北照V 岡崎、視野鍛え開眼サイクル打/南北海道

決勝でサイクルヒットを達成し、胴上げされる北照・岡崎(撮影・佐藤翔太)

<高校野球南北海道大会:北照15-2駒大苫小牧>◇22日◇決勝◇札幌円山球場

 記録をひっさげ甲子園に乗り込む。第100回全国高校野球(8月5日開幕、甲子園)南北海道大会決勝戦が行われ、北照の4番岡崎翔太外野手(3年)がサイクル安打を達成。4安打6打点の活躍で、駒大苫小牧を15-2で下した。5年ぶり4度目の甲子園でも、サイクル安打級の活躍を目指す。

 猛然と走った。8回2死三塁、岡崎の打球はぐんぐん伸びて中堅フェンスに直撃。ボールが外野に転がる間に、三塁を陥れた。3回2死一塁で左中間適時二塁打、4回2死一、二塁では中前適時打、6回1死三塁から右犠飛を放ち、7回2死三塁では左越えに2ランを放っていた。決勝戦でサイクル安打を達成し、4安打6打点。「記録はベンチで言われて分かった。4番として打撃で結果を出して甲子園に出られるのがうれしい」と喜んだ。

 小樽地区予選は3戦4発と長打力を発揮も、南北海道大会では「チーム打撃に徹した」と準決勝まで、3戦5安打すべて単打。上林弘樹監督(39)から試合前「今日は岡崎の風やぞ。思い切って狙ってみろ。バックスクリーン左あたり」と声をかけられた。試合開始の午後1時、札幌は北西の風6メートル。一塁側から左翼に強めの風が流れていた。助言通り、通算19号となる1発を含め、長短4安打すべて中堅から左方向に打ち返し、大会決勝タイとなるチーム15得点につなげた。

 新たな試みが、打撃開眼のヒントになった。4月から専門トレーナーにアドバイスを受け、目を動かさずに周囲の字や数字を把握する「周辺視野」を強化するトレーニングを実施。それまで外角を打つ際、頭が前に動いてしまう弱点を克服。この日2打席目の単打、3打席目の三塁打は、苦手だった外角の変化球を打ち返した。「2打席目以降すべて狙いを絞らず、体の反応で打てた」と効果を口にした。

 北照は16年8月に不祥事のため無期限の活動停止処分を受けた。当時の1年が岡崎たち現3年だった。4カ月後に処分が解け「もう野球ができないんじゃないかとショックだった。野球ができることがとてもうれしかった」と振り返った。どん底から耐えてつかんだ最後の夏。夢の聖地でも暴れまくる。【永野高輔】

<高校野球とサイクル安打>

 ▼甲子園では春が1人だけで、79年北野敏史(箕島)が浪商との決勝でマーク。夏は04年準々決勝の林裕也(駒大苫小牧)ら5人。サイクル安打は日本で概念がなく、65年にプロ野球で達成したスペンサー(阪急)が「なぜ記録のことを聞かないのか」と話したことをきっかけに注目されるようになった。このため夏の最初に達成した49年杉山真治郎(平安)は騒がれていない。

 ▼98年夏、青森大会2回戦の東奥義塾122-0深浦で、東奥義塾は5人がサイクル安打。4番陳田、5番竹浪は単打、二塁打、三塁打、本塁打を2本以上放つ「ダブルサイクル」。

 ◆北照 1901年(明34)小樽商業学校として創立された私立校。48年に現校名となり、98年から共学。総合進学クラス、一般教養クラス、スポーツコースがあり、生徒数200人(女子47人)。野球部は1908年創部で、部員は59人。甲子園は春5度、夏は4度目。主なOBは長野五輪ジャンプ金メダリストの船木和喜、元ヤクルト米野智人ら。所在地は北海道小樽市最上2の5の1。宮川恒美校長。

◆Vへの足跡◆    

2回戦11―0双葉

3回戦3―0小樽桜陽

代表決定戦9―7小樽潮陵

1回戦2―1知内

準々決勝4―2札幌第一

準決勝6―2札幌日大

決勝15―2駒大苫小牧