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阿久さんに森田氏「また会いましょう」

 作詞家阿久悠さん(享年70)の通夜が3日、密葬として静岡県伊東市の自宅近くのセレモニーホールでしめやかに営まれた。家族や音楽関係者、地元の住民らが駆けつけ、故人をしのんだ。また、ミリオンヒット「青春時代」でコンビを組んだ作曲家森田公一氏(67)は、かつて命を削るようにして一緒に作品を作り上げた“戦友”に「また、会いましょう」という言葉を送った。

 作詞家と作曲家は、1つの作品を生み出す仲間であると同時に、真剣勝負を戦わすライバルでもある。

 31年前、森田氏は阿久さんと組んで名曲「青春時代」を生み出した。「阿久さんの作品のほとんどは、メロディーが先行で詞は後から。ですが私の場合は逆。詞が先でした。阿久さんは心のすべてを私に託して『どうだ!』と、挑戦してくれているようでした。自分もそれに応えようとしました。阿久さんと自分はいつも本音で戦っていましたね」。

 すべては良い作品を生み出すため。「一緒に1時間いても、話をするのは5分ぐらい。お互いが、洞察力などをフルに働かせていたから、あまり話をしなかった」。かつての戦いの時をこう振り返った。

 阿久さんとともに昭和歌謡界をリードしてきた作詞家なかにし礼氏(68)は、5000曲を超える阿久作品の最高傑作として「青春時代」を挙げる。特に「後から ほのぼの思うもの」というフレーズを絶賛した。

 森田氏は「青春時代の真っ盛りにいる若い人は、青春を『後からほのぼの思う』なんて、まったく感じない。青春という自覚がなくて、ひたすら一生懸命なだけで、今が人生の中でどんなポジションなのか分からないんです。私も阿久さんも30代で、青春をすぎたころに作った作品でした」と振り返った。そして、「青春というのは甘いセンチメンタルなものというイメージがあるけど、そんなに甘いもんじゃないよという、裏メッセージを込めた曲です」と秘話を明かした。

 阿久さんに送る言葉は「また会いましょうね」。死は誰にでも訪れる自然なものだから、涙を流して感傷に浸ることはない。「またね。そのひとことですね」。自宅のある北海道で、森田氏は“戦友”の死に、心中でそっと手を合わせている。

[2007年8月4日9時34分 紙面から]

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