イチロー、シアトル復帰「心のどこかに常にあった」

マリナーズの入団会見で目を潤ませ心境を話すイチロー(撮影・菅敏)

 【ピオリア(米アリゾナ州)7日(日本時間8日)=四竃衛】マーリンズからFA(フリーエージェント)となっていたイチロー外野手(44)が7日(日本時間8日)、古巣マリナーズと正式契約を交わし、米アリゾナ州ピオリアのキャンプ施設内で記者会見を行った。

 ◆イチロー一問一答

■とてもハッピーです■

 -シアトルへ戻る心境

 「2012年7月にシアトルにサヨナラを告げてその後、ニューヨーク、マイアミと、5年半が過ぎましたけど、その間も僕の家はシアトルにあって、ニューヨークから家に帰る時も必ずシアトルの景色を見ながら家に帰る。マイアミからもそうでした。いずれまた、このユニホームを着てプレーをしたいという気持ちが、心のどこかに常にあったんですけど、それを自分から表現することはできませんでした。それは5年半前のことが常に頭にあったので。戻って来てくれ、という声はたくさん聞いたんですけど、それを僕は聞き流すことしかできなかった。でも、こういう形でシアトルのユニホームでプレーする機会をいただいたことは、2001年にメジャーリーグでプレーすることが決まった時の喜びとはまったく違う感情が生まれました。とてもハッピーです」

 -5年前とは違う選手か

 「いろんなことを経験しました、この5年半。また耐性が強くなった、耐性というのは、いろいろことに耐える能力、これが明らかに強くなったということです。選手としての能力に関しては、今は数字で分かる時代なので、皆さんの方がご存じだと思いますけど。その点で明らかに5年前は違うと言えると思います」

 -50歳まで現役

 「皆さん、よく50歳までという話をされることが多いですけど、僕は最低50歳といつも言っているので、そこは誤解しないでほしいですね」

 -セーフコフィールドの最後は本塁打

 「あの時、シアトルで最後の打席と言われたことが確かにありました。でも、僕はいずれ戻って来てプレーしたい、できるのでないかと、まったく根拠はないんですけど、そう思っていました。今、思うことは、こういう形で戻って来てシアトルのファンの方々から“お帰り”と心から言ってもらえるような自分でありたい。それをできるかどうかは僕次第なんで、日々励みたいと思います」

 -FA市場が停滞

 「いろいろなことを考えました。ただ、周りも心配してくれることはたくさん聞いたんですけど、僕自身の状態としては泰然とした状態であったと思います。それがなぜかは分からないですけど、自分が経験してきて、良かったこと、そうでなかったことをたくさん経験してきて、そうなったのか。なぜ、そうなったのかは分からないですけど、泰然という状態は、プレーヤーとしても、人間としても、常にそうでありたいという状態、目指すべき状態ではあったので、そういう自分に出会えたことはとてもうれしかったです」

■いろんなことに耐えられる■

 -どんな貢献を

 「2001年にメジャーリーグでプレーすることが決まった時に考えたのは、自分のことしか考えられない。まず、結果を残さないとこの世界でやっていけない、まあ、当然のことですけど。それから17シーズンが過ぎて18年目になるんですけど、もちろん自分ができるパフォーマンスはたくさんあります。僕自身のためにやりたいこともあります。ただ、当時と違うのは、今、マリナーズが必要としていること、僕がそこに力になれるのであれば、何でもやりたい。そういう気持ちですね。僕が今までに培ってきたすべてをこのチームにささげたい。そういう覚悟です」

 -元同僚のカノ、エドガー・マルチネス打撃コーチ、3球団で一緒のフェルプスもいる

 「ロビー(カノ)とはもちろんまたプレーしたいと、彼がニューヨークを離れてからそう思ってましたし、エドガーがコーチになった時も、やっぱり一緒にいつかやってみたい。フェルプスに関しては、なぜか僕が追いかけているという状態なんですけど、おそらくそんなふうになるんじゃないかと。それはちょっとした根拠になるんですけど、今回、シアトルに戻るんじゃないかという一番の根拠は、確かにフェルプスがいたことでした」

 -大谷へ助言は

 「大谷選手がエンゼルスと契約した時に、テキストでメッセージをくれて、やりとりをしたということがありました。日本でも何度か、プライベートですけど会った事があって、面識もあって、僕とは親子と言ってもいいくらいの年齢差ではありますけど、メンタルとしては僕が子供で彼が親という感じがします」

 -過去5年で学んだことの具体例は

 「マ軍で以前プレーしていた時は、必ずラインアップに名前があって、自分のルーティンを守ることは簡単というか、難しくなかったんですけど、ニューヨークに行ってからは、その日、球場に行かないと、その日プレーするかどうか分からなかった。ゲームが始まって、スターティングラインアップに名前がない時に、どこで自分が行くのか、まったく分からない状態が続いて、それが慣れてきたことに、何となくこんな状況で行くんだなということがつかめるようになったりもしたんですけど。見えないものと、いつも闘っている、そういう状態だったんです。それらもいつしか自分が徐々に対応できるようになって、何が起こっても、代打を告げられて左投手が来た時に、代打の代打ということもありました。それは過去になかったことなんですけども、そういう悔しい思いもたくさんしてきた5年半だったので、いろんなことに耐えられるんじゃないかと思います」。

 -シアトルについて

 「5年半の間、飛行機から見えるシアトルの街だったり、セーフコフィールドは、僕にはホームなのにホームでない、近いのにすごく遠く感じるという、存在になっていたんですけど、今回、こういう形で戻ることかできて、また見える景色が違うのかなと。そこにある当たり前のようにあったものは、まったくそうではないもの、特別なものであったということをこの5年半で感じてきました」

■オープン戦はいつでも大丈夫■

 -クラブハウスへ入る感じ

 「まず顔と名前を覚えなきゃいけない。年齢的には息子みたいな選手達がいっぱいいることは、ちょっと怖いです。でも、プレーをすれば、僕も息子側に入れるというのを、しっかり見せたいと思います」

 -泰然と表現したが、心が折れそうになった時は

 「折れそうになっていると泰然にはならないですよね。ということはないということです」

 -目が潤んでいるように見えるが。

 「こういう会見の場合、目が潤んでいることがメディアにとっては大好きみたいですけど、おそらく目が潤んでいるように見えるとしたら、時差ボケの影響かと思います」

 -マ軍入りは、すぐに決断できたか。

 「ちゅうちょは全くなかった。この話をいただいた時に、考える理由すらなかったです。その時点で」

 -この時期まで契約がずれ込んだ。これまでの練習プランは。

 「自分のスタンスをどこに置くかは考えてますし、スプリング・トレーニングの間はもちろん待つしかない。じゃあシーズンが始まったらどうするか、というのは次の段階で。そこでもなかったら、じゃあどうする、ということは具体的に考えたことはあります。ただ、練習のプランは変わらないです」

 -オープン戦に出るタイミング

 「いつでも大丈夫です」

 -迷いは。

 「迷うことはなかったです。メジャーでやる気持ち。これのみでした」

 -エンゼルス・大谷との対戦について

 「まだ翔平がプレーしているところを実際に見たこともないんですね。まず、見てみたい。誰が見ても世界一の才能と言ってもいいと、よく聞きますし、実際に見たことはないんですけど、僕もそう思います。そんな選手と対戦することは野球の妙味のひとつ。必ず実現させたいと思うし、できれば投手で対戦したいなと思います」

 -すべてをささげたいとの思いは

 「チームのためにプレーする時に、そのチームのために全力を尽くすというのは当然です。どのチームでもそうです。最初の3年ぐらいをのぞけば…。3年結果を出さなければ消えていくだけなので。それは違います。こういう状況になって、年齢のことはみんながなぜか気にすることであるので…。例えば年齢40歳以上の選手は採用しない、雇わないという考え方だったら、自動的に省かれるわけですから。でも、少し違う野球になってきた時代だと思うんですね。印象としてはケージの中で一番大きく育ってしまった犬を優しく迎えてくれた。それに対して、全てをささげたい、忠誠心が生まれるというのは当然のこと」。

 -FA市場や契約で年齢がネックになることに

 「理解出来る部分で言えば、その年齢に達した選手は20代、30代の時と同じように動けている例が少ない。これは歴史から導かれる答えというか<そういう観点から言えば理解出来る。ただ、どうやってそこまで過ごしてきたか、ということによって、同じ年齢でも状態としては違うことは当然。そういう見方をすれば、それだけでくくるのはどうなのかな、という思いはあります」。