12連敗屈辱の巨人 勝ちたい欲求、勝てない現実

9回表巨人2死、石川(手前左)が空振り三振に倒れ12連敗となり、ぼう然と見つめる高橋監督(右)と村田ヘッドコーチ(撮影・鈴木みどり)

<日本生命セ・パ交流戦:西武3-0巨人>◇7日◇メットライフドーム

 ついに12連敗。巨人が80年を超える球団史に負の記録を刻んでしまった。球団ワーストタイの11連敗で迎えた「日本生命セ・パ交流戦」の西武戦(メットライフドーム)も、力なく敗れた。移籍後初勝利を目指した吉川光夫投手(29)が5回途中2失点でKO。打線も好機であと1本が出ずに沈黙し、今季6度目の完封負け。75年に長嶋監督が就任1年目に喫した11連敗の記録を更新した。

 また負けた。試合開始から2時間37分後。石川のバットが西武守護神・増田の外角直球に空を切った。空振り三振で12連敗を突きつけられた。巨人軍が未体験の屈辱を、どう受け止めればいいのか。選手たちは感情を吐き出すこともなく、悔しさをかみ殺すように足早にロッカー室へ引き揚げた。異様な静寂。これが逆に事の重大さを示していた。高橋監督は「それが現実として全員が受け止めないといけない」と直視した。

 今季の苦闘を象徴する負けパターンに陥った。4回、先発の吉川光がメヒアに先制2ランを食らった。先制点を許した試合は14連敗中だけに、いきなり暗雲が垂れ込めた。6回には2番手西村が中村にソロ本塁打を浴びた。これで3点差。今季の逆転勝ち8試合は、すべて2点差以内だった。

 負のデータをはね返せる力が、今の打線には備わっていない。西武先発の岡本とは中継ぎで過去3度対戦し、3回1/3で3得点と攻略してきた。だが、この日は直球とスライダー、カーブのコンビネーションに手を焼いた。好機をつくっても、あと1本が出ない。6回、7回と得点圏に走者を進めたが、逃げ切りを図る西武のリリーフ陣に牛耳られた。高橋監督は「みんな何とかしようと思っているけど、こういう展開になると難しい」と唇をかんだ。

 試合後には高橋監督も交え、全体ミーティングが実施された。主将3年目の坂本勇は「1つ勝つのがこんなに難しいんだなと、ジャイアンツに入って初めて感じています。選手でミーティングとかもしているけど結果として負けているので、何と言えばいいのか…」と漏らした。左太もも痛を抱えながらも出場を志願した村田は、首脳陣に制され欠場した。交流戦7戦3発の男は「切り替えて、と言っている場合じゃない。何かを大きく変えないと流れは変わらない。(自分は)打撃フォームとか思い切って変えて良くなった部分はある。それをみんなが考えないと」と必死に前を向いた。

 V9、ON…。栄光に彩られた歴史を持つ名門が、勝ちたい欲求と、勝てない現実のはざまで苦しんでいる。高橋監督は「結果を残していくのがプロ野球選手の仕事。明日もゲームがあるし、はね返すチャンスはある。明日も頑張るしかない」と結んだ。トンネルの出口は、必ずある。だが陥った闇は、深い。【浜本卓也】

 ◆巨人球団史 日本初のプロ球団として1934年(昭9)12月に創設された大日本東京野球倶楽部が前身。当時の読売新聞・正力松太郎社長が招いた大リーグ選抜と対戦した全日本チーム(沢村栄治、水原茂、三原脩、中島治康ら)を母体とし、翌35年に東京巨人軍と改称。02年に読売巨人軍と改めた。プロ野球の公式戦がスタートした36年秋に初優勝し、1リーグ時代に9度優勝。セ・リーグ優勝は川上監督時代に王貞治、長嶋茂雄のON砲を擁して達成した9連覇(65~73年)を含む36度。日本シリーズ優勝は22度。オーナーは老川祥一氏。