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木原光知子さんがくも膜下出血で死去

 東京五輪水泳日本代表で、引退後はタレントとしても活躍した木原光知子さんが18日午前1時25分、くも膜下出血のため神奈川県内の病院で死去した。59歳。13日に小学生に水泳を教えていた最中に倒れたという。木原さんは高校在学中の16歳で最年少選手として五輪出場を果たし、女子400メートルメドレーリレーのアンカーで4位入賞した。スポーツタレントの先駆けで、水泳の普及にも力を尽くした。葬儀は密葬で営まれる。

 日本水泳連盟などによると、木原さんは13日、神奈川・平塚市の市民プールで「木原光知子親子水泳教室」を開催していた。小学生らに教えている最中に、水の中で気分が悪くなりそのまま倒れたという。意識はなく、くも膜下出血だった。平塚市民病院に運ばれ、約2時間後には1度は意識が戻った。しかし、その後病状が悪化。岡山から駆け付けた母綾子さん(89)の必死の看病を受けたが、回復することなく息を引き取った。

 健康美タレントの代表的存在で、倒れるまでは精力的に活動していた。今月上旬には代表を務めるミミスイミングクラブ主催の水泳イベントで千葉県を訪れ、4500人の参加者の前であいさつをしたり、自らも泳ぐなど元気な姿を見せていた。週に1回、大阪市内のスイミングスクールでも教えていた。

 今月更新したホームページには、来年の北京五輪に向け、アスリートたちに「スポーツ選手にとって24時間すべてが訓練の場」とつづっている。周囲の人々は「とても元気そうで、体調が悪いようには見えなかった」「今も毎日1キロ泳ぐことを日課としていたのに」と、突然の悲報にショックを受けている。

 木原さんは岡山市立旭中学時代に頭角を現し、岡山・山陽女子高在学中に東京五輪に出場。女子400メートルメドレーリレーで自由形を泳ぎ、4位入賞に貢献した。日本新記録を何度も更新する実力とともに、愛くるしい笑顔と「ミミ」の愛称で親しまれ、一躍アイドル選手となった。

 日大在学中に引退し、東レの水着モデルでタレントに転身。70年には、五輪を目指す水泳選手を描いたドラマ「金メダルへのターン!」に本人役で出演し、話題に。「ゆうひが丘の総理大臣」(78年)、NHK大河ドラマ「おんな太閤記」(81年)などのほか、人気バラエティー「クイズDEデート」の司会でも人気を集めた。

 東レ役員や、各種スポーツ団体の理事を務め、水着ブランドや水泳教室「ミミスイミングクラブ」の運営など、ビジネス界でも成功を収めた。水泳を通して、芸能界、政財界にも幅広い人脈を持ち、他ジャンルの著名人とも親交が深かった。05年には日本水泳連盟理事に就任。自らも選手としてマスターズ水泳の普及、発展にも貢献。葬儀は近親者のみの密葬として営まれ、後日、本葬を執り行う予定だ。

[2007年10月19日8時22分 紙面から]

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