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ホームコラム「ノーサイド」 ノーサイド本文

ノーサイド 04'2月号

 法大といえばスポーツが強いというイメージがある。最近では箱根駅伝での活躍が記憶に新しい。しかし法大の体育会が他のスポーツ強豪大学と比べて大学積極的な支援を受けているとは言いがたい。私の担当しているアメリカンフットボール部を例に出してみても大学に雇われている指導者は一人もおらず、監督を含めたすべてのコーチが土日を中心に活動するサンデーコーチの形式で選手を指導している。また練習に土のグラウンドを使用しているため怪我が発生しやすい状態だ▼このような状況下で関東最強のチームを作り上げた部員及び関係者の努力には本当に頭が下がる思いである。他の部の状況も似たようなもので特に設備面では他のスポーツ強豪校と大きな差がある中、選手たちは好成績を挙げている。そして法大体育会の選手たちの活躍は大学のイメージの向上にも貢献した▼だからこそ大学側はもっと体育会をサポートしてもらいたい。確かに立派な施設や多くの専任コーチがいれば成績が向上するとは限らない。また大学は学生を教育する場でありスポーツをする場ではないという声もあるかもしれない▼しかし努力をして優れた成績を挙げている選手たちによりよい場を与えることは学生の優れた部分を延ばすための教育とはいえないだろうか。少なくとも学生が望んだかどうかわからない施設にお金をかけるよりも体育会にお金をかけて強い運動部を作るほうが学生に喜ばれるだろう。
(早坂 茂)

ノーサイド 03'12月号

 何気なくテキトーに高温の地を歩き続けている。ここはどんな本にも載ってない。早さなんて気にする必要はない。亀のようにゆっくり一歩一歩、力強く。道はいくつにも分かれている。どの方向にも行ける▼もし坂から転げ落ちたとしても、深い森の中で迷ったとしても、焦ることはない。一人で出来ないなら、前後左右、自分の周りを見てみるといい。誰かが、何かが助けてくれる。庭に生えた松、梨の芳しい香り。落ち葉にだって気付かされることもある。それらの積み重ねが輪を作り、村となり、里となり、大きな力を生む▼野を越え、山を越え、様々な経験が知識として蓄えられる。決して忘れてはいけない記憶もある。ただ土の下で待っているだけでは何も始まらない。思い切って外に出る勇気、覚悟。足跡は朝日に照らされ、自分の破片となり輝く。果てしなく繋がる無数の光▼ふと見つけた井戸の水でのどの渇きを潤す。海岸に打ち上げられたビンには手を差しのべ、草原を走る風には身をまかせればいい。季節は変わり、もう田には新しい芽が出ている。どんな花を咲かせ、実をつけるのか。まだ染まってない色は白にも黒にもなる。きっと素晴らしいものになるだろう▼行き先を告げる羅針盤なんていらない。自分で切り開いていくことに意味があるのだ。川の流れがどんなに激しくても立ち止まらないで。新しい橋が架かる音。道はまだまだ続く。どこまでも長く、永く・・・。さあ、行こうか。
(高坂 知永)

ノーサイド 03'11月号

2003年1月14日、日本人メジャーリーガー・松井秀喜が誕生した。今季は一年目ながらも全試合出場を果たすなど堂々の活躍。夢を追い求め渡った異国の地で、様々な軌跡を刻んだ一年だったと云える▼そしてここにも一人、そんな大舞台を夢見る日本人選手がいる。彼の名は根鈴雄次(ねれい・ゆうじ)。法大を卒業後「野球を続けたい」という一心でアメリカへ。その後すぐにマイナー契約を結び、トリプルAまで昇格。現在もメジャーリーグ昇格を目指し、奮闘している▼だが、ここまで辿り着く道程は決して平坦なものではなかった。高校中退、最初の渡米、その後定時制から23才での大学入学。そんな中でもここまでこれたのは「野球」というスポーツがあったから。そして彼は言った。「やりたいことがあるんだったら、とにかくやってみること。やってみることで開けてくる人生だってある」▼私自身、高校時代は実家を離れ、野球に没頭した。憧れであった甲子園には3度出場することが出来た。全国から集まる選手達と肩を並べ、共に闘った3年間。今でもふと振り返る。「すごいところでやっていたんだな」と▼この3年間が昔の自分を変え、今の自分を支えてくれている。野球を通して膨らんだ夢。またここから新たな人生が始まっていく。しかし、人生うまくいくことばかりではないだろう。でもそれはきっと必ず乗り越えられるはずである。それが自分のやりたいことなのだから。
(一宮 大輔)

ノーサイド 03'10月号

日々寒さが増し、街は秋の彩りに染まっていく。スポーツに勉強、秋は何をするにしても快適だ。しかし、過ごしやすい秋の後には厳しい冬が待っている。▼ 私達3年生には「就職活動」という、これからの人生を左右する大きな試練が控えている。既に本格的な活動を始めた同級生も少なくない。今日とかく不況と騒がれて久しく、「大学生」というぬるま湯にどっぷり浸っている私は、この厳しい「冬」を上手く乗り切れるかどうか。▼ 小さい頃から私は一つの夢を持っていた。そのために在京の大学を選び、サークルとしてスポホウを選んだはずだった。しかし現実を知り、様々なものを見た結果、私が描いていた未来図は掻き消えてしまった。今、私の手元にある未来絵の航路図は、かつてと違い明確な指針を示してはくれない。▼ 時が移ろうのは早いもの。ついこの間、新歓コンパで地元訛り丸出しで初々しく自己紹介していたはずなのに、気付いてみれば3年生。スポホウでは最上級生、12月には引退だ。この3年間を私は駆け足で過ぎ去った。一緒にやってきた信頼できる仲間達。彼らならば引退を迎えるにあたってなんと言うだろう。▼ 秋が深まるにつれ時間はいよいよ少なくなり、就職活動に向けて準備も必要になってくる。だが、今はこれに集中しよう。悔いを残さないために。一度は消えた未来図を、再びこの手に掴むために。辛く厳しい「冬」の次には、明るく希望に満ちた「春」が待っている事を信じて。

(山本 啓介)

ノーサイド 03'6月号

深夜のドキュメント番組で、小学6年生と一緒に授業で算数を学ぶ80歳代の女性の1年間を放送していた。▼その女性は耳が遠いハンディを背負いながらも毎朝の予習、復習を欠かさずに一年間挫折する事なく授業に通い続けた。今年の3月に小学校の算数は修了したが、今度は通信教育で仏教を勉強し始めた。その姿を見て、いくつになっても学ぶ意欲を持ち続けていることにすごく感心させられた。▼何かを学ぶということを、学生である今は当たり前のように思っている。しかし、その女性のように学びたい時に戦争など自分の力ではどうしようない理由で学ぶことのできなかった人たちがいることを考えると、現在みたいに恵まれた環境で学ぶことができるのはとても幸せなことだ。それみも関わらず、学ぶことを面倒くさいと思っていた自分が恥ずかしく思えた▼「学んで己の、学無きを知る。これを学ぶという」という言葉がある。そのような謙虚な心を持つことが学ぶことには大切だという。どんな博識のある人でも実際知っていることよりも知らないことのほうが多い。自分は知っていると思い込んでいる事が新しいものが入ってくることを拒んでいる▼人は学ぶ意欲がなくなった時から老いてくる。学ぶ意欲を持っていることは若いという証である。学ぶ意欲と謙虚な心をいつまでも忘れる事なく持ち続けたい。
(亀田 孝明)

ノーサイド 03'4月号

ダイエー・和田、新垣。西武・後藤、長田。横浜・古木。巨人・木佐貫、久保。そして、松坂大輔▼彼らは、言わずと知れた松坂大輔を頂点とした「松坂世代」を形成する代表的なプロ野球選手である。最近、さまざまなメディアで、この「フレーズ」を聞くようになった。彼らが活躍し続ける限り、このフレーズとはずっと付き合っていくことになるだろう▼少しでも松坂より、いい結果を出そうとする原動力は何か。それは同学年ということ。同学年である以上、「あいつには負けない」という意識が働いているに違いない。そうやって彼らは、お互いに刺激し合い、未来のプロ野球の顔に一歩一歩近づく▼考えてみれば、世の中は「世代」の積み重ねだ。それぞれが、同じ時代を生き、同じ情報を共有し、同じ経験をする。言わば、時間を共にしてきた「仲間」。その中では、「松坂世代」と同じように、お互いを刺激し合っている。さまざまな分野で活躍する同世代を見ると「ハッ」とさせられる。「自分も、がんばろう」と▼人は、自分以外の人から刺激を受けながら向上していく。特に、自分と年齢が近ければ近いほど。これから自分を向上させていくには、どうしたらいいか。ときおり、自分の周りを見渡せばいい。必ず誰かが、自分には持っていないものを持っていて、その人なりにがんばっているはずだ。そこで、いかに自分にはないものを吸収できるかが「自分向上」の鍵になるのかもしれない。
(稲葉 聡)

ノーサイド 03'2月号

「笑うことは体にいい」。よく言われることだが、果たして事実なのだろうかー。このことを科学的に証明するための研究が先月始まった。国際科学振興財団「心と遺伝子研究会」が吉本興業の協力を得て始めたこの研究は世界初の試み。笑うことでスト レスを抑える働きのある遺伝子の活動が活発になるかどうかを調べていくそうだ▼確かに笑うことはストレス発散の良い手段である。嫌なことがあった時や不安や悩みがある時でも、大きな声で笑うと何もかも忘れてすっきりした気分になれる。そして何 より笑いは人を明るく幸せな気分にしてくれる▼私も笑うことで気持ちが軽くなった経験が何度もある。そんな時はいつも、大きな声を出した勢いでまさに胸のつかえが取れるようだと感じる。笑うことはとてもすがすがしいことだ▼暗いニュ−スを耳に する事が多い昨今。ストレスを上手く発散できない人々が引き起こす事件は後を絶たない。こんな時だからこそ世の中には笑いが必要なのではないだろうか▼笑いは張り詰めた心をときほぐし温めてくれる。そして温かい心は温かい社会を作り出すだろ う。大きな声で笑うこと。日々前向きに生きていく秘訣はこんなところにもあるのかもしれない。
(松本 美希)

ノーサイド 02'12月号

 「子供の頃の夢は何でしたか。まだ、その夢を持ち続けていますか」。ある企業から届いた就職案内にそのキャッチコピーは書かれていた▼流行りの「ズッコケ三人組」シリーズに触発され、友達と探偵団を作って遊んでいた少年時代。幼心に夢見た新聞記者、控えめな性格ながらも好奇心はあったのかもしれない▼このスポーツ法政新聞会に入部したのも何かの縁か。入学して初めて新聞を手にした時、カラー紙面がビビットに私の心をとらえて離さなかった。以来、どっぷり3年間つかってしまったものだ。取材場所がどこであろうと飛んで行った。自分の目で見なければ気が済まない、そんな好奇心が原動力だ。夢を追い、戦う熱き選手達の傍らで私も夢を見ていた。一サークルに過ぎないかもしれないが、私はまぎれもない新聞記者だった▼今思えば、自分が輝ける場所だった、ここは。もちろん楽しいことばかりではない。営業回りで突きつけられる現実に辛い思いもした。しかし、そんな時、腹をわってぶつかって来てくれる友の存在が私を支えてくれた。時間を割き、一緒に考えてくれた。お互いが良い刺激となり、切磋琢磨できた。掛け替えのない友に感謝する▼このペンを置けば私の夢も終わりなのか。カウントダウンの足音に、満足と寂しさの多少入り交じる思い。胸を張って卒業しよう。夢の目覚めは良いようだ▼ここには夢がある。「あなたは夢を持ち続けていますか」。
(鈴木 優介)

ノーサイド 02'11月号

 「一流」と呼ばれる人々がいる。その言葉は与えうる最高の賛辞であろう。だが、その誇るべき勲章を得るまでに、凄まじい努力があったことは想像に難くない▼以前スピードスピードの清水宏保選手に関する本を読んだことがある。そこには、自らの体を極限まで鍛え上げて「人間の身体の限界」に挑む姿が描かれていた。その中でも特に印象的だったのが、トレーニングは筋肉だけでなく、脳も変容させなければ意味がないという記述だった。彼は肉体だけでなく、脳も鍛えることができるという▼「一流」のアスリートのいうことはやはり違うな、と思う。ただ私は、彼の言葉を頭で理解できても、感覚として理解することはできないだろう。それは彼の感じている世界と私の感じている世界が違うからかもしれない。彼の世界を表現するためには、言葉は不自由すぎる▼だが言葉は不自由だからこそ、尊いものだ。この「感覚を言語化する」という行為の難しさを、私は今までの取材を通して実感してきた。それと共に、選手が自らの内にある感覚を表すために考え出す、独特の表現にいつも感銘を受ける▼私はその言葉を大切にしたい。記事を書くときはいつも、選手の言葉を最大限に活かしたいと考えている。しかしそれがなかなか難しい。言葉の奥に隠されたその感覚を伝えられるような「一流」の記者に私はいつかなりたい。 
(外山 功)

ノーサイド 02'10月号

 「変人」。これは小泉首相ではなく、今や日本で一番有名なサラリーマンで、ノーベル化学賞に輝いた田中耕一氏(43=島津製作所)の代名詞である▼田中氏が一躍「時の人」となったのは、ごく普通のサラリーマンがノーベル賞を受賞し、しかも自分を飾らずありのままの姿を日本中にさらけ出したからだろう。彼は管理職への昇進試験を拒み、自分のやりたい研究の道を選んだ、いわゆる「変わり者」である。管理職になれば高収入が約束されていたにも関わらず、安月給の主任として自分のやりたいことを貫いた▼自分の好きなことなら、誰しも没頭し、努力を重ねる。そして時にはその道を極めることだってできる。「好きこそ物の上手なれ」という言葉そのものだ▼とは言うものの、苦しいがやりたいことと、簡単で楽なことがあるとすると、人は楽な道を選択しがちである。その場の流れに身を任せ、安易に物事を決めて後悔したことはないだろうか。私の場合「楽」の向こうには空虚な時間と後悔があった。逆に「苦労」の向こうには楽しさや喜びがあった▼たまには迷い、悩むことも必要だ。空虚な「楽」を選ぶより、苦労の詰まった「楽しい」を選んだ方が、未来の自分は輝くはずである▼もちろん全てに於いて困難に立ち向う必要はない。また、田中氏のように自分の選んだ道で大成することは、稀なことかもしれない。しかし、たとえ報われなくても、自分の中にやり遂げたという達成感と自信が必ず生まれるはずである▼だから私は、譲れないこだわりの中では妥協したくないし、がむしゃらに頑張りたい。今の自分に後悔しないために。
(小田桐 由紀)

ノーサイド 02’6月号

「汝の敵を愛せよ」との教えがある。かつてのライバルを称えることは勇気がいる。しかし素晴らしいことだ。敵から友へ。喜びを分け合う関係になれる▼5月31日、日本・韓国共催によるサッカーW杯が開幕した。この大会は、2カ国共同開催という新たな試みが注目されていた。そして、開催国に選ばれた日本。我々日本人は喜びに沸いた。と共に「韓国と日本の協力」という事実が驚きを与えたに違いない▼地理的には3時間もあれば渡って行ける国、韓国。毎年多くの日本人観光客が訪れている。しかし韓国には、日本に対する複雑な感情がいまだ渦巻いている。そのため日本のメディアは韓国をこう呼ぶ。「近くて遠い国」と▼日本と韓国の間には、戦争という暗い過去がある。韓国には侵略された記憶が根強い。歴史教科書、靖国神社参拝など日本と折衝する問題もある。しかし両国はW杯の協力を約束した。日本の青と韓国の赤。2色は対照ではあるが、互いに鮮やかに引き立つ▼韓国と日本が本当の意味での「近い国」になる日はいつか。それは遠い未来ではないと信じたい。新たな歴史は、友好を土台としたものであって欲しい。▼日本と韓国の活躍に両国が熱狂したW杯。このW杯が力強い後押しとなることを願う。更なる喜びを分かち合うため。
(市川 希美)


ノーサイド 02’4月号

都会を彩った桜が春風を強請る。一時の美を誇り散る桜に、人の心は躍る。その魔法に女は希望に胸が膨らみ、男は違う所が膨らむ▼今年もこの季節がやってきた。今回スポ法は新入生歓迎号。「おら東京で一旗挙げてやるだよ。東京タワーば100万ルピーで買い上げるばい」なんて考えているアバンギャルドな一年生が今年も大勢入ってきたことだろう。かく言う私もいなかっぺ。国後島から東京に来た時はオヤジの尿切れの悪さには大変驚かされた▼春は人々に魔法をかける。殊に新入生は簡単にこの魔法に掛かるだろう。新しい環境で後から考えると死にたくなるほど恥ずかしいことをしてしまう。春の魔法は人々を一時の変身願望に駆り立てる▼桜の季節は本当に美しい。日々のリアリティーから我々を遠ざけ、日常に心地よい風を吹きこむ。私の四半世紀にも及ばない短い人生を振り返っても、この季節の記憶は美しい。少しの恥じらいと、香りまで鮮明に思い出すことが出来る。それは春の美しさに魅せられた、桜のように儚い、一時の美しい思い出であったからなのだろう。▼この季節を無理して楽しむ必要なんてない。自分なりに一歩一歩進めばよい。きっとそれが美しい記憶になるはずだから。
(武田 教秀)


ノーサイド 02’2月号

人は誰でもコンプレックスというものを持っていると思う。特に気にしているところを他人から言われたりすると、深く傷ついてしまう人もいる▼「ビューティー・コロシアム」という番組がある。容姿に悩みを持った女性がきれいになることによってコンプレックスを克服し、自信を取り戻すというものである▼テレビで見ている限りでは、そこまで深刻に悩むほどのものかと思うくらい普通の女性が登場している▼私にもその女性たちの気持ちはとても理解できる。女性には周りの人からきれいに見られたいという気持ちは少なからずあると思うからだ。何がきっかけでコンプレックスが生まれるかわからない。そしてそのことが、今まで明るかった表情を急に暗いものへと変えていくことさえありうるのだ▼内面は人の顔を映し出す鏡である。しかしその逆もある。ただ美しくなるのではなく、容姿を美しくすることによって、内面を変えることができるのだ。人は外見ではなく、中身が大事だとよく言われる。しかし心が顔に表れるというのならば、やはり外見で判断するのは正しいのではないかと思う。それでだまされている人が大勢いるのは事実だけれど。
(中山 明子)


ノーサイド 01’12月号

日韓で共催されるサッカーのW杯開幕まで半年をきった。多くのサッカーファンがわくわくしていることだろう▼W杯のように、国と国が戦う試合を見るのはとても面白い。戦い方に、その国のメンタリティがよく表れてくるからだ。例えぱイタリア。国民の目が厳しく、常に結果を求めるので、負けないサッカーをしてくる。「カテナチオ」といわれる鉄壁な守備陣はその象徴だ▼これに対しスペイン。サッカーはエンターテイメントだという考えを持っている。従って、細かくパスをつないだスペクタクルなサッカーを見せてくれる。これ以外にも様々な国のメンタリティを垣聞見ることができ、楽しみがつきない▼一方、プレーする選手達は大変だ。国民の期待を一身に背負って夢の舞台に立つのである。相当なプレッシャーを感じるに違いない。特に開催国の日本と韓国の選手はなおさらだろう。アジアでの開催はW杯史上初めてであり、開催国が予選落ちしたケースは一度もない。こうした見えない敵とも戦わなければならないのだ▼国際サッカー連盟FIFAに加盟する国は204に及ぷ。これは国連加盟国をも上回る。ポールーつさえあれば誰でもできるのがサッカー。それゆえに多くの国の人々がサッカーに熱狂するのだろう。各国の意地がぶつかり含うW杯。今から開幕が待ち遠しい。
(斉藤 修一)


ノーサイド 01’11月号

「指導」から「援助」へ。最近、文部科学省ではこのような指摘が盛んに行われている。子どもに対して決まったことを導いていくのではなく、子どもを自由に考えさせ、興味を持ったことに対してアドバイスをして支えていくような教育に、というものだ。この議論の是非に対して様々な意見が飛び交っている。しかし、実際にこの教育方法を確立させ、成功を収めた人物がスポーツ界に存在した▼今年の日本シリーズを4勝1敗で制したヤクルトスワローズ。監督の若松勉は選手を束縛することなく自由に育て上げた。不振でも使い続け、困った時だけ声を掛けた。選手に責任感を与え、「考える事」を習慣付けさせたのだ。そして日本一を手にした▼誰かを成長させるためには、いかにしてその人物に考えさせるか、が重要だと思う。他人から結論を導いてもらってもインパクトが足りない。だから課題を与え、どうすれば良いかを考えさせる。そこから自力で何かを見つけ出した時の衝撃は一生消えない知識となり得るだろう▼そのためには与える課題がその人物にとって興味のあるものであり、面白いと感じるものでなくてはならない。すなわち教育者は様々なベクトルの考え方を示せる指揮者であることが望まれる。そうすればより一層、「援助」式の教育方法は実を結ぶはずである。 
(蔵方 佑介)


ノーサイド 01’10月号

近頃、日を追うごとに涼しくなってきた。いよいよ秋本番といった感じである。私たち日本人は、古くからこの秋という季節を最も好んでいる。歌人たちはこの美しい季節を歌に詠み、それぞれの思いをつづってきた。▼その中に、古今和歌集の歌人のひとり、紀貫之が詠んだ「見る人も なくて散りぬる 奥山の 紅葉は夜の錦なりけり」という歌がある。真っ暗な山中で散っていく紅葉の様を、一人で見ていることが寂しくて人恋しいと詠んでいるが、秋はまた美しいと同時に、悲しい季節でもあるのだ。また、貫之はその古今和歌集の序文で、人間の感情はすべての詩歌の源であると述べている。▼そう思えば渡した手が普段発している言葉も、人間の感情が源と言える。自分で考え、自分の口で喋っているのだから当然といえば当然なのだが、最近このことを皆が忘れているような気がする。▼私も、思わず発した言葉で人を傷つけたことが多々ある。言霊思想という考えがある通り、言葉には魔力がある。「口は災いの元」という諺もしかり。▼だが、言葉とは悪い面ばかりでは無い。時に人を救ったり、幸せにしたりもするのだ。周りから温かい言葉をかけられ、励まされた人も多いだろう。私も、誰かに温かい言葉をかけられるようになりたい。
(西岡 良修)


ノーサイド 01’6月号

名画座の未来▼映画館、特に名画座の行く末が険しいと言われて久しい。日本を代表する名画座である銀座の並木座、池袋の文芸坐が消えたのは記憶に新しいところ。その文芸坐が昨年12月に新文芸坐として復活した。良質な日本映画に飢えていた私はこの復活劇に胸躍らせた。オープニング記念として催された企画が「戦後日本映画〜時代が選んだ86本〜」▼そこで初めて観たのが黒澤明の「生きる」。一人でビデオを観たとき感動したが決して笑える映画だとは思わなかった。しかしここで観たときまわりの客が声をあげて笑っている。よくよく観てみると実におかしい映画。劇場で観たことによってこの映画をより深く味わうことができた▼「Love Letter」では切ない気持ちになり、「男はつらいよ」で寅次郎に憧れた。この特集の最終日に「ゆきゆきて、神軍」を観て絶句。5月の大島渚特集で観た「絞死刑」には難解な問いを突きつけられた▼洋画も観る。「ザ・カップ」「アンジェラの灰」で異国を知り「マルコヴィッチの穴」で頭が痛くなり「ダンサーインザダーク」で悲しい気分になった▼映画が娯楽の王様でない今、一度消えた映画館が復活したことは喜びと同時に驚きでもある。これを機に映画館に希望の光が差せばよい▼映画はやはりスクリーンで観るもの。大画面、大音響で名画を浴びる。ビデオでは感じることのできないこの感覚。これこそが映画館で観る映画の醍醐味なのだ。   
(庄司 岳史)


ノーサイド 01’4月号

 ずっと応援してきたチームに廃部の噂が飛び交った▼ここ2年で20チーム。大手企業運動部の休部・廃部が後を絶たない。日本スポーツ界の中心を担う企業スポーツ。だが、会社の業績一つでチームの命運が左右される現状。「名門」と称されるチームでさえもリストラの格好の餌食となってしまう。学校やOBが支えるスポーツとは別世界。莫大な運営費を用する運動部の存在が曖昧なものとなりつつある▼しかし、株式会社ブレイザーズサポーターズクラブ(以下BSC)小田事業部長は語ってくれた。「たしかに潰すのは簡単。でもそれでは何も始まらない」▼BSCは名門新日鉄バレー部が昨年12月、生き残りを賭けて地域密着型のクラブチームとして生まれ変わった。これまでのバレー部の活動に加え、新日鉄堺既存の体育施設の解放や選手によるバレー教室の開催、さらにはジュニアチームの設立を通して地域のスポーツ振興とバレーボールの底辺拡大を図る▼歴史、そして未来あるチームを簡単に潰して欲しくない。・・・そんな多くのファンの熱い想い、選手の尊厳、さらには日本のバレー界・スポーツ界といったあらゆることを視野に入れ、熟慮されて誕生したのがBSCであった。今まさに、転換期と呼ばれる企業スポーツにBSCは一石を投じた▼手前味噌かもしれないが最高の構図だと思った。いちブレイザーズファンとして、そしてスポーツファンとしてBSCの今後の飛躍を期待せずにはいられない。
(奈良輪 織恵)


ノーサイド 01’2月号

 「HERO」というドラマが流行っている。木村拓哉演じる型破りな検事が次々と事件を解決していくというタイトル通りヒーローもののストーリーだ▼ドラマは虚構の世界のものであり、いくらでも誇張が可能である。しかし、片や一方現実の世界にもヒーローは存在するのだと実感させられた出来事が起きた▼1月26日、JR山手線・新大久保駅で線路に転落した男性を助けようと、ホームから男性二人が飛び降りたが、三人とも電車にはねられ死亡するといういたたまれない事故が発生してしまった▼助けに入った二人と転落した男性は面識がなかった。彼らのとっさの判断を勇気、正義と呼ばずに何と呼ぼうか。簡単にできることではない。自分の命も顧みずに、勇敢に救出に向かった態度に脱帽させられた。お二人には心から敬意を表し、ご冥福をお祈りすると共に、ご家族にはお悔やみ申し上げたい▼私は東京に出てきてもうすぐ一年になるが、当初東京は冷たい都会(まち)だと感じていた。あふれるような人の波が足速に行き交う光景からは何かギスギスした圧迫感を受けた。こんな密集した中で、誰かが倒れようとも誰も気づかず、助けてくれないのではと▼だが私の考えは所詮、先入観に過ぎなかった。この東京には、強い勇気を持った優しい英雄(ヒーロー)がいた。そして他にもまだたくさんいるはずだ。そのことを教えてくれた彼らのことを私は絶対に忘れない。                     
(鈴木 優介)


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