいます。

その後、星野監督はそのままお手洗いに向かいました。我々は「洋子さんって誰かな」と言いながら待っていると、その女性の一団が店を出ていきます。

なんとなくの流れで、会釈すると、女性は「あら。あの坊やがあいさつしてくれたわよ~」と周囲に言いながら去っていきました。当時、こちらは40歳。「坊や」と呼ばれたことにびっくりしながら「すごい貫禄…」と見送ったものです。

そこへ星野監督が戻ってきました。「あの女性、誰です?」と聞くと、あきれたように「安倍洋子さんやないか。知らんのか」と教えてくれました。

調べると確かに知らないのが恥ずかしい“大物”。安倍晋三元首相の母で、岸信介元首相の長女である女性だったのです。

その安倍洋子さんが4日に死去したというニュースが流れました。95歳。「政界のゴッドマザー」と呼ばれた洋子さん、政界だけでなく財界、あるいはスポーツ界にも知られた存在。星野さんもあいさつに出向く、あの貫禄も納得ということでしょう。また1つ、昭和が遠くなったという気持ちです。【編集委員・高原寿夫】

(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「高原のねごと」)