元阪神監督・吉田義男氏(日刊スポーツ客員評論家)が24日、衣笠祥雄氏の逝去を悼んだ。

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 私は衣笠と同じ京都生まれ、京都育ちで、古い付き合いでした。彼も同郷の先輩ということで慕ってくれて、結婚式にも出席しているし、よく野球談議に花を咲かせたものです。

 私は旧制市立第二商業から戦後に山城高に進学し、2年夏に甲子園に出場します。二中、一商、京都商など強豪ぞろいで、打倒平安は最大の目標。衣笠がその厳しさに定評のある平安卒だったことも親近感を覚えた理由でしょう。

 阪神監督1年目だった75年、広島は初優勝を遂げます。この年は、監督のルーツが大コンバートをやって衣笠が三塁に転向するんです。もともとが捕手、一塁もやったが、肩も強かったし慣れないポジションで奮闘しました。

 その春先に審判のジャッジに食ってかかって退場処分を受けたルーツの辞任で帰国後、古葉(竹識)がチームを率いるのです。衣笠は4番(44試合)と5番(86試合)に座って勝負強さを発揮しました。

 今だから打ち明けますが、衣笠は関西に遠征してくると、しょっちゅう私の自宅を訪れて夕食をともにしました。(元広島監督の)三村(敏之)らもそうでしたが、内野のフィールディングの話題などで熱くなった。

 85年はうち(阪神)が優勝しますが、5月22日の広島戦(甲子園)で衣笠に2本のホームランを打たれます。0-7の劣勢も、真弓(明信)、掛布(雅之)が2打席連発、岡田(彰布)、バースも満塁含む2本塁打で大逆転ですわ。

 衣笠に打たれて負ければ、首位の座から滑り落ちていたので、思い出深い一戦です。小さい頃から苦労してきたのを知ってるし、「いつか指導者になれよ」と願望を込めましたが、それもかなわなかった。鉄人と称され、100歳まで生きると思っていたのに…。無念でなりません。(敬称略)