オリックス・イチロー連続試合出塁で日本記録/復刻

<日刊スポーツ:1994年8月11日付>

 プレーバック日刊スポーツ! 過去の8月11日付紙面を振り返ります。1994年の3面(東京版)はオリックス・イチロー外野手が連続試合出塁で日本記録を達成した内容でした。

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<オリックス3-4日本ハム>◇1994年8月10日◇高松

 オリックスのイチロー外野手(鈴木一朗=20)が連続試合出塁の日本記録を塗り替えた。10日の対日本ハム22回戦(高松)の1回、武田から右前打を放ち、プロ野球新記録となる57試合連続出塁を達成した。これまでの記録は1986年(昭61)に阪急石嶺が作った56試合だった。

 イチローのバットからはじき出された打球は生き物のように野手の間を抜けていった。記録のかかった試合での初回、第1打席。イチローはカウント1-1からの高めストレートをジャストミートして一、二塁間を破った。一塁ベース上で花束を受け、ヘルメットを取った色白の若者は照れた様子で両手を上げ歓声にこたえた。

 57試合連続出塁。現阪神の石嶺が阪急時代に作った56試合連続の記録を8年ぶりに破った。決して派手ではないが、チーム貢献度抜群の記録を弱冠20歳と10カ月の若者が塗り替えた。

 「石嶺さんを抜いた? う〜ん、とんでもないっスね。ホッとしました。個人的には(高松が)いい記念の場所となりました」。額に汗を浮かべながら不器用に喜びを表現した。表情はいつも通りクール。しかし記念のボールはちゃんとバッグにしまった。

 実は前夜、めずらしく眠れなかった。眠りに落ちたのは朝の5時半。それでも午前11時には目が覚めてしまった。日本ハム先発の武田とは今季3打数1安打。苦手ではないがデータが少なく、投手の攻め方を分析して打つイチローは一抹の不安があった。配球を考えるうちに朝になっていた。もちろんプレッシャーもあった。

 こんな打ち明け話をした後で、イチローは「でも新聞にはよく眠れたって書いといてください、お願いしますよ」と頭を下げた。やはり敵に弱みは見せたくないのだ。

 父親の鈴木宣之さん(51)はこの記録をことのほか喜んだ。「地味な記録でしょ。私も息子がこんなことになるまで出塁記録なんて知らなかったですよ。でもこれで野球っていろんな面白いことがあるなって再確認できました。子供たちにもそう感じてほしいんですよ。野球って面白いって」。これからのプロ野球の夢をイチローに託すのは宣之さんだけではないだろう。この日、イチローは2安打を放ち、打率を3割9分7厘にまで上げた。 7月9日以来の4割に再び乗せる目標も間近に迫った。

 イチローが何より手に入れたいのは、もちろん優勝。痛恨のサヨナラ負けで4位になったが、「どうってことないですよ。これから」とあくまで強気だ。

※記録や表記は当時のもの