西武コーチ森慎二さん急死、辻監督沈痛「つらい」

00年7月、オールスター第2戦で力投する西武森さん

 西武森慎二1軍投手コーチが28日午後0時10分に多臓器不全のため、福岡市内の病院で死去した。西武球団が発表した。42歳だった。同コーチは25日のソフトバンク戦(ヤフオクドーム)前に体調不良を訴えて入院。そのまま帰らぬ人となった。急な悲報に辻発彦監督(58)らは深いショックを受けていた。通夜、告別式の日程は未定。

 突然の訃報だった。沖縄セルラー那覇でのロッテ戦後。ベンチ裏に首脳陣、選手を含めたチーム関係者が集められ、鈴木球団本部長から、森投手コーチの急逝が伝えられた。その後、同本部長から報道陣に対し「西武ライオンズの森1軍投手コーチが、今日28日午後0時10分に亡くなりました。(死因は)多臓器不全です」と説明があった。

 森コーチは25日のソフトバンク戦(ヤフオクドーム)前に体調不良を訴えた。選手宿舎から同球場に移動した直後の時点で顔は真っ青で、脂汗をかいているような状態だったという。血圧などをチェックした後、グラウンドには出ず、福岡市内の病院に向かい検査。そのまま入院し、帰らぬ人となった。あまりに急な訃報に、鈴木球団本部長は「前日まで元気にしていたから…。急に、ということです」と話した。

 辻監督もショックを隠せなかった。同コーチが25日に福岡市内の病院に入院してから「電話がある度にビクビクしていた。心配していたんだけど…。ショックです」。時折、目頭を押さえながら、沈痛な面持ちで明かした。

 同監督だけには、この日の試合前練習後に球団から森コーチの死去が伝えられていた。「数日前まで一緒に戦ってきた仲間。優勝を目指して頑張ってくれていたし…」と言葉を絞り出した。同コーチのためにも勝利を、という思いを1人、胸の内に秘めて指揮を執ったが、試合は延長戦の末に惜敗。残念ながら白星を贈ることが出来なかった。「今日は本当に勝ちたかったんだけど。投手もみんな頑張ってくれていたし。つらいです」と、唇をかみしめた。

 通夜、告別式の日程は未定。球団としての対応も決まり次第、発表される。昨季途中から1軍投手コーチに就任し、ブルペンを担当。投手陣の良き兄貴分として慕われていた。選手たちはみな悲しみをこらえ、無言で帰りのバスに乗り込んだ。42歳。あまりに若すぎる死に、チームは悲しみにつつまれた。

 ◆森慎二(もり・しんじ)1974年(昭49)9月12日、山口県生まれ。岩国工から新日鉄光、新日鉄君津を経て96年ドラフト2位で西武入団。プロ1年目からリリーフで活躍。02年にはリーグ最多の71試合に登板し32ホールドをマーク。03年も26ホールドで2年連続最優秀中継ぎ投手。06年1月にポスティングシステムで大リーグのデビルレイズ(現レイズ)に移籍。同3月20日、マイナーリーグのフィリーズ戦に先発し、3球で右肩を脱臼。関節唇損傷で回復が遅れ、大リーグ未登板のまま07年6月に解雇。09年、BCリーグ・石川の選手兼コーチとなり10年から監督。15年に西武2軍投手コーチ就任。16年途中から1軍コーチに昇格した。189センチ、90キロ。右投げ右打ち。