ヤクルト史上初、リーグ最下位から交流戦1位に

日本ハム対ヤクルト 交流戦で勝率1位になりスタンドの応援団にあいさつするヤクルトナイン(撮影・黒川智章)

<日本生命セ・パ交流戦:日本ハム1-5ヤクルト>◇17日◇札幌ドーム

 ヤクルトが史上初めてリーグ最下位から交流戦最高勝率チームに輝いた。「日本生命セ・パ交流戦」の日本ハム戦に5-1で勝利。球団初の交流戦1位を確定させた。小川淳司監督(60)は、勝利の方程式となった、中尾輝投手(23)近藤一樹投手(34)石山泰稚投手(29)の躍進をたたえた。チーム好転のカギは、昨秋から3人が準備していたものにあった。

 喜び合うのもほどほどに、ヤクルトは全員で色とりどりの傘が踊る右翼席へ向かった。交流戦最高勝率を決めてベンチ前でハイタッチをかわすと、声をからして後押ししてくれたファンに一礼した。1試合を残し、交流戦1位が決定。小川監督は「みんなよく頑張ってくれた。そのひと言に尽きる。うまく投打の歯車がかみ合った」と興奮気味に振り返った。

 ヤクルトが急に勝ちはじめた理由は何か? 小川監督は「投手陣、特に後ろが安定したのが第一」と分析する。中尾・近藤・石山の年俸総額が推定7920万円の「12球団最安値の勝利の方程式」は守護神候補カラシティーとセットアッパー秋吉の不調から生まれた“副産物”。だが、3人は土壇場で投げられるよう「武器」を昨秋に授けられ、人知れず磨いていた。

 それが「ストライクゾーンへのフォーク」だった。石井弘投手コーチは「怖がって低め(に投げるの)を気にしすぎてボールになって苦しくなった。石山には『打たれたら俺の責任。ストライクに落とせ』と伝えている。近藤は昨年は、ほぼ投げてなかったから投げようと秋に言ったら、自分で仕上げてきた」と説明。田畑投手コーチも「思い切って腕を振ろう」と声をかけ続け、恐怖心を取り除いていった。

 5月の黄金週間を過ぎた頃、最下位に苦しむ中で、救援陣は芽吹きの時を迎えていた。石山は5月8日から16試合連続、近藤は同11日から14試合連続無失点。救援陣の屋台骨が堂々と投げ込む姿に2年目中尾も背中を押され、思い切り左腕を振りはじめた。

 磨き上げた「武器」が、パの強打者にはまった。じっくり見極めて粘り強い攻めを見せるセと違い、好球必打で初球から振ってきた。「交流戦では球数が減った」と田畑コーチ。石山が4日連続で登板し4連続セーブを挙げるなど勝負どころでの連投が可能になった。「終盤まで接戦に持ち込めば」との共通認識も生まれ、交流戦での6回まで3失点以下の試合は17試合中14試合と先発も序盤から全開でいけた。この日も小川が6回1失点で、7回からは「新勝利の方程式」が0を並べた。

 燕のリリーフ3人衆の「ストライクゾーンへのフォーク」が、燕軍団をV字飛行させた。19日のソフトバンク戦を終えると、再びセ・リーグとの戦いが幕を開ける。小川監督は「パ・リーグ相手に勝ち越せたのは後のペナントを戦う上で力になる」と交流戦の成果をリーグにつなげる構え。上昇気流に乗った燕軍団が、混セの空に戻っても、鮮やかに舞う。【浜本卓也】

 ◆ヤクルト中尾(前日に本塁打を浴びた横尾を空振り三振に仕留めるなど2/3回を無失点)「フォークが抜けたけど思い切り腕を振ったから振ってくれた」

 ◆ヤクルト近藤(3番手で1回1/3を無失点で16ホールド目。交流戦無失点)「四隅に投げる制球力はないので思い切り腕を振ろうと思った。いつも通りにやることを心掛けています」

 ◆ヤクルト石山(4番手で1回無失点。16試合連続無失点で交流戦無失点)「優勝がかかっているのは分かっていたけど普段と変わらず投げられた。打たれたら仕方ないと割り切れたのがいい形につながっている」

 ◆ヤクルト小川監督(救援陣の3投手について)「接戦をものにしたい試合が多くて登板過多になったけど、よく踏ん張ってくれた」